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日本においてどの時代にタイムスリップするといいかマジで論じてみる

どの時代にタイムスリップしても生き延びるのは難しい

「タイムスリップできるとしたらいつの時代に行きたい?」

歴史好きだったらロマンのある話で盛り上がるテーマだ。

・邪馬台国がどこにあるのか知りたい
・本当に織田信長は明智光秀に殺されたのか
・坂本龍馬暗殺の真相

日本史における最大の謎である上記の事象は、今もなお解明をみない未解決問題であり、その真相を知りたいと思う人もたくさんおられることだろう。

しかし、大学院で歴史学を専攻した僕にとっては愚問なテーマである。なぜならどの時代にタイムスリップしても生き延びるのが難しいからである。

「タイムスリップできるとしたらいつの時代に行きたい?」と言って実際にタイムスリップしたとして、ドラ○もんのタイムマシーンみたいに気軽に現代に戻ってこられると思って、おそらく1日単位でしか考えていないと思われる。

邪馬台国がどこにあるか知るのもよし、世界に目をむければピラミッドの謎を追い求めるのもよしだが、大前提にちゃんと生きてやっていけるかをしっかり吟味する必要がある。異世界転生のアニメでも異世界に転生した主人公だって最初は苦労しているのだから。

あまり野暮なテーマではあるが、この記事で結論付けてこれでこのテーマは終わりにしたい。いや、僕が終わらせる。

まずひとつずつなぜ生き延びるのが難しいか論じてみようと思う。もし現代の価値観を加味した場合で考えてみるとしよう。

(あまり固いことが続いてもしょうがないので、あまり歴史叙述はせずありのまま僕が思う時代感を語るだけなので、史実かどうかこの際、深く考えない。ただし、間違った史実を垂れ流したいわけではない)

縄文時代、完全にサバイバル生活だけどいいの???

青森県に三内丸山遺跡の発掘調査から、ある程度の生活の様子が知れるが、縄文時代中期においては大規模な集落の三内丸山遺跡でもせいぜい10棟あるかないかだ。このことからいえることは、今みたいに定住しているのではなく基本的には居住地をころころ変えている。とにかく食糧が命なので食糧が採れる地へと転々としているからである。つまり自給自足だ。しかし、集まれどうぶつの森みたいな穏やかなものではない。一応、住居跡が残っているのもあり、居住の様子が復元されている。

でもまぁ、どうよ。かなりサバイバル生活になると思うが。

弥生時代、まぁ、お米ぐらいは食べることはできるけど、土地の争いで揉めるよ???


弥生時代では本格的に水稲耕作がはじまる。つまりお米づくりが本格的に始まる。(「本格的に」と書いたのは一応、縄文時代末期には始まっていたので)

お米って、もちろん美味しい。そして一番の特徴は長期保存ができること。これが日本人の生活を大きく変える。それは定住だ。「ここの土地、めっちゃお米採れるからみんなでここに住もうよ〜」な感じで同じ地で集団で暮らす。集団、つまりムラが形成される。なぜそこに住むのか。お米が採れるからである。お米が採れるからそこに住むのである。あとはおわかりいただけただろうか。「あそこの村ではお米めっちゃ採れるらしいから、みんなであのムラ襲って自分たちのものにしちゃえ〜」と、ムラ同士で土地をめぐって争うようになる。

僕は絶対にいやだ。争い事に巻き込まれたくない

古墳時代、ようわからんから行かないほうがいい

「タイムスリップできるとしたらいつの時代に行きたい?」で真っ先に古墳時代と答える者がいたら教えてほしい。どうやって暮らすの?わずかながらに群馬県にある黒井峰遺跡で古墳時代の居住の様子がうかがい知れる程度である。

あと古墳築造で肉体労働されるけどそれでもいい???

飛鳥時代・奈良時代・平安時代は京に住めないとたぶんキツい。あと天然痘。

宮や京での政権の歴史になっているので、それ以外の実態があまりにもわからなすぎる。もしまかり間違ってこの時代に転生してしまったらどうやって過ごしていけばいいの???おそらく税を納めるためにめっちゃ畑仕事をするのだと思われる。これが律令国家というやつだ。

あと実態には即していないけど一応、戸籍という形で人民管理がなされているため、なにかあったら大変だと思う。

なにより大変なのは天然痘という疫病が流行している点においても、はたまたどうするべきか。現代医学を持ち込んでもたぶんかなわない。当時のことを以下『続日本紀』の記述をみてみると

癸亥(十九日) 大宰府管内の諸国では、瘡のできる疫病が時々流行し、多くの人民が死亡している。[天皇は] 詔して、[大宰府] 管内の諸社に弊帛を捧げ、[病気退散の] 祈祷をさせた。また、貧しく疫病にかかっている人の家に物をめぐみ与えるとともに、煎じ薬を給して治療させた。

『続日本紀』天平7(737)年4月19日条(直木孝次郎ほか訳注『続日本紀』東洋文庫489 平凡社48ページ)

聖武天皇の時代、天然痘とおぼしき疫病により多くの人が亡くなって、その折に祈祷や大仏建立をする時代である。生きていける自信がない。

鎌倉時代、室町時代、戦国時代、武士の存在が怖い。

乱世乱世する時代に生きていける自信がない。武士の存在が怖すぎる。いやだ武家社会。

とくに戦国時代ともなれば、幕府という存在がなくなったことにより、日本は大荒れの状態である。人や土地を管理するリーダー的存在がいなくなった今、「やいやい無礼者!!!」と大暴れする者がいるかもしれない。いやだ。争いごとに巻き込まれたくない。

江戸時代、ある程度生活しやすいとは思うけど、相当町に溶け込めないと厳しそう。

江戸時代ともなるとある程度生活のイメージが湧くと思うが、相当町に溶け込めないと厳しいと思う。同心という、江戸幕府の役職、町奉行の配下である同心(今でいう警察のといったところ)が町中にうじゃうじゃいると思う。何かあろうもんなら捕らえられたが最後だ。

結局、明治時代の愚連隊に紛れ込むのが精いっぱいだろう

生き延びることを前提に考えた場合、何かの集団に紛れ込む必要がある。いきなりぽっと出の現代人がタイムスリップするとしたら、絶対1人では生き残れない。

結論、タイムスリップするとしたら幕末や明治維新の動乱期に行くのがいいのかと思う。違う時代にタイムスリップすることへの第一条件に「どれだけ紛れ込めるか」だ。戸籍や土地を国が管理する時代に国内で動乱が起きようものならそれを管理するリーダー的存在がいなくなるのは歴史おいてよくある事象である。そうした時代に上手く紛れ込めるとしたら明治時代において、愚連隊にしれっと紛れ込んで生き延びる道を選ばざるを得なくなる。そう、愚連隊という集団に紛れ込むのだ。そして何もなかったかのように集団行動をすればOK

と、まぁ、僕が考えたところでこのテーマは愚問なのでいくらでもこういう話にはいろんな答えがあるだろうし、いろんな考えが知ることができるテーマでもある。

いつの時代、トラブルや面倒なことに巻き込まれることなく暮らしたい。


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