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実は忘れてない3rdアルバム『CLUB33』壮絶解説〜Debris〜

本日2本目でございます。
ここでCMです。なぜなら日付変わって本日がライブだから。


2022年7月6日(水)
二万電圧 presents CHAOS OF GATE

[PLACE]
東高円寺二万電圧

[ACT]
のろゐみこ/luin/THE NOSTRADAMNZ

[OPEN/START]
開場18:00/開演18:30
前売¥4000/当日¥4500(D代別+¥600)

[TICKET]
e+ プレオーダーA1〜(5/22 12:00〜6/5 23:59)
一般B1〜(6/19 10:00〜)


Lucci


「道化師のピエロ」をかみむらくんに歌ってほしくて作ったように、「Debris」はえんどうさんに歌ってほしくて、その前提で作った曲です。

前作の「たどりついた夜に」は、元々は自分で歌う曲として作ったものを歌ってもらったものだったので、今回でいつもと少し違う引き出しがまた開いた感じがします。

モチーフになったのは、昔えんどうさんがやってたTELEPHONICAというバンドの「アフターワールド」という曲です。
「アフターワールド」はぼくの作曲メソッドみたいなものにめちゃくちゃ影響を与えた曲で、「震えてる」なんかはモロに「アフターワールド」を意識して作りました。
ぼくは本当は、「アフターワールド」をノストラでカヴァーしたかったんですけど、大人の事情で難しいようだったので、ならアレに匹敵する曲をつくってやらあ!!!!ぶっ殺すぞ!!!!という気持ちで丁寧に作曲し、丁寧なデモを作りました。

そのため、ベースラインは「アフターワールド」から拝借している箇所がありつつ、歌わない前提で自分の中では難しめの動きをしているというか、Bメロなんかはラルクの「花葬」のサビのベースラインを意識していたりして、ここぞとばかりに本当は少し難しいのも弾けるんだぞアピールをしております。

あと、歌い方ってぼくの中で大きくざっくり2種類あって、「抜いた歌い方」と「張った歌い方」があると思っています。
前者はブレスの量に対して声帯をあんまり使わないというか、ウィスパーボイスまでいかないけど力いっぱいではない感じで、後者はブレスを全部声帯に当てて力一杯腹筋で押し出すようなイメージを持っています。
ノストラでえんどうさんが歌うときは、結構抜いた歌い方をするというか、多分ぼくが思いっきり張った歌い方しかできないので、敢えて抜いた歌い方してたのかなと思います。
あと、ぼくの中で前者はパステルカラーの水彩画という感じで、後者は原色をびっちり塗った油絵って感じがします。
例えば「ほころびて」の音源のAメロを聴き比べると、言ってるニュアンスが伝わるんじゃないかと思います。
今回は、敢えてえんどうさんに「限界まで張って歌ってほしい!」とオーダーしました。

というのも、彼ってサイコパスキャラだったし、考え方が数学的というか、ザ・理数系って感じで、「人の気持ちがわからないんだ」とも自分で言ってました。芯からめっちゃ優しい良い人なので、実際サイコパスではないんだけど、少なくともぼくとは違う世界を見てるんだろうなとは思います。特に「感情の動き」については、ぼくより遥かに客観的に、理知的に、数学的に捉えていると思います。
なので「Debris」の歌詞は、まるで世界から自分を切り離していた人が、喪失によって「感情」を初めて知った瞬間を描いたつもりです。
それは、ふだん「抜いた歌い方」の彼が「張った歌い方」をすることで、効果的に聴こえるんじゃないかなと思ったんです。

この歌の主人公は、ロボットなのか何なのかわからないんですけど、とりあえず感情というものを認識したことがないんです。
感情がないってどんな感じなんだろうと想像すると、例えばすごく嬉しいことがあっても「嬉しいという状態がある」と理解はしてるけど「嬉しい気持ち」は感じないってことなんだと思います。

知人に長年空手をやってた人がいるんですが、「痛みと感情とを切り離してる」と言ってて驚いたことがあります。例えば、相手に殴られたら、ぼくなんかは痛い!!と言ってうずくまって泣いちゃうんですけど、訓練を積むと「痛いと感じている」状態でありながら「うずくまって泣いちゃいたい気持ち」を無視して次の攻撃に移れるそうです。確かに格闘技とか見てると、失神KOとかじゃなければ痛がってるように見えないので、そういうことなんだろうな、と想像します。

これを感情に置き換えると、感情って形がなくて透明で香りや感触のない静寂でしかないんじゃないかと思うんです。
さらに、ヒトって本当は、物事を感情でしか捉えていないはずだと思うんです。
なぜなら、オギャアと生まれた赤ちゃんは、快か不快かの2つの感情しか持っていないそうなのです。
それが成長過程で分岐していくらしいのですが、たぶん語彙が増えて表現が細分化して、その感情がどんなものか認識できるようになっていくだけなんじゃないかと。
逆にいえば、言葉を体得する前の赤ちゃんにも「快」と「不快」と名のつく感情はあるはずだと思います。喜んだり泣いたりするし。
つまり、言葉と感情が結びつかなくても、認識したり表現したりできないだけで、感情自体はそこにあって、その在処こそが、我々が世界と呼ぶ場所なんじゃないかなと考えました。
だから、感情を認識できない主人公にとっては、世界は前後も左右もないような、真っ白で且つ透明な何かが永遠に続くような、つまりはつかみどころのない退屈なものになるんじゃないかと、ぼくは想像しました。

そして、共に過ごしていた誰かを何らかの形で喪失しても何も感じなかった主人公のもとに、ひとひらの星屑が落ちてきます。
それはおそらく、「Star tale」で君とぼくが繋いだ手の中にあった小さな星と同じもので、「Alexander」で探していたひとひらの光と同じもので、「Wonder world」の100万ワットや100万ボルトとも同じものだと思います。
誰かが悲しくて泣いていることですら「現象」と捉えていた主人公は、不思議な星屑のちからで、とんでもない衝撃をうけます。
初めて知った「感情」という衝撃的な感覚です。

ずっと、現象を理解するかたちでしか物事を捉えられなかった主人公にとって、感情は理解を遥かに超えるエネルギーを持っていて、空中を進む物質が光速に近づいて発光するが如く、無色透明無味無臭だったはずの感情は、きっと鮮烈で強烈な光を伴って感じられたと思うんです。
そして初めて、喪失を経験して慟哭し、涙で手を濡らしていたのが自分であることに気づきます。
かつて大切な人が歌っていた声は、ただの音ではなく、
初めて音楽として、歌として思い出されます。

でも、もう遅くて、もう歌を聴くことはできないわけです。

「Debris」って、破片とか瓦礫という意味があって、おそらくフクシマ関連で放射線デブリという言葉をニュースとかで聞いたことがあると思うんですが、あのデブリと同じ言葉です。
喪失をきっかけにひとつひとつ思い出すオモイデのかけらもそうだし、感情を得たことで壊れてしまった心もそうだし、閑散とした場所にパラパラと積もっていく何かを一つ拾いあげてみるような、そんなイメージのタイトルをつけました。

感情を持っているということは、残酷ですよね。
幸せを知ることは残酷です。
それを失う恐怖や、失った悲しみも背負わなければならない。

でもぼくは、だからこそヒトが過ごす時間を尊いものだと思っています。
「原罪論」にも「Smallchange」にも「世界と真実」も通じると思うんですけど、それ即ちぼくが最も言いたいことの一つなんだろうなと思います。


8ppy

でぶりす。なんつって。


このあと!『Debris』のLucciボーカルによるデモトラックを有料公開いたします。

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