【雑記】踏み出せない日常を生きる(あるいはハンバート ハンバートへのラブレター)
昨年の夏ごろから、ハンバート ハンバートの音楽にずいぶん救われてきた。
8月末に閉園間近のとしまえんで開催されたライブ配信を視聴して虜になった。12月末の渋谷公会堂(LINE CUBE SHIBUYA)からのライブ配信も心の支えになってくれた。
ライブの場面だけではなくいま私は、過ぎてゆく日常の中で届けられるこのデュオの音楽に心惹かれている。
毎週youtubeで配信されている「みんなのFOLKへの道」は、いまの生活の中での楽しみのひとつだ。春夏秋冬すがたを変えていく庭で、夫婦でもあるふたりの何気ない会話からその日の一曲がはじまる。とりとめもない話題を交わせるということそれ自体がふたりの関係性を明るく照らし出す。
普段のやり取りをずっと聴いてきたからライブの場面で繰り出されるふたりの掛け合いにもほっとできる。非日常的な祝祭の場にも日常が織り込まれている。
ハンバート ハンバートの楽曲は、あたたかくやさしい。ロックチューンであってもちっとも攻撃的ではない。佐野遊穂さんのハーモニカも佐藤良成さんのギターも、心地よく響く。
しかし、よく歌詞に意識を傾けると日常から一歩外に出ていくことの困難さが随所から溢れている。やさしいけれど底抜けに明るいだけではない。だからいい。
想っているひとに思うように会えなかったり、勇気がうまく出なかったり。
何かを創り届けようとしても表現が、ことばが出てこなかったり。
うたや物語のようにはっきり割り切れないのが日常の手ごわいところでもある。日常にまったく倦まずにいるのはむつかしい。かといって、いつでも日常の外に踏み出せる訳じゃない。だからこそハンバート ハンバートの楽曲は味方になってくれるように感じる。
日常が閉塞性をふたたび増していく中で、心おきなく「ここではないどこか」へ往来できるようになる日をもう長いこと待っている。けれど、日常をやり過ごしている時の気持ちにハンバートハンバートの楽曲は寄り添ってくれる。これからも助けられる場面が幾度となくあるだろう。恐れすぎず、ふたりの楽しいお喋りを聴きながら、どーんと構えていよう。
となりの芝が 青かったら/うちの庭には 花をうえよう ――アセロラ体操のうた