コミュ力がないという人ほど交流会を主催すべき理由
この記事はあくまで、人と交流する必要がある場合である人に向けたものだ。
例えば営業や外交員などになったら、コミュ力がどうのとか言ってられない。そういった場合である。
コミュニケーションが全く必要なく、するつもりもない。という場合はそれはそれで悪いことではない。
さてコミュ力を上げるノウハウは世の中に沢山落ちているし、それをネタに集金している情報教材も多い。
だがそれを読んだり実践したところで所詮は付け焼き刃であり、機能しないという声は多い。
成功する人がいれば、それはもう本当は才能があって、自分を低く見ていただけだろう。
参加者でも浮くのに、主催なんてムリムリ!という人へ
特にコミュ力が自分はない。と思っている人に問いたい。
交流会や何等かの集団授業があったとして、時間ギリギリに到着するのと、一足先に着いていた場合。どちらのほうが気楽に交流しやすいだろうか。
あくまで一般的に考えれば、先に到着していたほうが交流のきっかけはつかみやすい。
それはなぜかというと、情報格差が生まれるからだ。
情報格差で有利になる
その場やその集まりの内容に詳しい者ほど、交流は有利になる。
当たり前かもしれないが、それはよく見過ごされている点でもある。
一歩先に来るだけでも、過去1回だけ多く訪れただけでも、情報格差が生まれ、他の人より有利になり、交流のきっかけも増える。
逆に考えてみよう。最も情報格差で自分が有利になるシチュエーションを作ればいい。
一般的にすべての条件から集団の中で最も情報を得られる立場とは何だろうか。
そう、主催である。宗教でも会社でも、創設者というのはその組織の中で最も情報を持っている。当たり前である。最初の人なのだから。
とにかく開催してしまってから考えても遅くない
さらにその集団が自分の趣味などならなおさら有利だ。
例えばアメリカSF映画ばかりを見ていた人がいたとする。
この人がアメリカSF映画コミュニティを作って、その交流会を開催したとしたら、想像だけで圧倒的有利になるのが分かるだろう。
この状況で開催者の立場でいて交流会内で一言もしゃべらず、いつの間にかフェードアウトしてひとりで帰宅しても何ら問題なならなかった。というのは逆に難しい。
創設者にして専門家であるから、当たり前に取り仕切る権利があり、そして取り仕切っても誰も不思議に思うことはない。
ルールも自由に変えられて、しかも集客力は自分ではなく、そのアメリカ映画なり他の魅力で集客も可能だ。
例えば何等かの勧誘や営業をしないとならないとする。
もしこれが他人の主催した会だったら、ルールに従わないとならないし、ルールに沿っていてもいきなり勧誘は度を越していると思われるだろう。
一方でこれが自分が主宰した会だったらどうだろう。
主催者からのお知らせであり、その通知があまりにも内容にそぐわないとか場違いでない限りは、概ね問題ないことだ。
もちろん、あくまでこれは交流しやすくなる。という内容であって、主催したからと言って交流できるとかうまくいくかはやはり人柄や会話内容によってくる。
主催でいる方が交流が楽
主催することでできることは多い。
少なくとも、自分は人と交流が苦手だから。と思っている人ほど自分で主催したほうが都合がいいことは多い。
参加者としていくと、入り込んで人の連絡先を聞いて、関係を維持するまでに多くの手数が必須である。
一方で主催者であれば、主催者というだけで全員と交流がほぼ約束されており、ルールも決められ、関係を維持するための手数も減る。
もし目的が恋人を作るため。であれば主催するのはあまりお勧めできない。主催者という立場は特定の人と懇意にしすぎることは憚られることが多いからだ。
一方で、交流を広げたい。というのであれば主催は有効な手だろう。
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