楽しいこともつらいことも分け合って一緒に頑張ろう。あと丁寧な暮らしってどうやってするの?【エッセイ】
1年の30%をむかえた午後5時。年度末の慌ただしい書類の嵐を終え、オフィスから出た。雨上がりのアスファルトに反射した日の光が、疲れ切った身体に強く刺さった。夜気にうなだれた花が白く淡く咲く。かぐわしいというより、憂いを含んだ黒い激情が呼び起こされる。繰り返す波の中に突如大波が押し寄せるときは、決まって立っていられなくなるときがある。そのようなときは過去に向き合ったり、未来への自分に手紙を書くかの如く、思いめぐらすことがある。人が一生をかけて向き合わなければならない時間でもある。この生活も早5年がたつ。時の流れは誰も待ってくれずただ横を通り過ぎていく。
明日から4月1日、新年度、社会人になる人、おめでとう。人生の新たなスタートとして僕たちと一緒に頑張ろう。
ここで、「新社会人へ」と題してなにか書きたいところであるが、「新社会人」と題してアドバイスに擬態した説教くさいことや自己陶酔になるのがほとんどであるので、僕からはとくに言うことはない。僕も僕でわからないことだらけで、まだまだこれからなのだから。だからみんなと一緒に頑張ろうというわけである。
社会人生活、この4月で6年目となる僕は、一貫して守り抜いているものがある。「報連相」「勉強を怠らない」「体調管理に注意する」とかそんなに難しいことではない。それは
日々、自分をアップデートするということ
10年前の常識が今となっては非常識かもしれない。また10年後もどうなるかわからない大きな変容の中で、今の自分をアップデートすることを忘れない。「大学生活の中で後悔していることは?」という問いに「もっと勉強しておけばよかった」と言う人がいるだろう。もし「大学生活でやり残したことはない」としたらどうだろう。そこまで学問を究めて修めることができただろうか。残念ながら僕は20数年生きて、修士号をとるのでやっとだった。だからまだ学問を深めることに対して未練がある。
もし、あれも!これも!と、すべてやりきったら燃え尽き症候群になってしまわないだろうか。人間、少しやり残したことがあってもいいのだ。死ぬときに「生まれ変わっても、また自分に生まれ変わりたい!」と思える人生をおくることができれば、それで万々歳なのである。
今までの暮らしの中で、これまでに経験したことのない日常が起きている。ときには突然起こる理不尽な出来事に、当たり前の日常が崩されるかもしれない。そうなったとき、過去と未来に向き合うことでその答えは出てくる。
さて、これからの僕はというと、丁寧な暮らしがしたい。
丁寧な暮らし…?
それがよくわかるのが、数年前からコンテンツ化している「Vlog」というものがある。
「Video Blog」からきた造語で、ブログの動画版である。直感でいうと情報密度でいえば文字で綴るブログの方が良い気がする。
そんなVlogでは各々の「丁寧な暮らしぶり」が投稿されている。たとえばこれ。
“丁寧なくらし”と言うけれど、そのような生活はどこにあるのだろう。俗世間から離れたゆったりしたような生活をしているようにも見える。強いて言うなら「仙人」だ。
僕はというと、「何もすることないな〜。よし、近くのカフェで本でも読もう」くらいがちょうどいいと思っていた。
「近くのカフェ」と言っておきながらスターバックスに行くあたり、「さすが東京だ!」と思う。どこに行ってもスタバがある強み。それがTOKYO。東京だけでも383店舗もある。そこで、勝手に都道府県別のスタバの店舗数をランキングにしてみた。
今まで「スタバはないがスナバはある」と自虐していたあの鳥取県も、あれから4店舗までオープンしている。
このランキングを見ても都市部と地方の格差は激しい。都市部と地方の格差でよく感じるのは、カルチャーそのものへのリーチへのしやすさだ。都市部に住めば、数百円の電車賃でこうしたことが容易となる。そういった点では、都市部に住む僕はたくさんの恩恵を受けているわけだ。
もう一つ、例を見てみよう。
ヴィレッジヴァンガードを例にとっても、都市部と地方の格差が目に見える。
広告案件動画じゃないのに、なぜイチYouTuberが営業前に貸切にできるのか、摩訶不思議だ。ワシも貸切にして店内を走り回りたい。(店内では走らないように。チョメ)
カルチャーへの接触機会、QOL(生活の質)の向上を主とするならばやはり都市部に住んでいるとその機会が多い。休日になれば、スタバで読書に耽ることもあれば、ヴィレッジヴァンガードで散財したり、オシャレすぎて味がよくわからないワンプレートを食したりする。
そういった恩恵を受けている僕にとって、田舎暮しや丁寧な暮らしに憧れを抱くことはない。田舎暮しの方が、幸福度が高めだという統計もあるけど、暮らしの選択肢が多いに越したことはないので、都会暮らしだけどそれでもいいやと思うわけ。都会になにを求めたいか。それは文化である。
生まれた場所がたまたま都会でも地方でも、本来、出身がどこであるかは、同列に扱われるべきである。そこに優劣はない。絶対にだ。
僕はたまたま都会で生まれ、都会で育ったため、地方での暮らしはテレビかYouTubeでしか知ることができない。なにを理由に上京するかは人それぞれだが、大体は「進学」「就職」「転勤」になるではなかろうか。本当に何もないかぎり、住んでいる地から離れることはないだろう。北海道に住んでいる人に対し、「あんなに寒いのによく住めますね」というのは愚問である。「生まれた時からそういう生活をしているからあたりまえ」なのである。遊牧民に「なんで移動ばっかしてるんですか?」と聞いているのと同じである。「だってそういうもんだから」としか言いようがないからである。
生まれた時からそういう生活、つまり、都会にずっと住んでいる僕が思う、都会に住むメリットは文化へのアウトリーチのしやすさである。都会も地方も、どこに住んでいようが生活には困らないし、それぞれの郷土愛はあるにせよ、都市部と地方で如実に差として出るのがそれである。
都会に住めば電車賃数百円で、気軽に最先端のカルチャーに接触できる機会が多い。地方とくらべてしまうと平等ではない。地方に住んだことがない僕でもわかる感覚がそこにはある。都会に住むメリットは文化へのアウトリーチのしやすさであり、デメリットは住みづらさにある。
オシャレで丁寧な暮らしというのは、はたしてどこにあるのだろう。
YouTubeのモーニングルーティーン動画を観ていればよくわかる。知らない人のモーニングルーティーンやカバンの中身に、興味関心は湧かないから基本観ないのだが、たまに世捨て人みたいな暮らしをしている人がいるので、それはたまに観てしまう。
めちゃめちゃ作り込まれたVlogである。絶妙なカット割とその数、そして静謐なBGM、これは素人が「ありのままの私生活をそのまま撮る」ことからかけ離れているくらいに作り込まれている。
この動画では、瀟洒なお部屋で静謐なBGM、観葉植物の手入れ、オシャレなスムージーを飲んだりと、よく観るモーニングルーティンだと思って観ていたら、8:00あたりで衝撃的な発言をする。
えぇぇっ!!??野草!?!?
この忙しい現代社会に野草を採りに行くの!?
これはやってんなぁ!!!!!!!!
なぜそんなに身支度に時間をかけるのかと思えば、野草採りに行くんかい……ッ!!!すっかり腰が抜けた。
都会の忙しさに何のこれしきと、見事なまでのスローライフっぷりだ。
もしかしてこの人は世捨て人かなにかなの???
でも、世間から離れたゆったりした暮らしもいいと思うんだ。何をやっても自分のせいにできるし、何をやったって誰も文句は言いやしない。
先の野草を採りに行くモーニングルーティン動画は、ゴリゴリにクリエイティブ要素が含んでるから、さすがにここまではマネできないけど、そこら辺の素人の生活とはかけ離れたものがある。それには憧れている。
ゆったりした暮らしはつまるところ、自分の好きを追究した基盤があって成り立っているのだと思う。誰かのマネをしようとすると、「こんな生活、私にはできない!」になるのだ。
僕の場合、それこそ、「やることねぇな。そうだ。近くのカフェで本を読もう」となって、スタバやカフェ行って読書する。
自分のしたい好きなことを好きなだけやる。好きなことは、ずっと好きでいさせてほしい。丁寧なくらしというけれど、これくらいが今の僕にはちょうどいい。
話はかわるが、時節柄、新入社員が入ってくる。最初は右も左も分からないであろう中、僕のような若造が仕事論とか人生訓を宣うには20年早い。たかが4,5年の違いではないか。僕はまだ29歳、「心のキャパシティがいい具合に熟成されて」いる大人の余裕をみせる。一緒に仕事する仲間だし、新入社員は大事にしたいところである。仕事できなくて当たり前。まだこれからなのは百も承知の上である。だからこそ、若い人への接し方について考える。どんなに疲れていても、どんなにストレスがあっても、相手によって態度を変えてはならない。これは僕の信条である。27,8歳の僕にはそれができていなかったが、今の僕ならそれができる。どこで人生のレールが切り替わったのかわからないが、年齢を重ねていくうちに心のキャパシティが広くなったのかもしれない。そして人に優しくなれた。丸くなったなぁ、自分。やはり、心の余裕がなければ人に優しくできないのである。
年齢に対する恐怖や不安は年齢を重ねるごとに思うことだけど、未来に対するワクワク感を失ってはいけない。そう思うことで、人生のレールが切り替わる音が聞こえる。
毎日同じ時間に起き、いつものように仕事をこなし、帰ってきてご飯を食べ、自分の趣味の時間を楽しむ。当たり前のようにこういった生活ができている。それだけでも幸せじゃないか。次の休みの日になにしようか考えるだけでも楽しいし、推しのライブ配信やイベントを楽しみに生きるのもよし。「あぁ、この日のために生きてんなぁ」ぐらいがちょうどいい。
人生これから、楽しいこともつらいことも、一緒にわけあって頑張ろう。僕も頑張るからさ。
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