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ミニマルテクノDJを引退し、復活したらすべてが替わっていたお話 http://noru…

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ミニマルテクノDJを引退し、復活したらすべてが替わっていたお話 http://norum.muron.jp/

最近の記事

再生

もう一度活動を始めたきっかけ

前々回、「微妙に復活 https://note.mu/norum/n/ndafbf512b49f 」で書いたDJ活動再開のきっかけとなった野外フェスについて少し捕捉をしておこうと思います。 野外フェスと言えばフジロックやサマーソニックなど「超」が付く大型フェスが有名ですが、これは大手広告代理店が仕掛けている規模の大きなフェスで来場者も数万人、出演者も音楽好きなら大抵の方は耳にしたことある大物アーティストです。 クラブ系限定ならラビリンスなどの1~2000人規模のイベントもありますが、私が言っているのはさらにローカルで地元の有志たちが集まって開催しているようなフェスになります。 この動画は2009年に私が家族と行った、山形(仙台のある宮城のお隣)蔵王のゲレンデを使って行われた龍岩祭というフェスの映像で、"YAMATO( http://www.aurorasubstorm.com/ )"のライブだったと思います。 メインステージには、ローカル系のロックバンドや歌手のギグが行われていましたが、この動画のような小さなステージも複数あり、それぞれ、ヒップホップ系、テクノ系、チルアウト系などに分かれて3日間オールナイトで開催されていました。 基本的に蔵王温泉街の協賛で地元の人たちが多く訪れており、1000円でキャンプも可能で、私と家族は1日だけテントを張ってキャンプをしていました。 夕食後に一番テントから近いところ、駐車場の近くにあった tune X という小さいステージに向かって撮影したのがこの動画です。 私はこの動画のようなアシッドトランスのDJではありませんが、お腹に響くようなリズムとシンセサウンド、踊らせるためのパーカッション、様々なものが家でこっそり音楽を楽しむ事では味わえない大きな刺激でした。 ここで様々なDJやライブを楽しむうちに、大音響でグルーヴに身を任せるあの楽しさを、再び思い出すきっかけになりました。

    • 鍵盤

      前回は、こっそり仕事パソコンにDTMソフトを入れてDJ的な事をまた始めた経緯について書きました。 仕事でもパソコンを使い、DJ的な事でもパソコンを使い、バーチャルなシンセでマウスを使っているうちにおっさんの頭から煙が出てきたのでこれは何とかしなきゃと思い、まずはじめに操作系をMIDIコントローラーやMIDIキーボードに変えてみました。 うん、快適。 やはりアナログ人間にはツマミとフェーダーと鍵盤だ。 しかし、人間とは面白いもので、ツマミをひねったり鍵盤を弾いたりしてい

      • アナログレコード

        「微妙に復活 https://note.mu/norum/n/ndafbf512b49f 」の続きです。 結婚後にDJや音楽活動をすべて止める事になった私は、レコードコレクションやオーディオ機材は実家に、その他はすべて処分し、新居にはDJ的なものが一切ない生活を送って8年が経過しました。 私は個人事業主で基本的にパソコンに関してはかなりハイスペックなものを経費で購入する事が出来たのですが、2005年くらいからパソコンを使ったバーチャルなシンセサイザーや、PCDJソフト

        • 再生

          ダウンビートテクノのDJミックスをUPしてみました

          ゴールデンウィーク中に録音したダウンビートテクノのDJMIXです。 さんざんマニアックなテクノばかりが好きと書いて来て、いったいどんなのかと言う方もいるかもしれませんので、アップしてみました。 noteではあまりディープ系テクノ、ドローン音楽、クラブDJを聞かない人の方が多いと思いますので、すこし説明を書いておきます。 DJのダウンビートとは指揮者用語のアクセントの事ではなくて、元々BPM120から130くらいの曲を110あたりまでスローにしてプレイする事です。(他にビートダウン、ダウンテンポなどがありますがややこしいのでまた今度) 私の好きなミニマルとはどういうものなのか、という事なのですが、このように同じ音やフレーズが変化しながら繰り返されることで展開していくとても気の長い音楽と言う感じです。 ミニマルDJの場合、そのままでは意味がありませんので、複数の繰り返しトラックをリアルタイムで混ぜ合わせて新しいグルーヴを毎回構築していく事で各DJのテクニックと味のようなモノが出ます。 ハード目のミニマルテクノも遅いエモーショナルなトラックとミックスできますし、音が長くリリースするので粘つくようなリズムになります。 ただし、遅いほどロングミックスが難しくなるのと、ノリを保ったまま展開させるに苦労しますが..。 基本的に初めの2曲だけ決めて後は普段通りにプレイしながら選曲していくスタイルです。 私の曲や友人の曲が5曲と、趣味でディグっているルーマニア、イタリア周辺のミニマルテクノ、北米周辺のアンビエント、チルアウトその他素材トラックなど20曲くらいで構成しています。 動画の写真は私がここ1年で適当に携帯で撮影したものであんまり意味はありません...

        もう一度活動を始めたきっかけ

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          微妙に復活

          さて、前回は前髪パッツンの大人しい、どこか奥ゆかしい、それでいて秘めた感じのあるミステリアスな妻がとうとうブチ切れて秒速でDJをやめたことについて書きましたが、その後のお話です。 あれから私は8年間にわたり、居酒屋にすらいかずまじめに働いておりました。 クラブ以外の飲み会にも参加しなかったので次第にお誘いは無くなり、本当に忘れられた存在になったのです。 1年くらいの感覚で「DJしたいなー」みたいなことを言うと、 「どうぞ!離婚して思う存分やってください。」 と、選択

          微妙に復活

          オワリとハジマリ

          ボッチの音楽オタクが突然のミニマルテクノブームで有頂天になったところで前回の話は終わりましたが、その続きを書こうと思います。 私は調子をコイていました。 誰もが見向きもしなかった変態音楽趣味が突然、TOKYO でオシャレなモノになってイベントでもウハウハ。 「僕は時代の先を言っていたんだ!早過ぎたのだ!ゴッホゴッホ!」と。 それから5年近くが経過し、私は結婚をしました。 もちろんクラブのフロアーで出会った前髪パッツンの大人しい、どこか奥ゆかしい、それでいて秘めた感じ

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          私の事

          私は仙台市のローカルDJとして1992年より活動を始めました。 この原稿を書いているのが2016年4月ですからざっと23年も前になります。 因みに生まれは1972年ですので43歳のおっさんです。 元々は単なるレコードコレクターで、80年代は日本のニューウェーブや明瞭期であったハウスミュージックを集めていました。 生まれも育ちも根っからの東北ですから、当時こんなものを周りで聞いているのは私くらいなもので、ちょっとした変人扱いです。 それが90年代に入ると、更に人口が少

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