父の教えー「任せていることに自覚的になれ」
6月21日は父の日。せっかくだからうちのお父さんについて。
我が家は両親ともに自営業だ。母はお店を経営しているので忙しく、月曜しか休みがない。父はフリーのデザイナーで、パソコンさえあればどこでも仕事ができる。何年もリモートワーク、在宅勤務だ。週7日を家で過ごす。だから我が家ではほとんどの家事を父がこなしている。
そんな父が私と兄に語る持論について書き記しておく。
人に「任せる」生活
現代社会は人に「任せる」ことで成り立っている。
家ではご飯を作るのを父親に任せ、朝の犬の散歩を母に任せる。
会社では経理は経理部門に、商品開発は開発部門に任せる。
社会では政治は政治家に任せる。
こうして自分は、家ではお皿洗いを、会社では販売業務を、社会ではたまにくる選挙で投票することだけをしている。これで生活できている。
けれどこれら全部、本来は一つの体系の一部分だ。
ご飯を作るのも、犬の散歩に行くのも、洗濯をするのも、一人暮らしだったら自分でやらないと誰もやらない。
個人事業主だったら経理も商品開発も販売も全部自分でやるものだ。
政治だって主権者である私たちが考えてみんなで合意形成して進めていくところを、政治家にお任せしているだけだ。「代」議制というように、「代わりに」政治的決定をしてもらっているに過ぎない。
分業という形で「人に任せる」のは合理的であり、効率的である。
それぞれが得意分野を極めていったほうが何事もうまくいくし、みんなで分担した方が効率的だなんてことは現代社会に生きていれば誰でも知っている。家族四人が一人ずつ洗濯機を回し、一人分のご飯をそれぞれが作っていたら大変だ。
だから「任せる」ことはもはや「当たり前」になっている。
一度全部を自分でやってみろ
人は人に多くのことを任せて生きている。
大学生の頃から一人暮らしをし、卒業後はフリーのデザイナーで食べてきて、今は常に在宅で家事と仕事をこなす父はこのことを経験から知ったのだろう。
掃除をしろ、洗濯をしろ、犬の散歩に行け、ご飯を作れ、買い物に行け、
毎日じゃないにしろ、いろんなことを言ってくる。普段はほとんどすべてを我が家では父がやっていることだ。つまりは私は家事のほとんどすべてを父に「任せて」生活している。皿洗いくらいしかしない私からしたらとてもめんどくさい。
けれど父は面倒になったときに押し付けてくるのではない。それぞれを自分で経験して、自分が人に「任せて」いることを知れと言っているのだ。
父の持論では「サラリーマンは一回みんなやめろ」と言う。(無茶でしょ)けど、自分で魚を捕まえて火を起こして料理しろと言い出さないだけましだ。本人は釣りも畑仕事もやったことがあるし、キャンプは好きだし、DIYも好きで壁塗りも業者に任せず自分でやる。ここまで自分でやれる人はなかなかいない。
任せていることに自覚的になる
任せることは楽だ。つまり全て一人でやろうとするととてもめんどくさい。けれど本来はそういうものなのだ。生活は面倒なことの積み重ねなのである。
人に任せているという事実をともすれば人は忘れがちである。
だから面倒なことも一度経験することで、自分ごととして理解することで、人に「任せている」ということに自覚的になれ。これが父の教えだ。
政治思想を学ぶ人間として、政治にも少し言及しておく。
代議制民主主義では、政治は政治家に「任せて」いる。
政治はもともと「主権者たる国民」のものだ。古代ギリシャのような直接民主制だったら、主権者はみな広場に集まって政治的決定に参加していた。(ある意味これも奴隷に単純労働や家事労働を任せたことで実現したに過ぎない。)けれど国土も広大になり、人口も増え、奴隷が存在しない分みんなが働かなければならない社会では、みんなで集まって政治を語ることなど不可能だ。だから選挙を通して代議士に政治を任せる。主権者たる大勢の国民の代表者として、意思決定をしてもらう。
けれど「任せて」いるだけで、「代わりに」やってもらっているだけで、本来は自分も政治的意思決定をする立場にある。主権者というのはそういうものだ。
めんどくさい政治のことを四六時中考えないでいいのは楽だ。その楽さにかまけて、政治のことを忘れたり、見ないようにしてはいないだろうか。政治への関心が低いというのはそういうことだろう。
本来は政治的決定をする立場であるけれど、それを任せている。このことに自覚的にならなければならない。だから誰に任せるかを決める選挙くらいはせめて行こうという話になるし、任せた相手がしっかり仕事をしているかは監視しなければならない。(部下に仕事を任せた上司が、部下がきちんとその役目を果たしているかチェックしないことがあろうか、せめて結果くらいは聞くだろう、そういう話だ。)
これ故に政治に関心を持たないのが無責任だと言える。
「もともと政治をやらないといけない立場なんてめんどくさい知らないやだ」
そうは言ってもこんなにもたくさんの人が同じ社会でうまく暮らすには政治がないとやっていけない。もはやそういう仕組みなのだ。
生きていくのは本来的にめんどくさい。
ネガティヴな表現だけれど、そのめんどくささを少しずつ痛み分けして社会は成り立っている。お互いに任せあって、支え合って社会は成り立っている。
任せていることに自覚的になれという父の教えはめんどくさがりやな私に鋭く本質を突きつけてくる。
お父さん、いつもありがとう。