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かるがも団地『秒で飛びたつハミングバード』で「休む」を取り戻した

かるがも団地の公演を見るのは2回目。しかも今回も配信。理由は、電車の乗り換えをするパワーが今の私にはないから。

劇場に毎週のように通っていた自分からすると考えられないくらい、演劇を劇場で観ていない。電車に乗る元気もなければ、演劇を外で観て家に帰れるぐらいの体力が残っている自信がない。私が演劇を好きなのは、その場でダイレクトにあらゆる感情が受け取れるからなのだけど、今は、その感情を受け取るのではなく飲み込まれてしまう気がして、なんだか怖いのだ。

そんなわけで、コロナ禍によってたまたま増えた選択肢である配信には、かなり助けられている。自室にいれば、例え感情に飲み込まれてもベッドにばたりと倒れてじっとすることができる。外で動けなくなるという不安を抱えてる人間にとって、自室で演劇を観られるのはかなり嬉しい。 

それで、かるがも団地の『秒で飛びたつハミングバード』も、ベッドの上で抱き枕を抱えながら観た。

3話構成の中で最初に注目されるのが仁科くん。彼がどうにか眠りから覚めたときの姿と、そこに重なるように発されるストーリーテラーのような絵莉子さんの

「できればずっと寝ていたい。どこにも行きたくない。俺の一日は溜息からはじまる」

という言葉で、ああ、これは私なのか、と思った。乱暴な解釈だけど、仁科くんは私になった。仁科くんは、歯医者に行って治療を提案されても、「80歳まで生きる予定ないんで」と帰ってしまう。やっぱり仁科くんは私だった。話が進むと、仁科くんは2022年に30になりそうということが分かる。仁科くんは私、確定。

なのでこの作品は、私は仁科くん視点で結構観ていた時間が長かった。唯一相容れないのは、同棲とか結婚とか、"30歳"になると周りで多発することを仁科くんが幸せアピールだるいって愚痴っているところ。

実生活で確かに、普通にパートナーがいたり結婚したり子供産んだり、っていうことが増えてきて、おおーみんな大人みたい、と思っているのだけど、焦りより寂しさが多い。これは後ほど描かれてもいたけど、なかなか人と集まりにくくなる。何故なら、私より優先すべきものがある人が多くなるということでもあるから。じゃああなたもそういう相手を探せば?となりそうだけど、そういうのとはまた違うんだよなぁ。

そんな腐った仁科くんが、腐りきった言葉をバードウォッチング中の絵莉子さんに投げたとき、絵莉子さんの背景も見えてくる。私はここで、仁科くんが彼女のバードウォッチングに興味を示してくれて本当に嬉しかった。あそこで「いや、いいっす」ってなってたら仁科くんは腐り道一直線だったと思う。


というところまでガッと書いて放置していたんだけど、これはまだ一話なんだな。なのでもう少し好きだったことをまとめて早歩きをします。

【一話】
・仁科くんが「にこにこわんぱくメンチカツ弁当」って言ってちょっと笑われるのが、私の自意識過剰と反応して、うっ笑われたってダメージ受けてた。
・仁科くんに、研究者になれそうって投げやりに言われた絵莉子さんの「やっぱりざらなんですよね。私くらいの人間ざらにいるんです。」が痛かった。心がシクシクした。
・「せっかく頑張って生きてくれたのに。昔の自分にがっかりされたら悔しいじゃないですか」で再生止めてちょっとだけ泣いた。

【二話】
・畠中と絵莉子さんの職員室でのやり取りが可愛い。
・「2022年12月は人生やり直すためのプライド全捨て月間」とした仁科くんの素直さ、本当にすごいし偉い。プライドはなかなか全捨てできない。でも彼の生命力を感じて、私も頑張ろうと思った。
・畠中の「癪だ!あなたたち果てしなく癪だ!」というセリフがすごく好き。癪な時に「癪だ!」と言いたい。
・晃希さんのワーカホリックな感じ、見覚えある。私だ。なので、仁科くんの「仕事に関係ないこと、たまにはやってみたら」がまじで心臓貫通でした。
・絵莉子さんが陽くんに「アッキーは自信が欲しいんですよ。歩いてきた道を一緒に見返して、大丈夫だよって言ってくれる人が欲しいんです」と教えた時に、あっ、晃希さんってやっぱり私なのか、と思った。この時初めて、そういう人がいてくれたら確かに嬉しいな、と思った。晃希さんがうらやましかった。

【三話】
・絵莉子さんがハチドリを見るのを諦めるために沢山の言い訳をするのが悲しかった。でも、彼女にはあの沢山の言い訳がとてつもなく必要なことも、あとあとになって分かってきた。祈り続けても叶わないと知った時に、その祈りを諦めるのは本当に苦しい。
・仁科くんが就職して、「できることが増えていくのは嬉しい」「誰かの役に立てるのは嬉しい」「この世界に、自分はいていいのだと、ちょっと思える」という語りが入るの、あああ仁科くんやっぱり私みたいだと思った。私も日々それを感じている。すごく分かる。だから仁科くんがだんだん、仕事以外のことに目を向ける時間が減っていくことも、すごく分かった。私は今でも同じようなことをしてしまっているから。
・東先生の「でもある時ふっと気が付くの、あれ、なんか大人みたいになれてるかもって。」という言葉で、また一時停止してしばらく泣いてた。


以前観た、かるがも団地さんの『なんとなく幸せだった2022』でも、あっ、このシーンのこの人私みたい、みたいなのを何度も思って、それはその時に書いておいたのだけど、

あれは10代から20代前半ぐらいのお話しなので、似てるとはいえ距離があったのだけど、今回の『秒で飛びたつハミングバード』は30歳前後の、私にかなり近い人たちの話なので、登場人物がとても近くにいた。透明人間になって彼らと同じ目線で物事を見ている気持ちになった。なんなら入り込んだりした。

友人に言われて、今でも意識しているのが、余暇を楽しむということ。私は就職直後の仁科くんや、寝る前にも論文を読んじゃう晃希さんのようになることが多々ある。趣味は沢山あるけれど、私は仕事が立て込んでいるとついそれを優先してしまって、本も読めない、映画も見れない、演劇も見れない、友達とも遊べないような生活をしてしまう。仕事と仕事の隙間時間に、細々とした仕事をする、みたいなことを平気でやる。

仁科くんも言っている通り、仕事をしていると、この世界にいていいんだ、と思える。私はデフォルトの自己肯定感がものすごい低いので、仕事があると、社会に存在していい理由を貰えている気持ちになる。存在理由がせっかく社会側から与えられているのだから、それに応じないというのはありえない。しかも仕事が楽しい。楽しいことを仕事にさせてもらってるから、頑張らなきゃと思う。

ただ、それをやりすぎると、寝ようとしてベッドで横になった瞬間、真っ暗闇の中に飲み込まれてしまう。自分の内面が置き去りにされて、怒っているようだった。

そのことに、この舞台を見て気付いた。余暇の話をしてくれた友人と、仁科くんのおかげで、時間を作って美術館に行ったり、ゲームをしたり、本を読んだり、人と話すようになった。そうすると、真っ暗闇に飲み込まれることは減ったし、日常で「楽しい」と思うことが増えた。

奇妙に感じるかも知れないけど、余暇というのは、外側の私と内側の私が一緒になれる時間なのだ。仕事をしすぎると自分の外側だけが大きくなって、内側の自分との距離がどんどん開いていってしまう。その状態は、精神衛生的にあまり良くないから、なるべく近くにいたほうがいい。

一人ではなく、一緒に遠いところまで行きたい。15歳の私に、こういうところまで見えるようになってきたよ、って景色を見せたい。大人みたいなことしてる、とか言ってないで、大人になったからできるようになったことを総動員して、私が私を肯定してあげたい。

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