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【随想】秋の夜長にホラーな歌をあなたに…… ~「あわて床屋」をめぐる一考察~

じゃまなお耳は
ぴょこぴょこするし
そこであわてて
チョンと切り落とす……

「あわて床屋」より抜粋

泣く子も黙る、日本一怖い童謡はなぜ書かれたのか?

昭和を生きた日本人なら、誰もが一度は聴いた(かもしれない)童謡の、名曲中の名曲。

そう、「あわて床屋」です。作詞は北原白秋、作曲は山田耕筰。1923(大正12)年に発表されました。大正デモクラシーの華やかなりし時代に創られた、奇跡のような一編ですね(マジか)。

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北原白秋(1885〈明治28〉年1月25日 - 1942〈昭和17〉年11月2日)from Wikimedia Commons

Wikipediaには、「カニの床屋と、客であるウサギのユーモラスなやりとりが面白おかしく描かれており、子供達にとって親しみのもてる内容」という記述があります。まあ、至って無難なあらすじ。

しかしですね、自分には、このような子どもだましの一文では済まされない何かモヤモヤした謎が残るのですよ。「春はぁ~早うから」で始まるのどかな冒頭から、カニのオヤジが床屋やってます、と軽妙に宣伝され、微笑ましい展開になると思いきや……。

ウサギの客が登場した途端、カニの運命がガラリと一変するわけですよ。急かすウサギ、焦るカニ。中盤までのコミカルな雰囲気が、身の毛もよだつような悪夢的ホラーストーリーへと急展開してゆくのです。

カニさん、ほぼ無実ですよね⁉(まあ、客をつめ込んだ責任はあるかも……)誰が見ても、このシチュエーションでは、ウサギが明らかにモンスタークライアントですよね⁉ お客様は決して神様ではないではないよね⁉

そもそも、童謡がいくら子ども向けとはいえ、この歌を聞いた途端、泣きわめくよ? 想像力の豊かな子だったら。リアルに考えちゃうよ?


この人も……

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あの人も……

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こなた様も……

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かくいうわだすも……

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どや、きれいさっぱりしたやろ?

(そういう問題じゃない)


とりあえず、「あわて床屋」が生まれた背景を知る手がかりとなる情報源を、片っ端からググってみた。カニはなぜウサギの耳を切り、店は閉店させられ、カニ自身も岩の穴へと追いやられなければならなかったのか――。この謎を解きたい。解かねば、今宵は眠れない(というか、はよ寝ろ)。

愛すべき白秋先生の「あわて床屋」誕生秘話

ではさっそく、調査の成果を披露しましょう。結論から言います。全然ホラーじゃなかったです(苦笑)

テレビのアナウンサーが読み上げる実況中継のニュース風になっている記事があったり、はたまた南方熊楠ならぬ“北方猫熊”という明治時代の学者らしい学術的論考になっていたり、これがなかなかおもしろい。

そこで後者の中から、気になる記述を見つけました。

……北原白秋と床屋の奇しき因縁について記されている。
《白秋、小田原のなじみの床屋にて散髪中眠気を催し、居眠りしたところ体がピクと突然動き、耳を傷つけられたが、床屋のおやじ驚きもせず「切り落とすような腕じゃござんせん」と自慢したという》
<中略>
しかし白秋の傷はすぐに治って『あわて床屋』という童謡を作ったそうであるから、不幸中の幸いというべきだろう。

「あわて床屋考」2004年1月(大全その39)

なる~。「あわて床屋」の誕生は、白秋先生が行きつけの理容店でうとうと居眠りをしていたときに起きた「耳切り事件」に、端を発していたということか。この一見くだらないエピソードを、見事な歌詞へと昇華させてしまう白秋先生の天才もさることながら、この床屋のオヤジも、客の耳を傷つけておきながら自慢する度胸のデカさがハンパない……。脱帽!

どうやら、現代ならモンスタークライアント呼ばわりされかねない、耳を切られてブチ切れたウサギのブラック性だとか、不当なクレームにより、あえなく自分の店が倒産してしまったカニの悲劇の末路だとか、そういった社会的不条理の描写や、人生教訓を込めたような深イイ話では、特になかったというわけだ。ジャンジャン。

白秋先生が愛した小田原の町

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JR小田原駅の名物である、巨大な「小田原提灯」。2019年に発生した台風19号で破損が著しかったものの、2020年12月の再訪時には無事復活していた

タイムトラベル小田原」によると、北原白秋は1918(大正7)年、33歳のときに神奈川県の小田原町(当時、現小田原市)に移り住み、以来8年余りを過ごしました。白秋先生は文学者が好んで集ったこの小田原の町で、茅葺きの家の自宅を「木菟(みみずく)の家」と名づけ、城山公園付近の散策を楽しみ、幼い実子にも恵まれたことから、多くのインスピレーションを得たといいます。

一生のうちに書いた1,200編の童謡のうち、小田原で書き上げた作品はその約半数にも及び、「待ちぼうけ」「この道」などとともに、「あわて床屋」もその一つでした。

残念ながら、1923年に起きた関東大震災によって、白秋先生の自宅も半壊状態になる被害を受け、その後は東京へと転居しています。現在、小田原市内には、小田原文学館別館の「白秋童謡館」や「白秋童謡の散歩道」など、白秋先生ゆかりの場所が整備されています。

……なんだか、小田原観光局のガイドブックみたいになってしまいましたが、余裕で日帰りで行けるやんけ~!

白秋先生も常連で、「あわて床屋」のモデルになったという小田原市本町の「伊勢谷理容館」が現存し、今でも営業を続けているのだそうです。素晴らしい!

「あわて床屋の出来るまで」という、実話に着想を得た替え歌もありました。みなさん、「あわて床屋」愛に溢れていますね!

現代のアーティスト達がアレンジした「あわて床屋」変奏曲集

それでは最後に、ピヤノ顕子さんによる、ポップで自由奔放、そしてちょっとシュールな「あわて床屋」をお楽しみください。

矢野顕子 Official YouTube Channelより

このほか、由紀さおり&安田祥子姉妹のバージョンもおすすめです。こちらはYouTubeなどでは公開されておらず、iTunesとかでアルバム『ア・カペラ』に所収された楽曲をお買い求めください。ちなみに、自分は安田音楽事務所の回し者ではありません(笑)

ドリフで鍛えた(⁉)由紀さん独特の合いの手で、「いらっしゃいませ~」の掛け声が入るところなどは絶妙。必聴です。

だんだん頭のネジが外れてく~
外れてく~
お伊勢さんには まわりゃんせ ♪

おそまつ。
(雨情先生ごめんなさい)

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