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【雑記】ちがう仕方で。――表現と輪づくりについての覚書2


次のステップとしての個人誌を構想するにあたり、今まで苦手としてきた、「表現の引き算」に挑戦することを課したい。/ ちがう視点でのつづり方を試すことなしに、自分の慣れ親しんだ表現形態にばかり固執していては、私が個人誌を通じ表現したいテーマ――「おなじ、だけど、ちがう。いろんなちがいを、みとめあうこと。」はけっして実践し得ないと思うから。


 じめじめとした梅雨のはじめ、私はこのように綴った。「違う仕方で」表現の輪を結び直そうと思った。ただ、「個人誌」という、孤独な形での創作ばかりを頭に描いていた。疫病の恐怖に分断されたヒト社会の中で、どうやって誰かとつながれるだろう?と怯えていた。


 でも、いざひとりで制作に漕ぎ出そうとして、やっぱり、何度も怖気づいた。「わたし」だけで表現を結び直すのは困難だった。


 藁にすがるような気持ちで、おっかなびっくりしながら、寄稿募集をかけた。私は文字の世界では自信満々のように振舞っていることが多いけれど、内心では見かけより結構びびってる。それは今も、いつも、変わらない。

 ひとり、ふたりと声をかけてくれる人が現れ、断られるかもしれないとおそれを抱きつつ個別にお話を持ち込んだ方々からもあたたかく力強いお返事を頂けた。視野狭窄に陥っていた私の視界が開けていった。


 「わたしひとり」の個人誌になるはずだった「霊長類フリーマガジン」――「【EN】ZINE(エンジン)」は、たくさんの色で彩られていった。


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 私自身も、私自身に課した「宿題」に取り組んだ。企画「#さるのうた」で、「しゃべりすぎない」形でのうつくしさの表現を目指した。いくつかまとまりのある「作品」ができた。

 ちゃんと「引き算する」こともできるじゃん、私。少しだけ安堵した。




 「【EN】ZINE」は、特に昨年の暮れから、動物園・水族館の「楽しみ方」を半ば意識的に揺らがせていく中で、偶然出会った様々な人々の「語り」にも、多大な影響を受けている。

 日本モンキーセンター(愛知県犬山市)で2019年11月に開催された「SAGA22」、とりわけ2日目で登壇された「まもろうPROJECT-ユキヒョウ」に取り組む木下さとみさん(株式会社電通)のお話から受け取ったヒントは、「違う仕方で、違う人たちにも届けていく」という方向性を与えてくれた。

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 東京・表参道で2019年12月に開催されたトークイベント「なりわい・次の一手」を通じては、「公」と「私」の境界を揺らぎながら「やっていく」同世代の熱量に大きなインパクトを受けた。

 司会進行を務めていた瀬下翔太さん、松本友也さんらも参加されている創作集団「Rhetorica」のことは大学時代から注目していたものの、就職後しばらく遠ざかってしまっていた。あの場に身を置いたことで、新しい創作に向けた意志はより一層強固なものとなっていった。同時に、「Rhetorica」に集う人たちの輪にも再び魅かれていっている。

 2020年1月に偶然下北沢の書店で手に取った「ありふれたくじら」の影響も計り知れない。「リトルプレス」/「ZINE」という表現形態の豊饒さを教えて頂いた。著者である美術家、是恒さくらさんのトークイベントが下北沢の「ダーウィンルーム」で開かれたのは緊急事態宣言下の2020年5月だった。Web会議で参加し、表現がText/Textileとしてひらかれていく過程を一緒に旅しているような気分に浸った。



 3年以上私の趣味活動において軸となってきた「動物園・水族館と、そこに息づくいのちたち、まもろうとするひとたちの未来」への関心はそのままに、「違う仕方で」の表現へ、この1年近く私は視界をぐいぐいと開いていった。


 今度は、私が、私の「結び目」を作り出すときだ。

 「夏休みの宿題」にはある程度形を与えてきたけれど、最終的な提出はもう少し先だ。

 受け取ってきたものをバックボーンにしながら、つくるのは、楽しい。

 この気持ちを大事にしていたい。

 このさき創作活動ができないくらいしんどい試練に直面したとしても、創作に向かっているときの気持ちが、私と世界とのあいだに、あるいは私とヒトの輪とのあいだに橋を架ける、「結び目」になってくれると思うから。



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