昨日のテレビ取材の顛末。
この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:昨日の突然の取材のご報告。テレビをめぐる関係者のむずかしい立ち位置。資本主義と公器としての使命を、テレビはどう折り合いをつけるべきなのか。。
契約書を交わしました
昨日よる某テレビ局の取材を受け、詳細をご報告しようと思ったのですが、「出演契約書」というものに署名をしなければならず、前もってネタばらしみたいなことはできないので、皆様すみません。
また放映が近くなりましたらお知らせし、事後報告もさせていただきます。
これからは一般論です。
確かにコメントしましたし、いろいろ話しました。
しかし、僕にはその編集権はないのです。
編集権というと大げさかもしれませんが、どういうトーンで使われるのか、
どういうイメージを視聴者に与えるか、またどういう意図でその「情報」すなわち出演者の言葉を表現するか、などは取材されたものにはコントロールできません。
その意味で、出演して発言するものにはリスクがあります。
あとでふれる、例の原作者とテレビの問題と似た構図、です。
ルールは「ビジネス」です。
テレビ番組にかかわるものならば、それは異口同音に「視聴率」というでしょう。
僕の中学からの友人は某局の敏腕ディレクターとして鳴らしましたが、彼の口癖も「テレビは視聴率がすべてだ」、でした。
実際彼は自分の担当番組の視聴率が少し下がっただけで、番組を下ろされました。
ニュアンスはテレビ局が決める
例えば、最近、どこかの原発から煙が上がっていたという事実がありました。
しかし、テレビ局は、いやテレビに限らず報道するメディアは、その事実にニュアンスを加えることができます。
ニュアンス、つまり、「味付け」ですね。
カメラのアングル、音響効果一つで、視聴者に与える印象は全然違います。
テレビ局は、それがなんであれ、視聴率を上げるため、面白おかしくするという傾向はあるのではないでしょうか。
もちろんメディアには報道の社会的責任が求められるし、各社の主義主張信念というものもありますから一概に言えないけれども、やはり数字つまり視聴率が至上命令になるのは、資本主義社会の宿命ともいえます。。
視聴率ファーストの背後にあるのが、投資家、スポンサーの存在です。
視聴率が下がれば、投資家は離れ、スポンサーは撤退します。
報道の自由などと言いますが、あらゆるメディアは投資家、スポンサーに頭が上がりません。
カネを出してくれる支援者ですから、常に彼らの意向に敏感で間違っても、批判などできません
原作者vs脚本家
いま盛んにこの議論が沸騰しています。
しかし、テレビ局にかかわる関係者は、0.1%でもいいから視聴率を上げたい、そう思っています。
原作を重んじろ、という口約束や文書での契約があっても、「テレビにどう映って、視聴者がどう反応するか」を自然に考えてしまうのが、テレビ制作にかかわる方々の性、と言うと語弊がありますが、後天的に作られた強固なマインドなのです。
原作者は作品の意図を変えられれば激怒するのは当然ですが、脚本家も視聴率が取れないとなると、自分の進退にかかわるわけで必死なわけです。
テレビ局、スポンサー、そしてメディアに材料を提供する出演者、脚本家、これら登場人物が、それぞれの利益を抱え、三すくみ状態になっているのが、テレビをめぐる現状なのではないでしょうか。
僕の解決策は、細かい契約書をテレビ局、脚本家、原作者の間で取り交わせ、ということです。
さて、「お前のTV出演の件はやっぱり話せないのか?」
とおっしゃるんですね。
それは、今後やるかもしれないオフ会ででも(笑)。
野呂 一郎
清和大学教授
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