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両親を選んで生まれてきたのだとしたら、その理由はなんだろう?💭☕️

タイトルの質問は、
「あした死ぬかもよ? 〜人生最後の日に笑って死ねる27の質問〜」
という本に書かれている質問の一つです🌱

本自体はまだ読めていないんですが、
質問だけ紹介してもらって興味を持ったので、

考えてみようと思います😌


結論、私は「愛されるため」に、
この親のもとに生まれてきたなと思います!💟

ここまで読むと、仲良しキラキラ夢家庭に
生まれてきたんだなと思う方もいるかもしれません。

確かにそういう見方もできると思うし、
実際、すごく恵まれた家庭環境で育ってきたと思います。

でも、贅沢な悩みかもしれないけれど、
愛されているがゆえに苦しかった部分もありました。
その部分も含めて考えてみようと思います😊


母はなかなか子供ができにくい体質だったようで、
私は待望の第一子だったそう。

その反動で、
いい意味では手をかけてもらい、
悪い意味ではかなり過保護に育てられてきました🍼


料理をたくさん教えてくれたり、
テスト期間に早く起きて一緒に勉強してくれたり、
高校生になってからも、家族で毎日トランプするくらい仲良しだったり...

とにかく一緒にいてくれる、大事にしてもらえている、
というのがいい思い出です☺️

そんな子供に尽くす親見ていたからこそ、
自分も「人に何かしてあげたい』と自然と思うようになりました。
自分の世話焼きな性格は、かなり親の影響を受けていると思います。

そういう姿勢を持っていたからこそ得ることができた幸せがたくさんあるので、
親からもらった子の価値観は本当に宝だなと思っています😌


でも、苦しかったところもありました。

「この子とは遊んじゃダメ」と、交友関係を制限されたり、
合唱コンのピアノ伴奏をやることになった時、
「失敗するのが心配だから、そんな大役やらないで!」と泣きながら言われたり。

『きほのため』という言葉から感じる、
自分のことを信頼してもらえていない感が息苦しかったです。

親の感情は自分への愛情の裏返しだということもわかっていたので、

「親の愛を苦しく思うことは、
今まで愛してもらったことに対する裏切りなんじゃないか」と自己嫌悪したりしました。

また、父親が鬱、弟が障害を持って生まれたこともあり、
幼い頃から家族を支えねばと思いながら生きてきました。

そういう環境要因もあり、家族の全員が互いに依存しあって成立している家庭だったため、
それも含めて苦しかったです。


親からの愛を通じて、
いい思いも苦い思いも経験したけれど、
やはり私はこの親を選んで生まれてきて良かったなと思います!

『自分は望まれている』という心の土台を作ってもらえたことはすごく良かったし、

愛することの素晴らしさと、
ともすれば独りよがりな依存になってしまう危うさ、
どちらも経験として理解して大人になれました。

親ゆずりの心配性でおせっかいな性格も、
なんだかんだ言って気に入っています🤭


自分はどんな親になるんだろう?と考えることがありますが、
やっぱり子供にたくさんの愛をあげられる親でありたいなと思うんですよね。

自分のあげたい愛ってなに?って考えるとまだ答えは見つからないんですが、
自分が親から受け取った愛と、自分の感じたことを思い出しながら、
少しずつ明確にして行けたらいいなと思います🌱


P.S. 💟←この絵文字平成ギャルみが強くてよい🥰

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