38.火沢睽(かたくけい)~内部の確執②

六十四卦の三十八番目、火沢睽の爻辞です。
卦辞はこちらです。
https://note.com/northmirise/n/n32db4937402b

38火沢睽

主爻

主爻は、九二と六五です。皆が反目し合う中、一致協力して状況の改善に努めるのです。

初九

悔亡ぶ。馬を喪ふ。逐(お)ふ勿れ。自(おのずか)ら復(かえ)る。悪人を見れば咎无し。
象に曰く、悪人を見るは、以て咎を辟(さ)くるなり。

悔いは亡ぶ。馬を失う。しかし追ってはならない。その馬はやがて自ら戻って来るであろう。悪人を避けずして面会すれば咎はない。

馬は九四です。暌の時にあって、初九と九四は不応、九四は坎難の真っ只中にあり、坎卦は気性の荒い馬の象です。心掛けのよくない九四は、比する六三に近付くも、六三は上九と応じ、同じく比する六五に近付くも、六五は九二と応じ、進退窮まった九四はようやく初九の元に帰るのですが、そこで初九は腹を立ててはならず、寛大なる心をもって受け入れるべきなのです。

九二

主(しゅ)に巷(ちまた)に遇ふ。咎无し。
象に曰く、主に巷に遇ふは、未だ道を失はざるなり。

思いがけずして主人と小路にて出会う。咎はない。

主は六五です。応爻同士、本来は気ままに会うべきですが、暌の時にあって会うことが難しく、お互い探し回っているうちに路地でばったりと出会います。礼に則る形ではありませんが、火急の時でありますので、このような略式であっても咎はないのです。

六三

輿(くるま)の曳(ひ)かるるを見るに、其の牛は掣(せい)、其の人は天、且つ劓(ぎ)。初め无くして終り有り。
象に曰く、輿の曳かるるを見るとは、位当らざればなり。初め无くして終り有りとは、剛に遇へばなり。

牛車が曳かれているのを遠くから見るに、その牛は左右の角が違って醜く、その御者は額に入れ墨をして鼻切りの刑に処された罪人のように見える。しかし見間違えたのであり、最後は疑いが晴れるであろう。

六三と上九は応じておりますが、共に不正であり、かつ暌の時でありますので、当初はお互い不信感を持っています。掣とは片方の角が上を向き、もう片方の角が下を向いていること。天とは罪人の証で額に入れ墨をすること。劓は鼻を削がれる刑に処されること。応爻は距離が遠いので、相手の容貌をよく知ることができずに誤解するのですが、よく見れば上九は陽剛の賢人であることに気付いて、最後は疑いを晴らして応じ合うのです。

九四

睽孤(けいこ)なり。元夫(げんぷ)に遇ひ、交々(こもごも)孚あり。厲(あやう)けれども咎无し。
象に曰く、交々孚あり咎无しとは、志行(おこな)はるるなり。

人に背いて孤立する。優れたる賢人に出会い、志を改めて交わり感応する。危ういけれども咎はない。

不正の陽爻にして心掛け正しからず、比する六三と六五に色目を使って、彼らが応ずる上九と九二との間を隔てようとするのですが、失敗して孤立するのです。元夫は初九であり、不応ですが心掛け正しい陽爻であり、これと交わって心を入れ変えれば咎はなくなるのです。

六五

悔亡ぶ。厥(その)宗(そう)、膚(ふ)を噬(か)む。往きて何の咎あらん。
象に曰く、厥宗、膚を噬むとは、往きて慶(よろこび)有るなり。

悔いは亡ぶ。その一族に会うこと、柔らかい肉を噛むが如く容易い。進んで行くのに何の咎があろうか。

膚を噬むとは、火雷噬嗑の六二にもある通り、柔らかい肉を噛むこと。暌の時にあって思うように事が運ばないのですが、宗族すなわち九二と会って親密にすることにより、やがて状況は改善されていくのです。

上九

睽孤なり。豕(いのこ)が塗(どろ)を負ひ、鬼(き)を載すること一車(いちしゃ)なるを見る。先には之が弧(ゆみ)を張り、後には之が弧を説く。寇(あだ)に匪ず婚媾なり。往きて雨に遇へば即ち吉。
象に曰く、雨に遇ふの吉は、群疑(ぐんぎ)亡ぶればなり。

人に背いて孤立する。醜い豚が体に泥を塗り付け、かつ幽霊の類が多く車に載っているのを見る。(これを射ようとして)まず弓を張り、(それらが幻であると気付いて)後に弓を解く。仇をなそうとしているのではなく、ただ婚姻を望んでいるのである。恵みの雨に遭えば周囲の疑いは晴れて吉。

六三と同じく、上九もまた遠方から六三を眺めて、六三が醜く汚らわしいものであると勘違いします。しかし実際は上九自身の気の迷いや恐怖心によるものであることを自覚するのです。寇に匪ず婚媾なりは、水雷屯の六二にもある表現です。往きて雨に遇ふとは、陰陽の和合を象徴するものです。

まとめ

初九と九四は不応ですが、初九は九四の心掛けが正しくなることを待ち、最後には結ばれます。

九二と六五は、応じてはいるのですが、間にある六三と九四に阻まれており、街の小路で偶然再会することによって暌の時を乗り越えます。

六三と上九は、共に不正であり、お互いがお互いを汚らわしいものと見るのですが、やがて疑いは晴れて和合一致します。

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