63.水火既済(すいかきさい)~物事の成就②

六十四卦の六十三番目、水火既済の爻辞です。
卦辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/n073a2e6a4d50

63水火既済

主爻

主爻は六二と九五です。六二の妻は九五の夫の元へと向かう途中で盗みに会うも無理に追わずして取り戻し、九五は隣村が盛大なるお祀りをするも真心をもって質素を旨とします。

初九

其の輪を曳く。其の尾を濡らす。咎无し。
象に曰く、其の輪を曳くとは、義、咎无きなり。

車の車輪を(後ろ側から)引っ張って(前に進むことを邪魔する)。(狐の)尾が濡れて(川を渉ることの困難なるが如くである)。(急いては事を仕損じるので)咎はない。

初九の真上には坎卦があり、車輪の象です。初九はその後ろにあって、車が前に向かうのを止めます。また坎卦は狐の象でもあり、初九は尾、上六が頭です。尾が濡れると川を渡れません。物事が成就した時であり、これ以上無暗に進むことを思い止まっているので、咎はありません。

六二

婦、其の茀(ふつ)を喪(うしな)ふ。逐(お)ふ勿れ。七日にして得ん。
象に曰く、七日にして得とは、中道を以てなり。

(夫(九五)の元へと向かう途中の)婦人(六二)が、(乗車すべき)車の覆いを(盗まれて)失う。(しかし盗人を)追ってはならない。七日経てばそれは戻って来るであろう。

柔順中正なる六二と剛健中正なる九五は相応じ、その関係を妬んで妨害し讒言する者などが現れたとしても、六二は中正なる徳を発揮してそれを誹謗し返したりすることなく、ただ捨てておくがよろしいのです。そうすれば、やがて妨害者はいなくなり、九五から受ける信任はますます深くなります。

九三

高宗(こうそう)、鬼方(きほう)を伐つ。三年にして之に克つ。小人は用ふる勿れ。
象に曰く、三年にして之に克つとは、憊(つか)るるなり。

殷の高宗が、蛮国を征伐しようと兵を出す。三年かけてようやくこれに勝利するも(国力は疲弊して多くの財産を失う)。小人は(このような危うい真似を)してはならない。

高宗とは殷の中興の祖、武丁のことであり、鬼方とは周辺にあった蛮族の国家を指します。これを三年かけて征伐した後、国家は大きく疲弊し、武丁亡き後は優れた名君は現れず、殷は衰退していきました。君子であってもこのような有様ですから、小人は絶対に真似をしてはなりません。

六四

繻(ぬ)るるに衣袽(いじょ)有り。終日戒む。
象に曰く、終日戒むとは、疑う所有るなり。

(川を渉る途中で舟の底が水漏れして)濡れた部分を(ぼろぼろに破れた)衣服で(塞ぐ)。(このような危ういことが起こるので)終日警戒しなければならない。

外卦は坎卦の川であり、互卦の離は舟です。天下安定したる既済の時も半ばを過ぎ、まだ目に見えるほどの混乱はないにせよ、船底の小さい隙間から少しずつ水が漏れ入るようにして事件は起こるのであり、警戒を怠ってはなりません。

九五

東隣(とうりん)に牛を殺すは、西隣(せいりん)の禴祭(やくさい)して、実に其の福(さいわい)を受くるに如かず。
象に曰く、東隣の牛を殺すは、西隣の時なるに如(し)かざるなり。実に其の福を受くとは、吉大いに来るなり。

東の村で(供物の)牛を殺して(盛大なるお祀りをするのは)、西の村で質素に真心を尽くした祀りをして、そうして神の思召しに叶って福を受けるにはとても及ばない。

東の村は牛を犠牲にして盛大なる祀りをし、西の村は質素ながらも真心を尽くして祀りをします。神の祝福を受けるのは西の村です。泰平の時にあって有頂天になるのはよろしくありません。

上六

其の首(こうべ)を濡らす。厲し。
象に曰く、其の首を濡らす、厲しとは、何ぞ久しかる可けんや。

(狐が川を渡ろうとして渡れず)その頭まで濡らしてしまう。危うい。

初九の狐は危ぶみ恐れて尾を濡らすだけで済んだのですが、上六の狐は泰平の酒に酔い、軽挙妄動して頭まで濡らしてしまいます。泰平の世は久しからず、かような態度では身を滅ぼすに至るのです。

まとめ

初九と上六は狐であり、次の火水未済の爻辞と繋がります。初九は泰平の世にあって危ぶみ恐れ、尾を濡らすだけで難を逃れますが、上六は油断して溺れて頭まで濡らします。

六二は中正の徳を守り、思いも寄らぬ災いがあってもうろたえず、その災いは自然と消滅します。

九三は行き過ぎる爻であり、往時の名君の如き大事業を小人が真似すれば必ず失敗することを説きます。

六四は泰平の時にあって、小さな事件が起きて広がっていくことを警戒します。

九五は中正の徳をもって、泰平に溺れず、質素簡潔なる祭祀で事を済ませる心持ちでいるのです。

自己の内的探求を通じて、その成果を少しずつ発信することにより世界の調和に貢献したいと思っております。応援よろしくお願いいたします。