63.水火既済(すいかきさい)~物事の成就①

六十四卦の六十三番目、水火既済の卦です。
爻辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/nb7caf5aab288

63水火既済

1.序卦伝

物に過ぐる有る者は、必ず済(な)る。故に之を受くるに既済を以てす。

物事を少々行き過ぎる程度に行うことによって(雷山小過)、その物事は成就するのです。

よって、雷山小過の卦の後ろには、水火既済の卦が来るのです。

2.雑卦伝

既済は定まるなり。

全ての物事が皆、落ち着くべきところに落ち着いて安定しているのです。

3.卦辞

既済は、亨ること小なり。貞しきに利し。初めは吉、終りは乱る。

既済とは、既に「済」であること。済とは、川を渡ることです。他の六十四卦の卦辞にしょっちゅう登場する「大川を渉るに利し」という一節がありますが、この卦は、既に大川を渉り切っているのです。渉ることを完了したのです。物事が成就したのです。

全ての物事は、成就するまでのプロセスが面白いのであって、成就してしまうと面白いことはなくなってしまうのです。もう伸びしろがなく、これ以上昇っていくことはできないのです。

爻は、六爻全てが正位を得ております。全ての陽爻は奇数の位にあり、全ての陰爻は偶数の位にあります。これ以上動かしようがないほど完成されております。

これは、乾為天で言うところの九五、飛龍です。一人前の龍として完成し、天を駆け抜けて雨雲を呼び寄せて、存分に雨を降らせる力量を有しているものです。

しかし、もうこれ以上は成長の余地がないのです。言い方を変えるならば、あとはもう堕ちていくのみです。

堕ちていくことに抗うとすれば、せいぜい多少の改良を加える程度のものです。しかしそれは虚しい努力であって、遠からずして堕ちていく運命は避けようがないのです。

六十四卦の中で、威勢の良い卦はいくつもあります。例えば地天泰であり、火天大有であり、雷火豊であり、火地晋であり、他にもいくつかあります。これらはいずれも未完成な状態であり、伸びしろがあるのです。

地天泰ですら、六五と九二が正位を得ておらず、改善の余地があるのです。改善の余地があるというのは、幸福であるのです。まだまだ伸びていく可能性を有しているからです。しかし既済の卦には、それがありません。

既済は、亨ること小なり。おめでたいことではありますので、亨ることは亨るのですが、大なるものではないのです。完成し終えているのですから、後はせいぜい、多少の改良を加えることぐらいしか、やることはないのです。ですから、更に大きなことを成そうとするべきではないのです。

貞しきに利し。これ以上大なることを成そうとするのは、絶対によろしくないのです。貞ではないのです。大なることではなく、小なることを成す程度に留めることで、多少の利を得ることは出来るのです。

初めは吉、終りは乱る。占断によってこの卦を得た場合は、上述の通りでありますから、差し当たり今はよろしいのです。しかし、ここから徐々に崩壊が始まっていくのです。これは天地自然の摂理でありますから、致し方のないことです。

ここから先は、堕ちていくのです。むしろそれを悦ぶべきです。多少堕ちることによって、再び伸びしろが生じるからです。崩壊を憂えずして、伸びしろが生じる兆しと見極めて、崩壊の度合いを最小限に留めて、再び昇っていくようにすべきなのです。そうすることによって、今以上の高みに昇っていくことが出来るかもしれないのです。

初爻変は、水山蹇です。足元にはもう蹇難が迫っているのです。

二爻変は、水天需です。いたずらに軽挙妄動せず、飲食宴楽するぐらいの心持ちで情勢を見極めましょう。

三爻変は、水雷屯です。既済を過ぎて未済となり、そうして屯難の時代へと戻るのです。

四爻変は、沢火革です。新たなる創造の前の大仕事として、破壊しなければならないのです。

五爻変は、地火明夷です。既済が窮まると、周りの世界が明夷に陥ってしまったように見えるでしょう。しかし幻想であります。

上爻変は、風火家人です。帰るべき家があれば、心は落ち着きます。戦うばかりでなく、落ち着くところを得るべきです。

互卦、綜卦、生卦、裏卦は、いずれも火水未済です。説明不要でありましょう。既済と未済はオセロの如く表裏一体なのです。

4.彖伝

彖に曰く、既済は亨るとは、小なる者亨るなり。貞しきに利しとは、剛柔正しくして位当ればなり。初めは吉とは、柔、中を得ればなり。終りに止まれば則ち乱る。其の道窮まるなり。

既済は亨るとは、小なる者亨るなり。既に完成しているのでありますから、これ以上大きな成就はないのです。少量の改良を加えて小さな成就を望むぐらいしか成し得ることはないのです。

貞しきに利しとは、剛柔正しくして位当ればなり。さっきからネガティブな事ばかりを言っておりますが、陰陽があるべきところにあって、皆落ち着いている状態であることは確かなのです。だからこそ小さなことは亨るのであって、それが些細であっても悦びを見出すべきなのです。

初めは吉とは、柔、中を得ればなり。これ以上の冒険はしないことを心掛けるべきです。つまり陰の徳をもって事に当たるのです。この卦で言うところの六二の徳であります。陰柔の徳をもってして、始めは吉を得るのです。

終りに止まれば則ち乱る。其の道窮まるなり。窮まっているのですから、段々と崩壊への道は進み、乱れていくのです。上に険阻なる坎卦があるのです。離卦の明晰さをもって、険阻を乗り越えるのです。堕ちていくことは致し方ないまでも、せめて最小限の被害に留めるべきなのです。

5.象伝

象に曰く、水、火の上に在るは既済なり。君子以て患(うれい)を思うて、預(あらかじ)め之を防ぐ。

水が火の上にあることによって、火は水を暖めて、水は火によって暖められます。すなわち火は火としての任務を完了し、水は水としての任務を完了します。これを既済の卦とするのです。

君子はこの卦の形をみて、物事が完了した後には険阻なるものが興ってくるものであることを憂い、それをあらかじめ防ぐための準備をするのです。

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