母の揺れる思い

母が乳がんとわかってから全摘手術決断までは、あっという間だった。

手術は、10月初旬と決まった。

常に気丈なふるまいだった母に、こまめに電話をするようになった。
と、ふと、ある時、母の声が止まった。
『あなたと話しているうちに、涙が出てきちゃった・・・』

気丈な裏側に、癌という自分の親族を死に追いやった病魔への恐れ、心細さはきっとあったはず。少し時間が経って、自分の身におきていることを冷静に、客観的に受け止め、やはり『癌』という事実に、気持ちの整理は追いついていかなったのではないか・・・。

そんな時、あの有名な女優「樹木希林」さんが亡くなった。彼女は最終的には全身に転移したとのことだが、最初の癌は乳がんだった。
ふと自分の母の姿と重ねてしまい、心が乱れた。

樹木希林さんは、癌であることは、自らの死に対して準備ができると、終活をしていたとTVで拝見した。

毎月一つづつ自分の持っているものを廃棄し、誰に何を与えるのか・・・遺言状を作成したか否かは不明だが、着実に自分の人生の畳む作業を進めていた。

そういえば、癌が発見される前に、母もたくさんあった着物を処分するべく、荷物を整理し始めると言っていた。私には自分の訪問着を引き取るようにと。茶道、華道を楽しんでいた母は、着物が好きで、新しい着物や帯を新調した時には、嬉しそうに見せてくれた。なのに、もう着物もいらないと言い出したのは、1、2年前のことだった。

乳がんは、初期であれば5年生存率が95%以上という高い確率で予後が良いとされている。母がこれから5年生存できるとすれば85歳だ。

亡くなる年齢に妥当性はないが、娘としてはもう少し長く生きて欲しいと願っているのが本音だが、これからの5年間を母とどういう関係性を作り、彼女の人生の終わり方にどう寄り添えるのかを考える時期に来たのかもしれない。

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