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「仏教とは何か?」に対する自分なりの答え

 一般に仏教は宗教の一種であるとされています。が、少し勉強すれば気づくのですが、宗教というより哲学の要素の方が強く出ています。 信仰心は、ある宗派にはあるのですが、全く俎上に上げない宗派もあります。 第一、仏教には神様がいません。 人間を超越した存在者を想定せず、あくまで自分と向き合うのです。
 では、仏教は哲学か?
 それも違うように思います。じゃあ、文化か? あるいは職業か?

 ずばり、のり子の考えを言いましょう。
 仏教とは、知恵のことです。

 今回は非常に重要な記事ですので、皆さんに読んでいただきたい。
 読まないとダメなわけではないけれど、のり子が喜びます。それと、あるべき仏教の姿を考えるヒントにもなると思うんです。

仏教とは何か、を考えていた。

唯識仏教との出会い

 のり子が仏教を初めて手にした瞬間を覚えています。
 高校二年のこと、久御山イオンモールの未来屋書店で一冊の本、多川俊映著『唯識とはなにか』と出会いました。
 これです。

 この本との出会いは、いま思えば自然な奇跡と言いましょうか、本屋に推されてるわけでもなく、何か特別な装飾があったわけでもなく、本棚の一番下の段にあったこの本とよく出会えたものだと今さら驚きます。第一、それまでのり子は仏教なんぞに、微塵の興味も持っていなかったのですから、「一冊だけ買ってあげる」と母のお許しがでて選んだ本がこれだったというのは、本当に奇妙なことです。

 この本が手に入ったとき、のり子にとって仏教とは、
「たんなる宗教の一種」であり、「瞑想とかするオカルトっぽい世界」
 でした。
 そして、当時理系っ子だったのり子少年はオカルト的なものを徹底的にバカにしていたように思います。

 で、この本『唯識とはなにか』が、いかにすごかったか!
 うげぇ〜〜と声を漏らしながら読んでました。

 高校二年ののり子は理系っ子と紹介しましたが、理系の高校へ進んでおきながらあまりに捻くれた性格で「高校に入って勉強するやつは馬鹿だ」と思ってましたから(就職するために大学に行くような人間になりたくない、と思ってたんですね……トホホ)ですから、学校の授業は全て眠ってサボり、家に帰ってからの眠れない夜を文学作品、哲学書で過ごすという日々を過ごしてました。理系に反抗して文系をつっぱしる暴走族だったのです。
 そんな日々に巨大なパンチを喰らわしたこの「唯識」という存在。
 トンデモない世界。
 この時の読書感想こそが、端的に言えば、

「仏教って、めちゃめちゃ哲学やん!」

 だったのです。
 これ、仏教に興味を持った人がまず抱く感想なんですよね。あるある、というやつです。

 唯識仏教はひたすらに「心」というものの構造を分析し、同時に仏教の歴史の中(釈迦に始まり、いろんなインド哲学と結びついていったその遍歴)で出来上がった仏教の世界観を、何一つ矛盾なく統合することでその説得力を増す。 そこに神はなく、 論理の飛躍もなく、 まるでカントがそうしたかのように、 確実に正しいと言える前提を根拠に一つ一つ理屈を積み上げて、 最終的に人が生きるべき世界とその精神を明らかにしてゆくのです。

 のり子はこの本を読んで、なぜアンパンマンが素晴らしいのかを理解しました。
 このアンパンマン問題は『唯識とはなにか』の紹介とともに、またいつか書こうと思います。その時に鮮明あざやかなる唯識の理論も少々書こうと思います。

 とにかく、その衝撃はすごかった。
「仏教は哲学」という発見。宗教というものを、「直視できない現実、辛い人生から目をそらすために神に頼ること」だと思い、仏教もそうだと思っていた自分の浅さに気づきました。

 それからのり子はいろんな本を読み、仏教の歴史に興味をもった、仏像にも興味をもった。仏教には芸術という側面、つまりフィクションであることの素晴らしさも、そこにあるのだ。

 そんなこんなで数年経って、またある本と出会ったのです。

仏教はヨーロッパで作られた?!

 次の本は『唯識とはなにか』との偶然とは真逆で、ある種必然的に出会ったのですが、『英国の仏教発見』という本です。

 この本もまたべらぼうに面白くて(2割くらい読んで止まってるけど)、この本でわかるのは「仏教という宗教ができたのはヨーロッパにおいて」であったということです。もっと衝撃的な言い方をすれば、

 十八世紀も終わり頃、ヴィクトリア時代です。
 ヨーロッパ文化で航海技術が発達し、経済的な理由も相まってアジアやアメリカ大陸に植民地をどんどんつくり始めます。

 イギリスはインドを征服。有名ですね。
 その一部でブードゥー(ブッダ)が讃えられていることに薄々気づき始めます。それから中国とも交流が始まる。と、そこでも聞くのです。ブッダの名を。
 それからアジア広範にわたるいろんな地域でその存在が見えてきて、ヨーロッパ人はざわつき始めます。アジアに行ったどの国のどの調査隊も、ブッダという名を聞いて帰ってくる。

「おいおい、統計によると、キリスト教より信者数の多い何かがあるぞ」

 という衝撃が走ったのです。
 それで興味をもったごく一部の人たちが研究し始めた。これが仏教にとっても、とても大きな意味を持つのです。何しろそれまで「仏教」というのは存在しませんでした。ただその文化圏の漠然とした価値観や文化があっただけ。それに「仏教」という枠組みを作り、文献並べ、歴史的に順番をつけ一つの宗教として出来上がったのはこの時が最初なのです。

 そこで初めて仏教という宗教ができあがった。
 西洋によって仏教は創造された。

 最初に「仏教という宗教ができたのはヨーロッパにおいて」と書いたのはこういう意味です。

 仏教文化圏の住人にとって、仏教というのは生活の一部であった。それが特別な何かとして意識されたことはなかった。もちろん意識して仏教の道に進んだ人はいくらもいたが、それは仏教世界の中での話であって、外から仏教を見る経験はなかった。なので現代の若者が音楽の道を目指すのに近いのかもしれません。
 考えてみれば、音楽を聴くという行為も、異世界の異生物から見ると、何か生きることから遊離した変な行動のように映るかもしれません。なぜ音楽に当然としたり、高揚したりするのか、理屈では理解できないものですよね。

 話が逸れたので戻しますと。
 古く仏教文化圏の東洋人らは、それをことさら宗教としては捉えていなかった。仏教を生活とかけ離れた何かとは思ってなかったし、それは我々が音楽を聴くみたいに自然に生活になじみ、その道に進む人もいた。
 ヨーロッパはキリスト教文化です。そんな彼らがアジアに渡って見たものは何だったか?
 ……異質な宗教だったのです。

 食うことも同じ、寝ることも同じ、人間の営みも大体において小さな違いしかないけれど、明らかに信仰に関しては自分達と異なる彼らを見た。キリスト教信仰は彼らの心の中心であり、価値観そのものでした。その「信仰」に別種がある。キリスト様はそこでは有難ありがたがられてない。
 そこで彼らは、その「信仰」の部分だけを剥ぎ取って研究し始めました。ここにおいて初めて「仏教という宗教」が形を表したのです。
 ヨーロッパで仏教が出来上がったという指摘は、そういう仕組みです。

 のり子は、このことに気づかされ、ではそれ以前の歴史の仏教文化圏の人たち、特に日本人はどのように仏教を感じていただろうか、ということに疑問を持ちました。一体どういう精神で仏教と向き合っていたのだろうか?
 つまり、「仏教とはなにか」という疑問は、ここでも立ち上がったのです。

「仏教とは単なる文化だった」

 とこの本の余白に書き込みがしてあります。書き込みはこう続きます。

「東洋において仏教は生活であり、文化であった。親鸞、道元なども、生き方をモサクしたにすぎない。ルターの宗教改革が生き方改革であったように」

 ルターの宗教改革が生き方改革であった、というのが正しい理解かどうかはさておき、ここで言いたいのはつまり、仏教というあり方がヨーロッパの働きによって他の宗教と比べられ、「宗教」としての特徴が述べられる以前、日本人にとって宗教は生活だった。世界そのものに近かった。
 だから僧侶の模索は我々が生きるべき倫理人の人生のあり方を直視する、などにすぎなかったのではないか。そこに、「我々がやってるのは宗教である」という特別な意識はなかったのではないか。
 ということです。
 ここにおいて「お釈迦さんが言ったのはこういう意味だ」という解釈や「仏教はこうあるべきだ」という宣伝は、「我々はそのように生きるべきだ」という哲学に直結していて、今のように学問としての仏教ではなかったということです。

 それからまた、のり子は『歎異抄』をどくどくと読んで、
「仏教はまさに宗教だ!」
 と思ってみたりもしました。そこに書いてあるのは「信じれば救われる」です。何もしないでいいのです。世の中を、人生を、自分の力で、どうにかすることを放棄しているのです。

 さて、つらつら自分語ってきましたが、テーゼに戻ります。
 では結局仏教はなんなのか。
 それは先日、部屋に忘れてしまった印鑑を取りに帰っている電車の中で思いつきました。
 仏教とは、知恵のことだな、と。(仏教っぽく智慧と書いてもいいですが)

仏教が知恵とはどういうことか

 たぶん電車の揺れがちょうど脳内のニューロンを揺らして電子がぶつかったせいで思いついたのでしょう。とてもスッキリしました。

 仏教とは知恵のことです。

 宗教でも、哲学でも、文化でもありません。
 知恵と仏教は異音同義語です。

 仏教の修行をしている人が、一体何をしたいのかというと、知恵者になりたいのです。賢くて頼れる人になりたいのです。そう思います。

 そもそもの始まりはやっぱりお釈迦さん。彼がなぜあがめられているかというと、彼が仏教の思想を最初に説いたからです。

 釈迦が生きた時代は哲学者がわんさか出た時代です。そのみんなが各々の理論でカースト制度を否定し、新しい哲学、新しい生き方を広めようとしました。
 その一人であった釈迦は「縁起」という概念を掲げて登場しました。
 それが受けたのですね。大ウケですり
 どんどん知名度をあげ、ついにはインド中に知られる存在となり、弟子も増え続けました。

 なぜ他の人でなく釈迦だったかというと、その思想が時代にマッチしたからに他ならないでしょう。どれだけ優れた思想でも、その時代に必要がなければ広まりませんし、間違った思想でも時代にマッチすれば受け入れられます。その理由だけで彼は当時のインドで有名になったし、逆にその思想はヨーロッパやアラビア方面には広がらなかった。そこでは社会が違って、その思想がマッチしなかったのです。もしくはそれ以上に好まれた思想があったのです。

 釈迦が悟りを開いたのはウルヴェラー村のネーランジャー河のほとりでのこととされますが、大覚成就だいかくじょうじゅと言います。ここで「世界は縁起にいよってできている。全ての物事は原因があって存在する」というのを思いついたのですね。
「世界をありのままに見て、正しく認識しよう」という努力の末のことでした。

 これがいわゆる「悟り」と呼ばれているのです。

 大切なことなのでもう一度言いましょう。

 これがいわゆる「悟り」と呼ばれているのです。

 この事実を覚えていてください。

 ——さて、ここからの説明のためにいくつか用語を決めますが、悟りを開いた人のことを「如来」と呼び、悟りを目指す人のことを「菩薩」と呼ぶことにします。大乗仏教用語なのですが、ちょっとニュアンスは違っているかも知れません。

 釈迦は「如来」となった。
 それはつまり、時代に必要な新しい思想を思いついたことを意味します。

 仏教徒にも二種類の信者がいるとのり子は捉えています。
 ①釈迦の教えを理解しようと学ぶ人。
 ②釈迦になろうと思う人。

 仏教が知恵である、と言ったのがここからどんどん効いてくるのですが、釈迦の教えを知ろうとする努力をしている最中が「菩薩」であり、悟りを開くと「如来」と呼ばれるようになりますが、これはつまり、その時代に適応した新しい思想を作った、あるいは広めたということ。

 思想を思いついた=「悟り」なのです。そこにオカルトや超越、無の極地などの感覚的な話が入り込む余地はありません。
 その時代に必要とされている思想を思いつきたい。

 知恵がほしい。知恵になりたい。

 それをするために山に篭って勉強したのが最澄であったりします。
 たくさん勉強をした法然や親鸞も当時の人々を救う新しい思想を広めました。
 それが素晴らしいのです。

 仏教の一分野に「瞑想」というのがありますね。

 瞑想をして悟りを開く。

 というのがなんとなく仏教のイメージにあると思うのですが、ここにおける悟りをどういう風にイメージしていたでしょうか。
 やっぱり今までは「悟り」というのを、漠然と、何かの境地、何かの真理のように捉えてしまいがちだったように思いますが、その境地、真理とは具体的になんなのでしょう。

 ここが漠然としていると、確かに「瞑想して悟りを開く」という行為が「幽霊を見る」とか「宇宙人と交信をする」と同列に語られても然もありなんという感じです。

 そうではないのです。

 これがいわゆる「悟り」と呼ばれているのです。

 と言った通りに、悟りを開くとは、何度も言いますが「時代に適応した新しい思想を思いつく」ということです。神秘的な要素はそこに全くなく、「悟り」とは「知恵」なのです。

 龍樹というインドのすごい仏教の人がいます。
「空の思想」で有名な人です。「この世の全てのものは存在しない。存在しない故に存在する」という考え方。
 彼もまた瞑想によって得た「無の境地」からその思想を組み上げていったのですが、そこにおいて瞑想というのは目的でなく、単なる手段無の境地も通過点に過ぎません。あるいは単なる道具です。すべては時代にとって必要なものを見極めるための一方法なのです。

 釈迦が瞑想によって悟りを開いた。
 そして彼はそれ故に「瞑想、大事だよ」と言いましたが、瞑想自体が大事なのではないと思います。

 釈迦は「中立であること」を説き、考え方が偏ることをよくないとしました。それだけに彼は、釈迦の考えを信じすぎる信者のことも危惧し、息を引き取る前に「自灯明・法灯明」を説きました。
 その意味は、「自分を頼りにし、法を頼りにせよ」自分の判断を大切にして、世の中のありのままの正しい姿、その法則にに照らし合わせて考えなさい。ということです。
 なのでやっぱり、「こうしなさい」「こうでないとダメだ」という何かがあるのではなく、最後に言ったのは

「時代はどんどん変わると思うけど、その都度、その時代に生きる人たちが、その社会を見て、自分の考えで生きていきなさい」

ということだと思うのです。そして仏教徒において大切なのは、それを広めることです。

まとめ

 悟りを開くというのが、漠然とした境地や真理ではなく、時代にあった知恵を得ること。ということの意味が少しでも納得できたでしょうか。
 仏教がヨーロッパでできたということも飲み込めましたでしょうか。
 書いてて、今のところ上手く流れを作って説明できている気がしないので不安です。

 けれど、僕なりに本論自体は仏教の本質をついていると思うのです。
 仏教は知恵です。
 だから西洋においては「プラトン如来」であり「カント如来」であり「ニーチェ如来」である、ということです。
 そしてまた『鬼滅の刃』だとかadoの「うっせえわ」なども、一つの思想だと思うのです。一人の作家の苦悩があって、描かれる考え方。それは龍樹や親鸞などがやったことだと思うのです。
 現代の我々にとって宗教は少し特別な立ち位置にあるように思えますが、先述したような「仏教は生活だった」時代においては、説法はアニメや音楽、映画のようなものだったのではと想像できます。

 ともかく『鬼滅の刃』というこれまでにない世界観を作った、その作品独特の思想を思いついた吾峠呼世晴さんは、如来なのです。
「知恵」とは、人を感動させるものでもあるのです。

「知恵」=「考え方」としてもいいかもしれません。

 哲学として、宗教として、生活の一部として長い仏教の歴史がおってきた役割の本質は、そういうものだったのだと思います。
 人の心を救う考え方や生き方を創造し、広め、いい社会を作る。これが仏教の目的なのです。そのためには瞑想も、お経も、仏教の歴史も伝統的な思想も、実は必要ないのではないかとも思います。もちろん価値があるものは、そのまま広めてもいい。一部を拡大解釈して広めてもいい。のり子自身「唯識仏教」の考え方を知ってどれほど生き方が変わり救われたかしれません。大切なのは、「考え方によって人の心を楽にする」ということです。

 まるで革新的なものを掲げているように見せかけ、実は当たり前のことを言っているのですが、説明はここら辺で一旦おしまいにします。
 目標とすることが「人を救う」というのは仏教においてずっとあったわけですから、そこから一ミリもずれず、これからの行動がこれで変わるわけでもありませんが、少なくとも「仏教とは何か」ということの、のり子の数年の疑問はとりあえず解決したように見えます。
 この記事によって、同じように誰かのちょっとした疑問がスッと晴れればいいな、と思います。

にゃー