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キリンビールのIRイベントが"Consumer is Boss"マーケティング宣言だった件。

前説

3月3日にキリンホールディングスのIRイベント、「KIRIN Investor Day 2021」がオンラインで行われ、ホームページ上で動画と資料が公開されました。

そのキリンビールに関するものの内容が、マーケティング業界的にかなり衝撃だったのでご報告。

衝撃1:タイトルと好業績の理由

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これがその表紙ですが、注目はそのタイトルです。

「お客様主語のマーケティング改革」

これ、つまり、P&Gで言うところの"Consumer is boss"なわけです。

ちなみにこの日、このキリンビールに関しての説明を行ったのはマーケティングのトップ(常務執行役員 マーケティング部長)の山形光晴さん。
P&G出身でその手腕をキリンホールディングスの磯崎社長から見込まれ2015年に転職。キリンビバレッジで生茶を復活、2017年からキリンビールに移って本麒麟や糖質ゼロの一番搾り等のヒットを飛ばしている仕掛け人で、この「お客様主語」に限らず、P&G流のマーケティングを実行し変革をもたらした人です。
今回の投資家向けの発表会でも、キリンビール社長の布施さんではなく、財務経理担当役員でもなく、マーケティングのトップである彼が説明をしている、ということに発表内容に関する大きな意図も含まれていると感じます。

この「お客様主語のマーケティング」という言葉自体は、2019年の投資家向け資料の中で初めて出てきていますが、その時はグループのイノベーションを生み出す「非財務資本の強化」の4つの基盤の一つ、という位置付けで、本麒麟の発売の際に行ったマーケティング戦略改革の成功をその事例としていました。
そしてその位置付けは、翌年2020年の投資家向け資料においても同様のままだったのですが、今回はビジネスを拡大するための核、投資家向けレポートのタイトルとしての扱いに「飛躍」したということになります。

そして、2020年の販売業績が各カテゴリーで(昨年自社対比ではマイナスだったものの)各市場自体の減少よりもはるかに軽微なものであった、という数字を見せた後のスライドがこれ。

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この結果を実現できたのは、「お客様主語のマーケティングを実践してきたことによる成果」だと言い切ったのです。

衝撃2:変革の内容①「判断軸はお客様」

そして、その業績をもたらした「お客様主語のマーケティング」の内容を、それまでとどう違うのか、Before-Afterで以下のように記します:

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その具体例として、今まで社内の上の人に通すためによく行っていた以下のようなことを(これ、ポジショニングマップというもので、今でも多くの企業・ブランドの戦略で使われているものです!)

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自分たちの議論の中心としては用いない、というかなり大胆な「宣言」をしたのです。(思わず画像も大きくしてしまいました)

もちろん、「差別化」を戦略の中心にすると、他社がまた違う戦略を取るとそれに合わせてまた違うことをしなければならない、と「差別化のためのアクション」が中心となってしまうという本末転倒状態になるため、差別化ではなく「独自性」を追求することが重要なのですが、それですらなく、「お客様は何を求めているか」を中心に据える(=極論を言うと、結果として独自性がなくても、競合と同じになっても構わない、ということ)、と言い切っているのです。

これ、今後他の企業のマーケティング担当が、戦略の説明会や新製品の記者発表などを開いた際にもしもポジショニングマップを使うと、出席している記者から

キリンビールさんがこのような考え方を戦略構築の際には不適切なもの、として否定されていますが御社は引き続き採用していくのでしょうか?
と質問された場合の答えを用意する必要が出てくる、ということを意味します。
もちろんその際には、「各社それぞれのお考えがあるのでそこには言及しません」という大人の回答をするのでしょうが、にしても「あの会社は相変わらずポジショニングマップを戦略の中心に据えているんだってさ」と業界関係者から言われかねない、というリスク(?)を負うことを認識しなければならない状態になったということなのです。

なお、この「お客様は何を求めているか」を中心に据えるために行うこととしては以下のスライドで説明されています。それは
「1人のお客様(N-1)の深い理解」

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これも、同じく元P&Gでロート製薬やロクシタン、スマートニュースなどのマーケティングや経営に携わり、「9セグメント分析」を提唱した西口一希さんがその著書、『たった一人の分析から事業は成長する 実践 顧客起点マーケティング』で論点の核として取り上げられていることでもあります。

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衝撃3:変革の内容②「マーケティングは全社で行う」

続いて、この「お客様主語のマーケティング」を実施するにあたって、それはマーケティングセクションだけでなく、全社で力を合わせてブランドを育成する、と「宣言」します。

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このような「全社で力を合わせ」的な発言、他の色々な企業でも会社の誠実さを見せるためのお題目の言葉のようによく使われたりしているのですが、キリンビールはこのスライドにある通り、自分たちは今まで「現場に過度に異存した戦い方をしたためバラバラで組織的な動きができていなかった」と公言し、発表会の口頭での説明でも「例えばテレビCMでは一番搾りが大量に流れているのに一部の店舗ではグリーンラベルがメインに扱われていた、ということもあった」と認めてしまうという大胆さで、自分たちはもうそういうことはしない、と退路を断った強い決意を示しているのです。
そして、全社で力を合わせるために柱に据えるのが「カスタマージャーニー」

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投資家向けの経営戦略説明でカスタマージャーニーを大々的に出したのってたぶん初めてなんじゃないか、というこれもまた衝撃。

※この「カスタマージャーニー」とは、顧客が商品・サービスを認知して興味を持ち、情報を調べて購入し、その結果を周りにシェアする、という行動とその背景を旅に例えたものです。
それぞれの段階でどこでどのような行動をなぜ行ったのか、を書き出すことにより、「どの段階で、どの場所・手段で、どのような内容のコミュニケーションを行うことが最も効果的なのか」がわかり、またそのためにどの様な対策をしなければならないかのチェックもできる、という整理整頓グッズです。

なお、このタイトルにカッコ付きで書かれている「四つの瞬間」。
これも、P&Gで使われている"Zero/Fist/Second moment of truth"と同じ意味で、実際に顧客がそのブランド・商品との接点を持つ事前(認知)・実際の出会い(店頭での実物との対面)・使用というタイミングのことで、それに使用後の情報シェアを加えて四つとしているのですが、これがカスタマージャーニーの各段階とリンクする、ということを指しています。

もちろん、その四つの瞬間におけるブランド育成の取り組みや活動はマーケティング担当者だけでできるものではないので、

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と開発・生産・営業だけでなく、物流や(顧客との直接の接点の一つでもある)お客様相談室や工場見学対応の人たちも含めた全員野球で対応するのだ、と「宣言」しちゃうわけです。

衝撃4:変革の内容③「マーケティング人材を全社的に育てる」

全員野球をするためには、その意識と知識を持った社員が全ての部署にいる必要があるわけで、そうなると

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「マーケティングとは特殊な部署や知識のことではなく、ビジネスそのものなのだ」、という認識を持ち、リスクを恐れずに挑戦できるリーダーシップを持った人材の育成が全社的に必要、と位置付けます。
そしてその求める「マーケティング人材」とは

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「一芸に秀でているタレント」ではなく、ブランドの意識を持って経営のできる人、と定義します。(これも、業界にいる一部の方にはちょっと背筋が寒く感じる話かもしれません)
で、そのために導入・強化するのがこれ。

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ひとことで言ってしまうと、「P&G的なブランドマネージャー制度(担当する商品のP/L にも責任を持つ)にします」、ということです。

お客様のことを考え抜き、それをビジネスの中心に置き、全社がその目標達成のために力を合わせ、そのための人材も育成していく。
つまり、キリンビールはお酒の世界のP&Gになる、という宣言でもあるのだ、と捉えることもできます。

また、この考え方を導入することがなぜ正しいのか、という理由として挙げたのが、次のスライドです。

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「お客様主語のマーケティング改革」の導入と浸透によって新製品やリニューアル商品成功の打率が上昇している、という事実をもって、その正当性を投資家や社内外の関係者に対して印象付けました。

衝撃5:変革の内容④「インサイトの重要視」を公に。

このあと、具体的な商品戦略などを説明して終わるのですが、そこで出てくるのがこれ。

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この消費者のインサイトを把握することにより、既存商品だけでなく、新たな成長エンジンとなる高付加価値の商品・サービスを導入していく、としました。

過去の投資家向けの資料においても、インサイトという言葉は出てきていましたが、その時は戦略説明のためのキラキラワード的な扱いであったのが、今回はスライドのタイトルにまで出世したのです。
※インサイトとは何なのか?に関しては、以前の記事「『インサイト』とは「あるあるネタ」なのか? 『ニーズ』や『ウォンツ』は?」をご参照ください。

最後に

ここ数年、元P&Gの日本人マーケター、いわゆる「P&Gマフィア」の様々な企業での活躍が目立ちますが、P&Gのアプローチを投資家向けのレポートの中心に据え、人材育成までその手法を踏襲する、とまでしたのはキリンビールが初めてではないかと思います。

もちろんそれは、その改革を全面的にバックアップをするトップ(この場合はキリンホールディングスの磯崎社長)の強いコミットメントとサポート、および社内からの反対意見に対する改革への断固たる姿勢を見せて初めて可能になることです。

そういう意味では、磯崎社長の凄さを感じつつも、果たしてそれは今後彼の後継者達が引き継いでくれる永続的な企業文化となるのか、という懸念もあります。
が、やっと日本のビジネスにおいて本来の意味でのマーケティングを企業に定着させられるための先駆け、というこの壮大な実験を、たとえそれが冷たい水の中を震えながら上っていくことになったとしてもぜひ続けていってほしい、と個人的には願っています。

ただ、「お客様主語」で「お客様は何を求めているか」を中心に議論し、戦略を進めている結果(?)として、最近見るキリンのビールも、発泡酒も、第3のビールも、RTD(チューハイなど他のアルコール飲料)も、広告の表現がみんな「有名人が飲んで『うまいっ!』と唸る」という、どれも似通ったものになってしまっているのがちょっと気になります。
差別化ではない独自化はそれぞれのカテゴリーには必要ないのかあるのか、これも今後の売上などの状況を注視していきたいと感じました。

以上、長い文章へのお付き合い、ありがとうございました。今後も引き続きご愛顧のほどを!

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