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頭いっぱいいっぱい、文章編

この私が、というのも変な話なのだけど、この私がほとんどTwitterを見ていない。というか、見られなくなってしまった。
文章を読むのは好きだから、noteとか個人的に読んでるブログとかは読めるときに読むのだけど、Twitterはなんだか、情報が波のように襲いかかってきて、しかも文字が頭の中で大きめの声で聞こえてくるので、今ちょっと私には無理です!!ということが格段に増えてしまった。

私は文章を書く仕事をしているけれど、その割に脳内の文字処理キャパシティが多分そんなにないので、自分がいっぱいいっぱいになっていると、文章を書くために文章を読んでも、そこに何が書いてあるのか意味が分からなくなってしまうことがままある。
そういう時、脳内に沢山のひらがながぎゅうぎゅうに詰まっている様子が浮かんでくる。もうこれ以上ここには文字は入りません!ひらがな一文字も入りません!という様子を想像すると、そしたらしょうがないか、と思って、脳内のぎゅうぎゅうのひらがなを減らすために少し休もうと思える。discordで人と喋ったり、何度も聞いているラジオを流したり、ぼんやりと動画を見たりする。脳内に文字が増えてしまうから、本は読めない。

言葉が好きだし、文章を読むのも書くのも好きだから、Twitterが読めなくなったり、文章を読んでも意味が全く分からない状態に陥ることがある、という事態に直面したときは、余程疲れているのだろうなと思った。
まあ疲れてもいるのだろうけど、私は内省するときにものすごく沢山頭の中で喋るので、仕事でも文字に触れ、プライベートでも文字を畳み掛けているのだから、そりゃあ脳内にひらがながぎゅうぎゅうに詰まってしまっても仕方がないかと思う。

とはいえ、言葉を使ったゲームはできる。ボードゲームアリーナで『イラストリー』をやったり、コードネームオンラインをやったりするのにハマっている。むしろそれをやることで、脳内にぎゅうぎゅうに詰まっているひらがながぽろぽろと流れていって、何かを読んで何かを書く流れが戻ってくる感じがする。

こういうnoteを書くのもそう、ひらがなが頭に詰まっているから、少しでも出してあげないといけない。最近、長い付き合いの人のラジオにゲスト出演して他愛もないことを喋っているのだけど、それも脳内ひらがな圧迫を防いでくれている。

文章を生業にしている人間が文章を読めなくなるというのはどうなのか、と自分のキャパシティのあまりの狭さに怒りを覚えたりするのだけど、パソコンみたいにメモリ増設もできないので、こうやって文章を書いて頭いっぱいいっぱいを回避していくしかないんだろうなと思う。

ちなみに「頭いっぱいいっぱい」は、ガクヅケの船引さんがよく使う言葉で、私はこの言葉を知ったことで、自分の何もできなさに名前をつけられて対処できるようになったので感謝している。

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