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読書録8 不毛地帯

<読書録8>
壱岐正の運命に翻弄されながらも必死に自分の人生と向き合い食いしばる姿勢に心を打たれたものだった。そして読了後はこんな旅行プランを立ててみたりしたきっかけとなる本でした。


まずは不毛地帯にもでてきた?(かなり昔に読んだので忘れました(笑))
ハバロフスク - リストヴャンカ村日本人墓地に行ってみたいと思うようになった。
「日本人死亡者慰霊碑」シベリア等で抑留中の約6万人死亡者の慰霊と恒久平和祈念(日本政府1995年7月建立)である。

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それがきっかけでポーランド孤児の話を知るようになり、ワルシャワにも一度行ってみたいと思うようになった。(もちろんアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所にもまだ行った事がない)

「多くのポーランド人が日本に救われた。知られざる1920年の感動秘話」

要点だけ抜粋
・ポーランド孤児救済委員会
・シベリアは長い間、祖国独立を夢見て反乱を企てては捕らえられたポーランド愛国者の流刑の地だった。
・女史の嘆願は外務省を通じて日本赤十字社にもたらされ、わずか17日後には、シベリア孤児救済が決定された。独立間もないポーランドとは、まだ外交官の交換もしていないことを考えれば、驚くべき即断であった。
・横浜港から、祖国へ向けて出発する際、幼い孤児たちは、親身になって世話をした日本人の保母さんとの別れを悲しみ、乗船することを泣いて嫌がった。埠頭の孤児たちは、「アリガトウ」を繰り返し、「君が代」を斉唱して、幼い感謝の気持ちを表した。
・イエジ・ストシャウコフスキ少年と「極東青年会」
・1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻の報に接するや、イエジ青年は、極東青年会幹部を緊急招集し、レジスタンス運動参加を決定した。イエジ会長の名から、この部隊はイエジキ部隊と愛称された。
・イエジたちが、日本語で「君が代」や「愛国行進曲」などを大合唱すると、ドイツ兵たちは呆気にとられ、「大変失礼しました」といって直ちに引き上げた。
・私は生きている間にもう一度日本に行くことが生涯の夢でした。そして日本の方々に直接お礼を言いたかった。しかしもうそれは叶えられません。しかし、大使から公邸にお招きいただいたと聞いたとき、這ってでも、伺いたいと思いました。何故って、ここは小さな日本の領土だって聞きましたもの。今日、日本の方に私の長年の感謝の気持ちをお伝えできれば、もう思い残すことはありません。
・阪神大震災の後に、実証された。96年夏に被災児30名がポーランドに招かれ、3週間、各地で歓待を受けた。

「日本人はわがポーランドとは全く縁故の遠い異人種である。日本はわがポーランドとは全く異なる地球の反対側に存在する国である。しかも、わが不運なるポーランドの児童にかくも深く同情を寄せ、心より憐憫の情を表わしてくれた以上、われわれポーランド人は肝に銘じてその恩を忘れることはない」

ワルシャワにはこれに関する記念碑などが点在するそうです。

さてさて、読書録から少し話が飛びますが出張中に堺市の浜寺公園にある石碑を見る機会もあり、イスラエルに行きヨセフ・トランペルドールについて聞いてみたくもなった。

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旅順の戦闘で片腕を失った勇敢で知性のあるユダヤ系ロシア人ヨセフ・トランペルドールは、浜寺に収容された。そして、ある日本兵から聞いた「祖国のため死ぬことほど名誉なことはない。」という言葉に感銘を受け、かつてユダヤ人の国があったイスラエルに祖国を作るという強い思いを持ちました。彼は同じ思いを持つ有志を集めイスラエルの地に入り、建国のために戦います。そして、テルハイという地で銃弾に倒れ、「俺にかまうな。祖国のために死ぬことほど名誉なことはない」と言ってイスラエル建国の英雄となったのでした。(参考資料:ゼエヴ・ジャボチンスキー

ちなみに藤森かよこさん曰く「イスラエル行くべし!ですよ。世界の中心は、あそこですよ。」とのことです。(藤森かよこさんって誰?と思った方はこのノートの一番下をどうぞ。少し紹介があります)
エルサレム旧市街・岩のドーム・嘆きの壁とか行きたいですが最近目についたのはまたもや藤森さんのツイートから引用
イスラエルのタルピオットは、陸軍中野学校を超ハイテックにしてイノベーション志向にした超エリート軍団。この組織は秘密だったけど、最近は表舞台に立ってる。いよいよNew World Order始動か。ダボス会議御用学者のひとり石倉洋子氏が著者のひとりです。
引用おわり。
タルピオットを読んでから、ハイファのイスラエル工科大学(テクニオン)やエルサレム・ヘブライ大学にも行ってみたいもんですな~、、、

とか考えているとそういやうちの地元の飲み屋にあつまるメンバーに「ガザの空の下――それでも明日は来るし人は生きる」藤原亮司さんがいたことを思い出す。彼はこんな本を書いた戦場ジャーナリストさんです。あっしとの接点はこんなかんじ。そうだ、せっかくだからガザにも行ってみたい。両方からあの地区を見て見たいなぁなんて。

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で話はもどり藤森さんとツイッターで会話しているうちにウズベキスタンがでてきましたが、ウズベキスタンも不毛地帯の関連から広がり一度行ってみたいという国でありました。ナヴォイ劇場日本人抑留者記念館やヤッカサライ墓地にも行き、歴史の確認をしてみたいと。

ナヴォイ劇場(ウィキペディアより抜粋)
1)建築に詳しいものならすぐわかるが、レンガを積む技術は1000年ほど前から確立しており、いまもなお現存しているのは日本人の仕事ぶりが非常に丁寧であったことは間違いない。1966年4月26日のタシュケント地震では、78,000棟の建物が倒壊するもナヴォイ劇は無傷であり、市民達の避難場所としても機能した。

2)1996年、ウズベキスタン大統領イスラム・カリモフが、建設に関わった日本人を称えるプレートを劇場に設置した。その際の指示は「彼らは恩人だ、間違っても「捕虜」と書くな」というものであった。プレートは、ロシア語、日本語、英語、ウズベク語で書かれ、日本語は「1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイー名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。」と書かれている。

3)建設時、懸命に作業する日本人に対して地元の子どもから食べ物の差し入れが行われたが、彼らに対して木のおもちゃをお返しするなど劣悪な環境でも礼儀を忘れなかった。

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とか書いているうちに不毛地帯どこいった?って感じですが、まぁいいや(笑)
そして最後は台北の明石元二郎の鳥居をくぐり日本に帰るという旅行?旅?がしたいなと思わせるきっかけとなる本でした。


最後にいつもお世話になっている藤森かよこさんの著書の紹介

「馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください」

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男性が読んでも納得の良本です。
(以下出版社より)
死ぬ瞬間に、あなたが自分の人生を肯定できるかどうかが問題だ!学校では絶対に教えてくれなかった!元祖リバータリアンであるアイン・ランド研究の第一人者が放つ本音の「女のサバイバル術」

ジェーン・スーさんが警告コメント!!
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これは警告文です。本作はハイコンテクストで、読み手には相当のリテラシーが求められます。自信のない方は、ここで回れ右を。「馬鹿」は197回、「ブス」は154回、「貧乏」は129回出てきます。打たれ弱い人も回れ右。書かれているのは絶対の真実ではなく、著者の信条です。区別がつかない人も回れ右。世界がどう見えたら頑張れるかを、藤森さんがとことん考えた末の、愛にあふれたサバイバル術。自己憐憫に唾棄したい人向け。

藤森かよこさんのツイッターはこちらから


最後までお読みいただきありがとうございました。

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