見出し画像

後輩がうつ病で退職した。人間は「いつか」で関係を築いていくものだ。

会社の後輩がうつ病で退職した。

「○○くんがうつ病になって1ヶ月休職になった」

無味乾燥なメールでそれを知る。また1人、僕の前から姿を消した。可愛がっていた後輩なだけに、なぜあのとき助けることができなかったのかと思うと、身体の水分が一気に引いていった。脳髄の乾きを水で満たそうと思っても、呆然と立ち尽くすのみであった。考える葦にもなれなかった。人との関わっていると絶望の瞬間を目の当たりにし、他人の人生に思いを馳せる。人生というものの約8割ぐらいの時間は、誰かの人生を思うために使われるんだと思う。

「1ヶ月休職かぁ〜こりゃあ戻ってこられないね」と飛び交う社内の会話が本当になり、正式に退職となった。

ぼく「覚えること多いし大変なこと多いけど頑張れそ?」

後輩「はい、頑張ってみようと思います!」

1年目だったその子の目には透きとおったガラスのような瞳で、仕事の熱意をみせてくれたので、僕もつい指導に熱が入る。ときにはできたことを褒めて、ときには叱ったりもした。それでもめげることなくひたむきに取り組む姿をみて今後の成長が楽しみだと思っていた。

しかし、僕自身が部署異動となりその後輩と離れ離れになる。

「いつか成長した姿を見せられるように頑張ります!」と言ってくれた。後輩、しかも新人の教育は難しかったが、僕もそんな後輩を通して勉強させてもらった。

そして冒頭のように後輩はうつ病になって退職した。

当時のその子を知る人に聞いた結果、どうやらいろんな人に罵詈雑言を浴び、思い詰めていたらしい。24歳のまだ2年目だった。誰かに助けを求めなかったのか、なぜ周りは手助けしてあげなかったのか、そして僕は「なぜ助けてあげられなかったんだ」と後悔する毎日である。

「いつか成長した姿を見せられるように頑張ります!」

いつか…いつか…。

いつかどこかで偶然会って「久しぶり!」って、また一緒に仕事ができる可能性が残っていて欲しかった。

いつか僕の右腕になってくれるビジネスパートナーになって欲しかった。

そんな想いはどっちにしろ叶うことはなかった。それでも「いつか」が存在することは素敵なことである。もし後輩が辞めてなかったら…もしあのとき救いの手を差し伸べることができたら…。人との関係はそんな「いつか」と「もし」でできている。

もう会うことはないかもしれない。けど、いつかどこかでばったり会えたらいいな。実現しなくてもいいし、強く望んでいるわけではない。数十人、数百人と「またいつか会おう」と言って別れを告げる。その大半は次会うことを想定しない「永遠の別れ」を意味する。でもその「いつか」に一縷の望みをかけて、日々の人間関係にアップロードを重ねていく。「いつか成長した姿を見せられるように頑張ります!」と言ってくれたように、僕も「いつかもっと頼ってもらえる先輩になれるように頑張るね!」と、次会うための約束をしてそんなぼんやりとした「いつか」の日を楽しみにしていた。それは生きる上での糧となっていた。だからあからさまに僕の前から姿を消すのは非常に悲しい。

だから僕は今、非常に後悔している。一緒に仕事してきた身近な人がうつ病になって悲しいのはもちろん、僕にも同じようなことが起こるのではないかと他人事とは思えない。

だけど僕は後輩のその決断(退職する)には大いに賞賛したい。人間はもっと自由に生きていい権利がある。

僕にとっての自由とは、「自分の責任の範囲内で自分で意思決定を下し、好きに生きる」ことだ。他人の意見に左右されない、ノイズは排除する、やりたいようにやる。ただし、自己責任で。何が起きても自分で全責任を負う。その代わりに自由に動き回ることができる。これこそが自由だと僕は思っている。もういいじゃん、その生き方で。周りの意見に流されて生きていたら疲れるよ。後輩がうつ病で辞めちゃったのは、「自由になるための時間がなかった」んじゃないかな。人間は生まれながらにして自由があるので、それをわざわざ自由の両手両足に鎖をつなげてがんじがらめにする必要はないでしょう。

後輩にとってようやく手に入れた「自由」だったのかもしれない。


話は遡って去年のGWのときのこと。この記事を書いていたら去年のGWに会った高校時代の友だちのことを思い出した。

小学校 2人
中学校 1人
高校 1人
大学 3人

これは僕が今でも定期的に連絡を取っている友だちだ。多いのか少ないのかわからないが、進学や就職を経て、新しい人間関係を築いていくうちに過去の思い出が薄れ、次第と疎遠になってしまうのだ。

GWというのは意外なところから連絡が来る。

1人しかいない高校の友だちから連絡が来たのだ。

「GWのどこか、ヒマしてたら食事に行かない?」

GWにわざわざ僕と会う時間を作ってくれてすごくうれしくなり、二つ返事で「行こう!」と答えた。会うのはいつぶりだろう。もう4年ぐらいになるかな。元気にしてたんだ。よかった。と思いながら待ち合わせに向かう。

会った瞬間、いろいろ馳せる思いが蘇ってきた。3時間ほどだろうか。食事を楽しんだあと、近くの土手でお酒を飲みながら夜風に当たっていた。

いろいろと思い出話に花が咲き、お酒も回ってきた頃、友人から「仕事の調子はどう?」ときかれた。

「まぁ、良くも悪くも充実してるかな」

「そう…よかった」

彼はどこか大海原に立ち尽くして遠くを見つめるような顔になっていた。

「俺…仕事…辞めたんだよね」

彼は新卒で入った会社を辞めたのだそう。上司からのパワハラだ。それで今、失業保険を貰いながらゆっくり休んでいるのだそう。

そうか。会ったとき元気そうでよかったと思っていたけど、会わない間に彼の中で大変なことが起きていたんだな。

僕たちの前には、未だ巨大すぎる人生が、茫漠とした時間が、どうしようもなく横たわっていた。

『秒速5センチメートル』に出てくるフレーズだ。最近誰かと向き合っていると時たま思い出す。茫然とした時間が横たわっていることは、人間関係を築くのは喜びでもあり、絶望でもあるのだと思う。

彼は最近、映画をよく観ていると言うので、『秒速5センチメートル』をおすすめしておいた。手紙のやり取りを通じて「相手のことを考えている時間」や「実際に見ていないが想像を巡らせている時間」が時として必要だからだ。

「そうか。大変だったね。今は自分の時間を楽しもう。また会いたくなったらいつでも連絡して」

と言う。

たまに人とこうして向き合っていると、自分や友人の人生に想いを馳せることがある。まだ僕が“人生“を語るには時間が足りてない。だけどわかったことがある。

「人生には思いがけないことが起こる。それにどう対処するかが自分らしさ。自分には自分らしく生きていこう」

と、伝えたら彼は夜明けの太陽の光のような面持ちになった。

そんな彼はもともと写真を撮るのが好きで、いっぱい写真を見せてくれた。これを撮っているときの彼の顔を想像する。とても活き活きしていることが想像できる。

繰り返す波の中に、突如大波が押し寄せるときは、人と出会い、自分を知り、またある時は過去と向き合う。そういった時間と向き合うことで、大海原に繰り出された船はどこへでも行く。そういった時間を彼の中で大事にしてほしい。

そうしていくうちにあっという間にときがすぎ、また会う約束して別れた。


人間はもっと自由に生きていい。うつ病で辞めた今回の後輩も去年のGWに出会った高校時代の友だちも、本当は「もっと自由に暮らしたい」のかもしれない。仕事のためにいろんなものを犠牲にして「頑張って偉いね」としか人を評価してもらえないなら、僕だってとっくに会社を辞めている。

僕もかつて仕事を辞めたいと思うことが何度もあったが、いろんな人と出会ってお世話になった人が多いからお世話になった人のためにも、今辞めたらその人たちを裏切ることになってしまう。仕事を続けていられる糧はそこにある。

「いつかまたこの人と一緒に仕事したい!」と思える人と1人でも多く出会っていれば、今回の後輩も退職を踏みとどまったのだろうか。人間、そんな「いつか」で人間関係を築いていくものかもしれない。

いつか、どこかでばったり会ったときには一言だけでも交わしましょう。それまでは僕も頑張るからさ。

よかったらサポートもしていただければ嬉しいです!いただいたサポートは読書に充てたいと思います!