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親父との最後の日々の事

9月8日、家に帰ってきたらいつも「おかえり」と言う親父の返事がなかった。一瞬びっくりしたが、いつもの介護ヘルパーのAさんが親父の体をさすりながら熱を測ってくれていました。体温は37度。最近あきらかに食欲も落ちているので、念のため訪問看護ステーションに連絡しました。一瞬、様子を見にきてほしいと考えましたが、翌日の午前中にやまと診療所の往診を控えていることもあったので、「まあ許容範囲、大丈夫ですよね」と話をして電話を切りました。

それから、Aさんと相談して、最近気になっていたユニクロの新商品の前あきTシャツを3枚ネットから注文しました。

22時ごろ、まだ部屋の明かりがついていたので声をかけました。(いつものように手元にあるけど)明かりを消すリモコンがないと言うから、直接渡して自分で消してもらいました。部屋を出るとき後ろから「おやすみ」と声がかかってきて、(2階にある自分の部屋への)階段をのぼりながら、小さな声で「おやすみ」と返しました。今となってはこれが最後の会話。どうせなら大きな声で「おやすみ」と言えばよかった。

9月9日の朝方(おそらく5時頃)、一階から「ガタン」という音が聞こえました。まあ最近よくリモコンやらコップやらを落としていたので、気にせずまた眠りました。

7時過ぎ、一階におりて、洗面所でいつものように顔を洗いひげを剃り、それから親父の部屋をチラッとのぞきました。いつもなら電気をつけている時間ですが、まだ暗い、、、。まあ最近寝てる時間が増えていたので、まだ寝てるだろうと思い、いつものように近くのコンビニに出ました。コーヒーとパンを買って歩きながら、まさかな、、という気持ちがありました。家に戻り手を洗い、もう少し部屋の扉をあけて親父を見てみました。いつもは身体全体を使った大きな呼吸で動きがあるのに、まったく動いていませんでした。

私は先ず落ち着こうと、自分の部屋に戻りました。パソコンでいつもの朝のメールを読みながら、パンを食べてコーヒーを飲みました。そうこうしているとヘルパーさんが来てくれたので、すぐに玄関に行きました。そこには信頼している介護ヘルパーHさんがいて、内心ホッとしながら、冷静を装いながら「親父の様子が変なのです、、、」と伝えました。すぐに部屋に入り手首を触って、脈がないですねと言ってくれました。ヘルパーさんは親父の体を真っすぐにして、汚れているものを取り換えて、、、といつものようにテキパキと身体介護をしてくださりながら「診療所に電話しましょう」と。私はハッと我にかえり、やまと診療所に電話しました。主治医のO先生から「すぐ出るので9時過ぎぐらいに着きます」と言ってくださいました。それから、弟に電話して、「親父が呼吸をしていない、いまから診療所の先生に来てもらう」と事実を伝えました。担当のケアマネージャーさんにも電話をして、お昼以降のケアサービスが全て止まりました。

9時過ぎ、O先生が到着しました。日時を確認し、面と向かって死亡宣告を受けました。この瞬間、素直に私は親父の死を受け入れました。

先生に促されておなかを触ったら、まだ温かかったのです。数時間前まで生きていたと思うと、あの時下に様子を見に行けば、最後に言葉を交わせたのかもしれません。

ひと通りの話が終わり、10時頃、診療所の皆さんを見送る為に外にでたら、まぶしい太陽の明かりにあたりました。ものすごくものすごく、日差しが暖かかったです。これから、生きている方の家に向かうとは、なんて幸せなことなんだろう、と心底思いました。

12時近くなり、ご飯を買うために近くのコンビニへ。なぜか何にも決められず、30分ぐらい店内をうろうろしていました。。

午後、友人が紹介してくださった葬儀屋さんと打ち合わせをしました。

夕方、弟も家に到着。不思議と安堵感がありました。夜には写真立てと花瓶を買って、ファミレスで親父の話をしながら一緒にご飯食べて、その日は親父の亡骸と私と弟と、久しぶりに一つの家で寝ていました。

9月10日、近くの花屋さんに行って、棺に入れる花束をお願いしました。その後、納棺師さんが来てくれて、ひげを剃り、髪を整えてくれました。びっくりするほど清潔感のある姿になりました。

ネットで注文したユニクロの前あきTシャツも、この時に届きました。こういう形で受け取る商品って、少し悲しい。

夕方、亡くなる前夜も来て下さっていた介護ヘルパーのAさんが、花を持って訪ねてくれました。親父とAさんのやりとりを見ていたので、声を聞くと親父を思い出します。花は今でも、遺骨の傍に。

9月11日朝、頼んでいた花をとりにいく途中、介護事業所からさっそうと自転車で出発するヘルパーのHさんと運よく遭遇しました。亡くなった直後の体をきれいに整えてくれたHさん。弟と一緒にお礼を言う事ができてよかったです。

火葬を終えてあっという間に遺骨になった親父。家にもどり、遺骨を置いたら、車で群馬の弟の家に向かいました。

夜は弟が好きなお店に行って食事。終盤は酔った勢いも手伝ってか弟が号泣。お店のおかみさんも涙。このお店が弟にとって心許せる、大切な場所なのだとわかって嬉しい。

9月12日、弟と車で「吹割の滝」を見に行くことに。車内ってなんとなく話がしやすいから不思議です。食事の時よりいろいろな話をした気がします。足利に戻って一緒に蕎麦を食べて、午後には電車で東京の家へ戻りました。

家に戻ると、親父の遺骨と二人の生活。数日前までたくさんの皆さんが出入りして下さり、物音がしていた騒がしい家が、急に静かになってしまいました。

ふと、人生で一番やりとりをしたおやじからのメッセージを見返していました。

「(家に戻り)介護ベットで眠りたい」

「家に戻れるのはうれしくもある」

これで良かったのかな?

最後、あんまり優しく接することができなくてごめん。

僕は親父に生かされてきました。

今までありがとう。

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