エホバの証人二世のトラウマ世界〜12年間の歪んだ教育④
この文章はある特定の組織や人物を誹謗中傷したり、傷つけたり、貶める意図は全くありません。また、信仰の自由を否定するものでもありません。個人的な感情を凝縮した文章です。古い記憶の中には、間違いや歪曲が多々あり時系列もバラバラだと思いますが、本筋には問題はないので確認作業はしません。
我が家と聖書のはじまり
4歳上の兄が小学校に入学した年、僕が2、3歳の時、兄が黄色の本を家に持ち帰ったことから、我が家と聖書の関係は始まります。後から聞いた話では、80年代は特にこの宗教が活発に動いていた時代のようです。
小学校に通い出した兄と仲良くしてくれた近所に住んでいた兄よりも2歳年上の男の子の家庭がエホバの証人でした。Fさん家族と言いますが、僕は心の底から本当に余計な事をしてくれたと思っています。その家から、黄色の本、聖書物語を兄は持ち帰りました。
当然母親は何の本か問い質したようです。子供が怪しい、高そうな本を持ち帰ってきたのですから。その後、聖書の勉強をしてくるとかなんとか言って出かける兄に、子供のしている事を確認するつもりで、母親も少しずつ話しを聞くようになったようです。
どのような経緯があったのかは知りませんが、結果として、母親も聖書の勉強を始めてしまいます。今考えれば、子供をだしに使った、仕組まれた伝道活動の一環でしょう。
実は、母親にはキリスト教への素地がありました。子供の頃に米軍の基地に暮らし、毎週末教会に通い、聖書の教えに触れていた過去です。
そこそこ由緒ある一族に生まれた東北生まれの母親は、幼い頃家庭の事情で、母親(僕にとっての祖母)と2人きりで暮らし、祖母は米軍基地の食堂のような場所で働いていたそうです。
戦後10年が経ったかどうかの頃に周りがアメリカ人だらけの場所で育った母親を、近所に住む兵隊さん家族が連れて行ってくれた場所が教会だったそうです。賛美歌を歌い、聖書の物語を紙芝居で楽しみ、お菓子もくれる、すごく楽しい場所だったようです。
そんな母親は、素地があった事と、今思うと育児ノイローゼや生活の不満や不安などが重なって、カルト教団エホバの証人にどんどんのめり込んでいきました。
学べば学ぶ程どっぷりと教義に浸かり、僕への教育が年々聖書色の濃いものになっていくと同時に、ヒステリックさに拍車をかけていきました。時に子供視点からでも狂った様に見える時もありました。
母親にとってエホバの証人に属する環境は、同じような生活をし、同じような問題を抱えている者同士が、傷を舐め合い癒し合う一種のママさんコミュニティで、自分の居場所を見つけた感覚もあったのではないかと思います。聖書に書いてある事は理想&耳障りの良い物が多いので気持ちも良かったでしょう。
本人は仲間からの肯定感を感じ、居心地が良いものであったかもしれませんが、僕にとってのその環境は苦痛でしかありませんでした。はっきり言えます。それは子供の人権を無視し、自由を奪った虐待でした。
禁止された悪魔の誘惑
今でも教義と教育をごちゃ混ぜにして僕を育てた母親を許せない感情は消え去りません。母親からの最低限の愛情は感じていました。母親が大好きでしたし、今でも大好きです。当たり前の感情です。だけど、やっぱり大嫌いも存在していました。
当時の母親は、僕のしたい事やりたい事を聖書の教えの下、エホバの名の下、大部分を拒否し否定しました。
キン肉マンも聖闘士星矢も戦いアニメや漫画は極悪。
ドラえもんも、こんな世の中は絶対にこないから無用。
ウ〇コチ〇コがでてくるからドリフは悪。
クリスマスは悪魔の宗教の行事だからダメ、絶対。
神社もお寺も悪魔が住んでいるから通り過ぎる事もお祭りも初詣も御法度。
誕生日は自分が祝ってもらう日ではなく、周りの人に感謝を伝える日だからプレゼントなんかある訳無し(これはエホバは関係ないかも)。
健全な肉体と精神を鍛えるであろう超健康的な部活動も、そんな時間があるなら聖書の勉強しなさい。と言われました。
観る事を許されたテレビ番組は、NHK教育テレビとハウスアニメ劇場。なかでも小公女セーラがお気に入りでした。虐げられた毎日から救われ、幸せになったシンデレラストーリーを自分と重ねていました。その他許されていたのはアルプスの少女ハイジやポンキッキぐらい。子供の頃にはそれしかなかったから、今でもみんなの歌やはたらく車なんかを歌える程です。
簡単にいうとほぼほぼのアニメや漫画は禁止。戦隊モノもウルトラマンも仮面ライダーもガンダムもNGでした。ファミコンも我が家にはありませんでした。
様々な娯楽を禁止されていた僕は、公園で遊ぶとか比較的母親に公認されている同級生や幼なじみの名前を出すなど嘘をついて、隠れてコソコソ幾つもの友達の家をはしごし、いつもビクビクしながら、ファミコンで遊び、少年ジャンプを読んでいました。
親の目を盗みラジオを布団に持ち込み、夜中にコソコソ兄と深夜ラジオを聴くこともありました。
体調不良を訴え(嘘の場合もありました。)、エホバの証人の集まりを休む事を許されたお留守番の時は超ラッキーで、誰もいないリビングで父親の遅い帰りを願いつつテレビを観ました。もちろん皆が帰宅する時間には布団に戻って寝ているふりをしました。
ローカルルールや、各信者家庭によって程度の差はあれ、我が家はこんな感じでした。
プロレスと成功体験
その頃の僕の最大の楽しみは祖母の家に泊まりに行く事でした。理由は単純で母親から逃れることができる場所であり、プロレスを観れる場所だったからです。
僕はエホバの証人の戦いを学ばないという教義的には極悪に位置するプロレスが大好きでした。僕と同じくプロレス好きの祖母は母親に絶対に内緒にしてくれるという安心感も相まって、猪木に馬場、ダンプ松本のプロレスを一緒に見て最高に楽しかった事を憶えています。余談ですが今でも僕はプロレスが好きです。
その為に幼い僕は母親と一緒に行く祖母の家までの道筋を母親に真相を悟られないようにシュミレーション訓練し、小学校に入学する随分前にはひとりでバスに乗って、電車に乗って片道1時間半以上の道順をマスターし、実際多い時には毎週のように通いました。
また、学校の休みと曜日のスケジュール管理をして、何曜日だったら何々プロレスだから、この日に泊まりに行きたいと交渉しよう。ということをプロレス目的だという事を母親に隠しつつそのミッションを遂行していました。その時は毎回自分で祖母に電話を架けアポイントを取ることもしました。
このように自分から発生した欲に対するエネルギーは確実な成果を生み出しました。その成功体験は生きている事への活力になりました。実は今でもその体験は自信の源です。
因みに幼稚園は神の教えに背く悪い事ばかり覚えてくる、サタンの誘惑が多い場所と言う理由で通っていません。