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67回目 "Midnight's Children" を読む(第19回)。インディラ・ガンジーが強行した「貧民窟の清掃 Sterilization」という都市の近代化事業

この物語の主人公であり、書き手でもあるサリーム。物語はサリームの祖父がドイツに留学し帰国するとイスラム教徒が強いられるお祈りの実行を不合理だと考えるなどのシーンから始まりました。その娘の一人がサリームの母で、パキスタンとインドに国が二分されたことにまつわる戦争が起こり苦しめられます。幼かったサリームはそんな親について回る程度の存在だったのです。しかし次に起こったパキスタンからパングラデシュが分離することになる内戦では 21 才になっていたサリームは、パキスタンの兵士としてダッカの近郊で苦しみます。この戦争を生き延びたサリームは、時の首相のインディラ・ガンジーにひどい仕打ちを受けることになります。

今回の読書対象は、 "Midnight" と題された Episode 29 です。この Midnight は "Midnight's Children" の Midnight ではなくて、インディラ・ガンジーの所為で世の中が真っ暗になった一時期(約 1 年間)を指しているようです。


1. 隠喩の形での生活者とその当時の政治の世界、双方の有様が描かれます。

暗黒の期間の表現には、サリーム個人の苦しい日々と、マクロコスモであるインディラの独裁下にあるインドの国民の日々とが互いに似た者同士、互いを隠喩し合う関係 metaphorical expression として語られます。

[原文 1] The serpents of tuberculosis wound themselves around his neck and made him gasp for air . . . but he was a child of ears and silence, and when he spluttered, there were no sounds; when he wheezed, no raspings issued from his throat. In short, my son fell ill, and although his mother, Parvati or Laylar, went in search of the herbs of her magical gift -- although infusions of herbs in well-boiled water were constantly administered, the wraith-like worms of tuberculosis refused to be driven away. I suspected, from the first, something darkly metaphorical in this illness -- believing that, in those midnight months when the age of my connection-to-history overlapped with his, our private emergency was not unconnected with the larger, macrocosmic disease, under whose influence the sun had become as pallid and diseased as my son. Parvati-then (like Padma-now) dismissed these abstract ruminations, attacking as mere folly my growing obsession with light, in whose grip I began lighting little dia-lamps in the shack of my son's illness, filling our hut with candle-flames at noon . . . but I insist on the accuracy of my diagnosis; 'I tell you,' I insisted on then, 'while the Emergency lasts, he will never become well.'
[和訳 1] 結核の病でる何匹ものヘビがこの児の首の周囲でとぐろを巻き、この児をして空気を求めてあえぐまでに苦しめます。そうはいっても、この児は特別の耳をしていて、声は出せない児なのです。この児が声の息を一気に強く吹きだそうが音は出ません。長く続けて息を吹きだそうとも、その喉はかすれ音すら出しません。この児は病に侵されています。この児の母、レイラ(旧名パーバティ)は、魔法使いである彼女自身の処方になる組み合わせのハーブを探し集めてきます。それらを沸騰水で炊きだした抽出液を毎日・毎日飲ませたものの、結核の病の元である幽霊のような輩は立ち去ることを拒否しました。私は初めからこの病について不幸な隠喩的な要素が潜んでいるのではと疑っていました。すなわち、私自身がこの国の歴史に繋がれていたあの真夜中の期間とこの児の今が二重写しに見えたのでした。私たち個人に起きた緊急事態なんて、もっと大きなマクロコスモの病と関係がないとは言えないのでした。マクロコスモの病の下であの太陽までもが私の赤ん坊と同様に、やつれて病気に苦しんでいたのです。その当時にあってパーバティは(今のパードマもそうなのですが)、このような具体性から離れた議論の世界に踏み込みはしないのでした。そんな世界、光に対する関心を刻々と深めていく行為は馬鹿げていますと、私に攻撃を加えたのです。一方、私は光へのこのような拘りから、病に苦しむこの児の粗末な小屋にあった油の皿のランプに火を灯すことを始めました。私はろうそくと同じような炎をいくつか灯して真昼の時刻の住まいを照らしたのです。そんなことをしながらも私は自分がその時すでに下していた見解に固執しました。「緊急事態宣言の支配が続く限りこの児の快復はあり得ないのだ」という自らの主張を変えはしなかったのでした。

Lines between line 15 and line 35 on page 590,
"Midnight's Children", 40th Anniversary Edition,
a Vintage Classics paperback


2. 互いに異なる気質を持つ父と子、サリームとアーダム。生まれた時代の違いがこの二人の違いを生んだと強弁することで、二人の気質・特徴が読み手の頭に印象深く刻み込まれます。

前段、1. に引用したくだりにつづいて、次から次へと様々な出来事がこのような一対に仕立て上げて描き出されるのかと思いきや、直ぐに別の手法があらわれます。

[原文 2] We, the children of Independence, rushed wildly and too fast into our future; he, Emergency-born, will be is already more cautious, biding his time; but when he acts, he will be impossible to resist. Already, he is stronger, harder, more resolute than I: when he sleeps, his eyeballs are immobile beneath their eye lids. Aadam Sinai, child of knees-and-nose, does not (as far as I can tell) surrender to dreams.
[和訳 2] 独立時の子供たちである私たちは乱暴にも大急ぎで未来に向かって走ったのですが速度を上げ過ぎたのでした。一方、緊急事態宣言下に生まれのこの児は今もそうですが今後も私たちよりは注意深いのです。時が来るのをジッと待ち構えているのです。しかしこの児は一旦活動を始めるとなるとその衝動を制御することができません。今でも既にこの私よりも頑強で、加わる影響力に私の場合よりも強く抵抗し、強い意志の力の存在を示します。彼が眠ると、その眼球は瞼の下にあって動きを止めます。アーダム・シナイは膝と鼻のそれぞれに特徴ある二人の父の息子です。この息子は(私が見る限り)夢なんかにうなされることはないのです。

Lines between line 7 and line 13 on page 594,
"Midnight's Children", 40th Anniversary Edition,
a Vintage Classics paperback

作者ラシュディーが次に繰り出した手法は、二人の主人公のキャラクター、これまで何度となく表現してきた二人の主人公それぞれのものであるとされる性質のいくつかを取り上げて、それらをそのまま、この児の性格として譲り渡すというものです。読み手は一瞬にしてこの児の性格、人格が解ったような気になります。まだ1才にならない、話もできない一人の幼児のイメージが明確に読み手の脳に刻まれることになります。


3. 「ゾクッとする寒さ」で読み手を楽しませる仕掛け

シーバの子供を身ごもっていたパーバティと形式上の結婚をしたサリームは、病に苦しむ、まだ生後数か月のこの児の世話にパーバティと共に右往左往していました。その表現の中に妙に気に掛かる、やや唐突な語句が現れたのです。迷信に引きずられあれやこれやの怪しげな薬草を試したもののうまく行かず、そんな薬を否定するサリームにやがては従うようになったのです。

[原文 3-1] and at last Parvati relented and prepared an antidote by mashing arrowroot and camomile in a tin bowl while muttering strange imprecations under her breath. After that, nobody ever tried to make Aadam Sinai do anything he did not wish to do; we watched him battling against tuberculosis and tried to find reassurance in the idea that a will so steely would surely refuse to be defeated by any mere disease.
[和訳 3-1] そして、遂にはパーバティも自分のやり方を中止して、アロウルートをすり下ろしカモミールを加えて錫製の器で混ぜた解毒薬を作り、ブツブツと意味不明の呪文を唱えながらこの児に飲ませることになりました。このような変化の後には誰一人としてアーダム・シナイにこの児(アーダム)の意思に反する行動を強いることは一切なくなりました。私たちはこの児がこの児なりの方法で結核の病と闘うのを見守りました。そしてこの児の意地が「どのようなものであるにしろ、高々病原菌に過ぎない程度のものに対しては負けることがないはずだ」という私たちの考えの正しさを立証してくれるように願ったのでした。

Lines between line 28 and line 35 on page 591,
"Midnight's Children", 40th Anniversary Edition,
a Vintage Classics paperback

次の引用は今回のエピソードのほゞ最終部分からです。緊急事態宣言を発して反対勢力を萎縮させ、貧民窟を軍隊に蹴散らかせたインディラ・ガンディ政府が左派・右派・極右の寄せ集め集団に選挙で敗れ去った後のことです。

[原文 3-2] What of Shiva? Major Shiva was placed under military detention by the new regime; but he did not remain there long, because he was permitted to receive one visit: Roshanara Sherry bribed coquetted wormed her way into his cell, the same Roshanara who had poured poison into his ears at Mahalaxmi Racecourse and who had since been driven crazy by a bastard son who refused to speak and did nothing he did not wish to do. The steel magnate's wife drew from her handbag the enormous German pistol owned by her husband, and shot the war hero through the heart. Death, as they say, was instantaneous.
[原文3-2] シーバのその後はどうだったのでしょう? シーバ大将は政権交代の後に、軍管理の拘置所に収容されました。しかしそこでの主要機関は短いものでした。シーバはある日、知り合いの訪問を受ける許可がおりたのでした。知り合いの名はロシャナラ・シェリー。彼女は袖の下を使って色目を振り撒き彼の独房にまで入り込みました。彼女とは、かつてマハラクシミ競馬場において、シーバの耳に毒気あることばを投げ込んだ、当にその女性です。その後にはこの女性、ならず者としか言いようの無い、ある一人の若者にすっかり熱を上げてしまっていたのです。この若者とは自分が望まないこととなると何もしない、無口を決め込んでいる輩でした。鉄鋼業界で名をはせていた男の妻であったこの女性は自分の夫の持ち物であるドイツ製の巨大な拳銃をハンドバックから取り出すとこの戦争の英雄の心臓を打ち抜いたのでした。言い伝えでは、即死でした。

Lines between line 34 on page 616 and line 9
on page 617, "Midnight's Children", 40th
Anniversary Edition, a Vintage Classics paperback

サリームがアーダムの養育を引き受けるべく結婚までしたのですが、実の父はシーバです。ラシュディは、シーバの死のシーンに出てくる「人の性格」を表す為に選んだ表現を、この小説の別の箇所に出てくる「アーダムの性格」を表す表現と一致させていたのです。


4. Study Notes の無償公開

今回投稿の読書対象である Episode 29 "Midnight" 、原書 Pages 589 - 618 に対応する Study Notes を無償公開します。例によって今回のファイルも A-4 サイズ用紙に両面印刷すると A-5 サイズの冊子ができるように調整されています。