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21 アイの長い一日

その日のアイにはすることがなかったから、いつも通り規則正しく朝早くに起きたけれども何をするでもなく寝転んだまま目を開けて、天井を見ているとウサギがお腹にポンっと勢いよく乗ってきたことがきっかけで、そう、何かの弾みで心の中の世界にふっと風が吹くことはよくあるけれど、アイは今まで妄想なんてそうそうする性格ではなかったのに、この日ばかりは妄想というものが頭の中いっぱいに、それもぼんやりとではなく、明確に輪郭を持って立ち現れてきたのだが、その妄想というのは、あの路地に関することで、ここで一度あの路地というものを説明しておかなくてはならないから、ここであの路地を説明するのだが、それは町に流れる〈一の川〉を、例えばヤジキタさんが出している小舟に乗って南下したりすると、いろんな村を通り過ぎて観光することができるけれど、ずっと行くとやがてクァシンの住む町ほどではないがそれなりに栄えているルルフォ町というところが出現するが、ルルフォ町の中心、フアン商店通りという西東に伸びる通りの、その中程を北に曲がってずっと歩いたところに、ほとんど誰も住まなくなった一区画、その中央のさびれた長い道のことをそう呼んでいるという話で、他のどこでも味わえない不気味な空気感と妙な気味悪さがあるので、ほとんど「あの路地」と言うだけで通じるというくらい不気味なその路地のことを言うであるのだが、なぜかその道をクァシンが歩いていて、そしてすぐ何かにつまづいた様子で、クァシンが足下を見ると言うその妄想が意識されると同時に、アイもその足元にあったコロコロ音を立てて転がる空き缶に意識が移り、というのは、この時すでにアイは上空からの視点でうする意識的な妄想ではなく、クァシンの視点でする無意識的な妄想であの路地を歩いているような仕組みになっており、彼はクァシンとして後ろを振り返ってみると、今度はそこにさっきつまづいたのを笑っているらしい少女がパクパクと口を動かしているのが見えたのだけれど、何を言っているのかわからないままであり、やがてそうするうちに、アイは第三者視点に戻って上空からの視点でクァシンのことを見るのだが、クァシンは何かを聞き返した様子であるのがわかるのであったと同時に、この時点でだんだんとこの妄想に飽きてしまったアイは何か突飛なことをしてやろうを周囲を見渡して、この前、洞窟のダンジョンに潜ったときに牛の怪物を倒して手に入れた宝箱が目に入ったので、妄想に組み込むことにして、突然少女が宝箱に変身して、そこからザクザクと金銀財宝が溢れるようにしてみたが、アイの知るクァシンはそういうものには全く興味がないので、そんなものには見向きもせずに、スタコラとあの路地を先に進もうとしてしまうのことが予想されるのに従って、実際アイの空想の中のクァシンはそう行動したのだけれど、それが、なぜだかアイには悔しい感じがしたらしく、と言うのは、予想通りに妄想するのが現実での冒険に慣れてしまったアイには退屈なのだろうと分析できるが、アイはそこを打破しようと、今度はまた部屋に見つけたある物、南方の村ロコロコ村に行ったときファボファボというおじさんととても仲良くなったが、その時にファボファボからもらったクラシックギターを空想に取り込むことに決めたらしく、次はこれだと思うと同時にファボファボのことも懐かしくなってあの夜の楽しいキャンプファイヤーを思い出して部屋のいろんなものを見てみると、さすがのアイでも今の部屋は散らかりすぎていると思えるほど、大量の物という物が集まっていて、どれもこれも思い出がある人との繋がりの中でここへ来た物だがさすがに掃除をしなくてはならないなと思い、妄想の中であの路地の埃っぽいのと相まって、風をビューッと吹かせて全てが片付いたらなぁという願望が湧き上がると、クァシンは腕で顔を覆って目に埃が入らないようにしたが面白く、アイはすかさず妄想に戻り、さっきのギターやら太鼓を用意して、じゃんじゃか楽しげた宴をあの路地で催してみたが、あまりにあの路地の陰気なもので、さすがのファボファボたちもそこで宴をするのには興が乗らないのか、はたまたイメージ力不足なのか、アイの空想の中で、てんでグルーブのない、リズムの狂った歌や踊りをし始めたので、不思議そうにみていたクァシンのためにもアイは妄想の中からファボファボたちを消して、秩序を取り戻し、そろそろ朝ごはんを食べようかと思った、というのは腹が減ったからだが、ついにベットから起き上がって、冷蔵庫を開けて、中に昨日のチャーハンの残りがあるのを確認するとそれをフライパンに乗せ、火にかけ温め直していると、その香ばしい匂いの誘惑に、腹がぐうっとなると一緒に、アイはついこれをクァシンにも食べてほしいと思ったけれど、アイの頭の中のクァシンはまだあの路地の中にいて、一人で歩いていたが、アイはこのチャーハンの匂いを使ってクァシンの足を少し止めるのに成功したのであろうか、よく考えればそれはアイのお腹がとても減っているからに他ならず、実際そういう生理現象にあまり興味のないクァシンは夜になっても寝ないし、食べるのもトイレに行くのも忘れていて、突然夜になって空腹と尿意と便意を一気に思い出しお腹を痛めているような人なので、もしかするとあの路地にいるクァシンのはなにチャーハンの匂いが漂っても足を止めるまではしないのかも知れないし、ましては止めたところで別に食べれるわけじゃないと気づくと、彼ならすぐに先へ進んでしまうだろうけど、こればっかりはそういう問題ではなく、つまりこのチャーハンは昨日の夕方ごろ、タニシの女神が来てくれてアイのために作ったので、つまりアイのチャーハンであるわけで、知らない他人のチャーハンならいざ知らず、このチャーハンばかりはお腹が空いているのであればクァシンは何も気にせずに食べれるわけだし、ましてやアイは彼が食べたがっている食べたがっていないに限らず、せっかく一緒に食べれるなら多少お腹が膨れていたとしても一緒に食べてほしいと思う性格なので、アイは妄想の中に自分の体を作って、気づいた頃にはあの路地の中に立たせていて、歩き去るクァシンの背中に向かって何やらを叫んだが、クァシンには聞こえないみたいでどんどん先に行ってしまうので、妄想ではありながらアイはあの路地の不安な空気に押しつぶされそうになって怖くなり、必死でクァシンの名前を呼んでいたが、やっぱり聞こえない、どうしようかとアイは足元にあった空き缶を拾ってクァシンの方へ投げつけると、それが背中に当たって、やっと彼は振り向いてアイのことを確認したが、次に問題なのはアイがどれだけクァシンに向かって叫んでも、その声は届かず相変わらずのクァシンは困ったように首を傾けるだけで、アイはその場から金縛りのように動けなくなっているし、クァシンはいまにも向こうへ行ってしまいそうで怖くなってきて、アイはチャーハンを具現化してその香りをクァシンのところまで漂わせるというやり方でクァシンの意識をこちらに向かせることに成功しクァシンはアイの声が届く近さまでやってきて、
「美味しそうなチャーハンの匂い」
「そうでしょ。昨日のアイの晩ごはんなんだけど」
と言って、フライパンから半分、足元にあった皿を拾って盛り付けると、それを妄想の中へ持っていき、クァシンに渡して、再び忙しく今度は食器棚からスプーンを取ってきて、それもまた渡すと、クァシンはそれを受け取ると同時に、不安そうな表情をして、
「うーん」
と唸っていたけれど、数秒経って、
「あっ」
と何かに納得した声を上げると、彼はチャーハンを口に運ぶ前に、
「なんだか、ここ夢で見た気がする」
「うぎゃーーー、れろれろれろれろれろ。ワー! ワー! ワワワーー。ドワッハーーーーー、ぎょえー、ギョエー、魚影ー。とっとろレロれ、とっとろれれ。アイーン。アーイン。アイんーアインーシュタインー。おっほっほっほっほー」
とアイが発狂するのをクァシンは丸い目をして、
「何してるのさ」
 と聞くと、アイはチャーハンを一口飲み込んでから、
「ちょっとやってみたいって、前から思っててさ」
「何が? 叫ぶの?」
「僕が叫ぶのも夢で見た?」
「見てない」
「ほら、今乗ってさ、デジャブって言うんでしょ」
「うん」
「アイは、発狂によってデジャブに勝ったんだよ。あるはずだった未来がなくなったよ」
「デジャビュってそう言うのじゃないから」
とクァシンがいつもの笑顔を浮かべるのと同時に、そこにお皿とスプーンだけを残して煙のように、いや、煙すら残さずに消えてしまって、アイは自分の妄想の中に取り残されると言う不思議な経験をしたのであった。

さて、アイが二皿分のチャーハンを食べ終えた時、クァシンがやってきた。
「おはよう」
とアイが迎えると、クァシンは不思議そうな顔をして、こんなことを言った。

「昨日ね、出かけてたんだ。『地形と経営』って本を見つけて、それで知ったことを確かめようと思ってさ」
「うん」
「で、そこで夜を迎えたはずだったんだけど、目が覚めると自分の部屋にいた」
「夢見てたんじゃない?」
「そんなはずないよ。夢って場面しかないだろ。僕のは昨日一日のちゃんとした記憶があるんだよ」
二人は確かめに行くことにした。

クァシンの案内に従って、アイは舟に乗り、南へ降りて、船を降り、町を歩いて、商店街に足を踏み入れた。


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