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7日間自撮りを送り合うとどうなるか

大人の自由研究の濫觴は突然に

僕は普段、自撮りはしない。友人や恋人と2ショットを撮ることはあっても、1人で自撮りをすることがない。SNSに挙がってるいろんな人の写真を見ると上手い人が多い。

なぜこんなことをしようと思ったかというと、「デイリーポータルZ」というWebメディアがある。以下にこんな記事があった。

これをTwitter、noteでお世話になってる仲良しのフォロワーさんに送ったところ、「やったら楽しそうですね!」と仰ったので「1週間限定で僕たちもやってみませんか?」と提案したところ、「ぜひやりましょう!」となり「自撮りを送り合う1週間チャレンジ」を実施することとなった。はたしてお互いに自撮りを送り合うとどうなるのか。

自撮りを送り合うにあたってのルールはまんま上記の記事をそのまま採用した。

・自撮りを毎日アップする(日報も)
・時間は何時でもよいが、必ず1枚はあげる
・カメラアプリも使用可
・美醜に関するコメントは基本禁止(ブスとか言われたら立ちあがれないので)
100日間「自撮り」を送り合うとどうなるか」より


最初の2日間はやっぱり恥ずかしい

自撮りに慣れてない僕は最初どう撮ったら良いかわからない。「自分を写真に収めるってなに?」状態である。画角は?ポーズは?表情は?頭の中がハテナハテナハテナだ。

一例として実際のやり取りがこちら。

記念すべき1日目は探り探りだったので、ひとまず今読んでる本で口元を隠す形となった。後ろに写ってる『怪奇事典』が気になるところだが、「本棚と一緒に写ってるのカッコイイ!」と言っていただけた。

このような感じで毎日お互い自撮りを送り合っていた。最初の2日間は小っ恥ずかしさがすごくてカメラアプリで加工していたが3日目になるとそれも慣れてきた。

自分を写真に収める意味を考える

1週間という期間限定ではあるが徐々に自撮りする習慣が生まれてきた。出先で自撮りすることもあった。

出かけた先で風景とともに自分を写真に収める。

もし不慮の事故で自分が死んだとき、遺影の写真はなにになるんだろう。もし自撮りもなにもしてなくて、自分が写ってる写真がなかったとしたら使われる遺影の写真は間違いなく高校の卒業アルバムの写真になってしまう。

突然亡くなったら親族は葬式の手配で遺影の写真を探す時間もなく、卒業アルバムの写真に使われたら僕の最期がまるで高3になってしまうではないか。それはすこし惨い。

そうならないために、出かけた先で頻繁に自撮りしておこうと決めた。遺影のためとはいわなくても、髪型や服装がバッチリ決まった自分を写真に収めてあとから見直すと「あ、やっぱり自分ってイケてるな」と思えるのだ。半分自己暗示であるとともに、自己肯定感が爆上がりするのだ。

自撮りを続けると垢抜けた自分がそこに

1週間自撮りチャレンジを終えて、改めて見返してみると、最初のころは「自撮りってムズくね?」とか「顔…暗いな…」と、悪戦苦闘。自撮りって技術なんだなぁ。

でもやってみると「自分をどうみせるか」「どうしたら盛れるか」を考えて自撮りして、上手く撮れた写真を見ると誰かに見せたくなってしまう。

1週間だけだったが、毎日違う顔をしていた。その日のテンションや感情が客観的にわかようになる。なにより楽しかった。

この「1週間自撮りを送り合う」企画が終わったとき、お相手も「すごく楽しかった!」と言っていただけたし、「これからも自撮りしたらバンバン送り合いましょう!」と言っていただけてすごく嬉しかった。

自分を俯瞰的に眺めると、より自分のことが知れ、より好きになれた。ただ自撮りするだけかと思いきや、思わぬところで発見や学びが得られた。

みなさんもぜひ、気まずくならないお相手と自撮りを送り合ってみてください!

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