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若いうちからいろんな大人に出会った方がいい話‐成人の日によせて‐

新成人のみんな、おめでとう。
若い人をみるとなぜか期待をよせてしまう。自分が年齢を重ねてきたからか、年下の後輩を可愛がるようになった。今の自分にないキラキラとした姿がそこにあるからだ。

そんな新成人に贈りたい言葉がある。

滄海の一粟そうかいのいちぞく

大海原に浮かぶ一粒の粟にたとえて、人間というのは宇宙規模で見ればちっぽけな存在であるという意味だ。いうまでもなく、中国の故事成語だ。なぜ中国の故事成語はこんなにスケールの大きい話になるのか。日本のことわざにたとえるなら「井の中の蛙大海を知らず」といったところだろうか。

と、何者でもないごくごく一般人の僕に祝辞されても何も感じないだろう。スティーブ・ジョブズやビル・ゲイツといった先人たちの言葉を引用したとしても、なんどもこすられている引用は響かない。

どんな式典においても、どこのだれかわからない来賓の祝辞を聞いてもなにも響かないだろう。その点、近畿大学の卒業式ともなれば、OBでもなんでもないキングコング・西野さん、ピース・又吉さんなどを登壇させてスピーチさせるのはすごい。

そんな何者でもない僕の話に少しだけ耳を傾けてほしい。若いうちからいろんな大人に出会った方がいいメリットについて。

僕が成人したとき、式にも行かなかったし、友だちとも会わなかった。次の日、大学の大事なテストがあって勉強していたからだ。今でも行かなかったことは後悔してない。僕の中で漠然とだが「大人になった」気がしてなかった。何かあっても親の手が借りられると思ったからだ。そう考えているうちは、僕はまだ大人になれていなかった。

大学卒業が近づくにつれて、社会人になることに対する漠然とした不安があった。ついこの間まで大学生だった僕が、いきなり社会に放り込まれてしまうことに、一抹の不安があった。

「社会」だとか「社会人」という曖昧で漠然とした属性で人を括るからこうなるのだ!

とまで思っていた。ちなみに今も思ってる。

今思えば、学生時代後悔してることといえば、もっといろんな大人に出会えてればよかったということ。

僕はといえば、月〜土まで授業。週4日のアルバイト、そしてたまのサークル活動に明け暮れていた。そんな生活をしていたら出会うはずの出会いがないのは当然だ。アルバイトも塾講師で、まわりも同じ大学生。唯一の大人は塾長だ。同じ境遇、生まれや育ち、価値観、感性が似通った大学生とばかりと行動しているから、いつまでたっても人間として成熟しないし、似通った者同士だから日々の生活に刺激がない。

「俺、来週の月曜日の2限休むからプリントもらっといてくんね?」

「ごめ〜ん、ノート貸して〜」

とか、そんなことしか話さないような大学時代の友人とは就職を期に連絡を取るのを辞めた。時間を割いて人と会うのは僕なりに労力を要するからである。

大学4年生のころ、大学院進学が決まって余裕のできた僕は、学習支援指導のボランティアを始めた。少し遅れたけど、もっと自分の生活に刺激がほしかったのだ。そこには僕と同じような同年代の学生はおらず、ほとんどが30代や40代の大人たちだった。あまり深く相手の出自に詮索しないように、僕はいろんな大人と話していた。とても新鮮なことのように思えた。そこには社会人になっても夢や目標をもっている人、自分の好きなことや趣味に全力を注いでいる人、生きてる年数が長い分、見聞・見識・知見が僕とは天と地の差だった。

育ってきた環境、年齢、性別、価値観、感性の違う大人たちと交流していくうちに、僕は人生のレールが切り替わった音がした。

自分の見聞、見識、知見を広めてくれたのは紛れもなく、周りの大人たちだった。まだ僕が若いという理由で周りの大人たちに可愛がってもらえた。ボランティアの活動日とは関係なく、「○日、みんなで食事会するけど君も来ない?」と食事に誘ってくれたことあった。ものすごく嬉しかった。

「いや、その日アルバイトでして…」

「その日は大事なサークルの用事が…」

とか言ってるようではダメだ。大人からすれば忙しい大学生に価値はないと思った方がいい。

歳上の大人からの誘いは何がなんでも時間を空けて行くのだ。学生時代に歳上の大人たちの誘いは紛れもないチャンスの場なのだ。自分の価値観や感性、生きていく術を高めるために、僕はこういった大人との交流には積極的に参加していた。

若いうちから大人のいろんな生き方を知っておいた方がいい。できれば生身の人間と出会って感じ取ってほしい。見知った人たちだけの閉ざされた世界で満足に暮らしたい人は、こういう大人の社交場に行きたがらないだろうが、チャンスを逃しているのは間違いない。学生時代から大人たちとの出会いがあるかないかで、その後の選択が大きく変わると思っている。

今、僕や彼らがいるこの場所での存在は滄海の一粟なのである。自分よがりで閉ざされた世界で生きていても、得られるものも得られない。「いや、俺は誰にも頼らずフリーでやっていくぜ!」という考えはあってもいいが、それは大人になってからにしよう。大学生のうちから壮大な夢は語ってはいけない。

僕は常々思う。「10年後どうなってるか」とか今後のキャリアプランについて訊かれても困る。来年どうなってるかわからないのに、そんな壮大な質問されても来年の自分すらわからない。毎年毎年不安の中で過ごしてる。

コロナを期に世の中のいろんなことが変わったのはご存知のこと。飲食店が廃業に追い込まれたり、観光・旅行業界も採用活動をストップしたりした。「将来、CAやグランドスタッフで働きたい」という夢があっても1年後先にコロナ禍でこういうことが起こることは誰も想像できなかったことだろう。たかが数年でこんなにも世の中を変える出来事が起こることなど、誰が想像できたことだろうか。だから僕は、漠然とした数年後の未来について考えるのは辞めることにしたのだ。そのときそのときで最良な選択をするしかないのだ。自分よがりな考え方にならないように、いろんな人の話を聞いたり勉強したりもするが、僕にはまだ経験値が浅いことを思い知る。それは振り返ってみると、学生時代にいろんな大人と出会えていれば…と後悔ばかりしている。

自分を卑下する必要はないが、自分自身のことを滄海の一粟という自覚をもたなければならない。それは逆に外の世界がわかれば、そこに活力やエネルギーが湧いてくることだろう。もっとエネルギッシュで活発な大人の姿を目の当たりにすると、「僕もこんな人になりたいな」と思えてくる。漠然とでいいから、大学生は身近に自分の理想や目標となる大人を早いうちから見つけておいた方がいい。そうすればより人生の選択が広がるし、豊かになる。

そんな、僕からのアドバンスでした。あと最後に一つ、大人ってめちゃめちゃ楽しいぞ。いろんなことにチャレンジもできるし失敗もできる。「学生時代に戻りたいな」と言っているうちはまだ大人になりきれていない。未来の生活や人生を見通すことができる人が大人だと僕は思う。

それではみなさん、素敵な1日を。そして新成人の方、おめでとう。

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