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寄り道『戦争と平和』 (2/14)

日本中の左利きの少年少女、こんにちは。
右利きのり子です。
文字ラジオー……
関係ないですけど、「こんにちは」で正しいんですか? 「こんにちわ」ですか?

今日はこれといって何もなかったのですが、マクドのニューヨークバーガー食べました。マクド中毒なんですよ。と同時にマクドアレルギーでもあります。
どういうことかと言いますとですね、普段どうしようもないくらいマクドが食べたい。
禁煙中みたいに口がマクドの方角へ引っ張られるわけです。
でもですね、行ったら行ったでで体調壊すんです。
店内で長居しないかぎりは、ちょっと気分が悪くなるくらいなんですけど、二、三時間といると息がしづらくなります。

だからニューヨークバーガーは買って家で食しました。
まあ、買って貰ったんですけど。

で、新作の味がどうだったかと言いますと、
50/100
ですね。
誰もあまり興味ないでしょうからさっさと締めますけど、

「肉厚ビーフバーガー ペッパー&チーズ」

「グリルチキンバーガー ソルト&レモン」
の二種類あるわけです。

後者はまだ今までにない独特の味がしました。いわゆるチキンにレモンをかけた味ですけど。
問題は前者の「肉厚ビーフバーガー ペッパー&チーズ」
もう今までの普通のマクドの普通の味です。
マクドって、マクドっていう味がするでしょ。
それです。
第一、小さいし。ニューヨークのバーガーって言われて最初にイメージしたのがデカいやつ。デカいってのが日本のと比べたときのアメリカの1番の特徴じゃ?
あと肉も、マクドの肉であって、ニューヨークらしい肉肉しい味はしない。

総評としては、

まあ美味しかったしいいや。

です。

で、

本日は誰のなんという曲を流そうかなー?
ちょっとネットを開いてみたら、すぐに決まりました。
早速かけますね。

KinKi Kids - 高純度romance

KinKi Kids 僕が中学生から高校生、そしていまだに好きなアーティストの代表格ですね。Cアルバム、Dアルバム以外聴いてるのではないでしょうか。

2022年3月16日リリースらしいです。

正確にいうと剛くんのファンなんですが、この曲で完全に堂本剛の歌声が戻ったなって印象。Lアルバムあたりの歌いかたになってる感じ。

さっきからなんの説明もなく過ぎていますが、キンキは最初にリリースしたのが「Aアルバム」でそっから「Bアルバム」「Cアルバム」と続いて、現在「Oアルバム」まで来てます。

15番目ですね。

それ以外にも「39」とか「バラードセレクション」みたいなんも出してるので、入門編としてはそういうベストセレクション系から入るのがいいんじゃないかなー。
あとおすすめは「φ」です。かっけえので。
かっけえし、このときの堂本剛の歌いかたが洗練されてて好き。
年々癖が強くなっていって、カンストしておさまっていったという歴史があるのですが、「φ」あたりはちょうど強くなっている途上の、昔の伸びのある爽やかな歌声と、表現力重視の粘りのある歌声が、半々で楽しめる、とてもいい状態! だと思います。

なので、その剛の歌声の遍歴とともにKinKi Kidsは楽しめます。
光一はほとんど変わりません。多少、上手くなってはいます。

終わろうと思ったら、タイトル見て驚きました。

寄り道『戦争と平和』

そんなことしようと思ってたんですね。

まあやりましょう。

新潮文庫の工藤精一郎訳で読んでます。
いま50ページくらいまで進みました。ちなみにこの50ページくらいまで読むのをかれこれ10回近く繰り返しています。一番進んだときで120ページ。でまた期間が空いてわからなくなったり、自分が今何を読んでいるのかわからなくなったりして、毎度毎度律儀に最初から読み直し……てな感じ。

今回は最後まで読めそうですぞ。

僕の小説、もとい本の読み方というのはとても寄り道的で、
どうしてもどうでもいい部分を探ってしまうわけです。本筋はどうでもいい。
というより本なんて読まなくていいのです。

本、読むべきでない論。はまた機会があればお話ししますが、今回は日記の寄り道として、誤読論を展開しましょう。

いつか大々的に記事にしようと思ったのですが、書かなそうなので、今ザーッとやります。

僕は、誤読と忘却、記憶違いに可能性を感じています。
読書などむしろ誤読しないと意味がない。
記憶なんて、忘れないと意味がないと思っています。

誤読はなぜするべきかというと、しないと何も生み出さないからです。
例えば『戦争と平和』を正しく読んだとし(完全に正しく読むのなんて不可能ですし、そんな完全がそもそもあるのかさえ疑問ですが、できたとして)それは単に小さいトルストイが出来上がっただけなのです。
よしんば小さいトルストイに価値があるとして、僕がするより専門家がなる方が、僕より少し大きいトルストイなので、そうなると僕のトルストイ論なんて掃いて捨てるような米粒になってしまうのです。(けれど七柱の神様がいることも忘れずに)

では誤読してみてはどうか。
トルストイの『戦争と平和』を、——これは、これは現代のツイッター文化を予見して、ツイッター上での日本人の堕落を批判的に描いている!
などと読んでみる。この誤読にオリジナリティーと創造性が生まれるのです。

そんなこと、作品に対する冒涜だ! と言われるかもしれません。

その場合は謝ります。

でも、僕、のり子はちょっくら小説も書くのですが、絶対に無から産んでいる訳ではなく、なんらかの先行作品(小説に限らずあらゆる芸術、出来事、事件)を元にするのです。それは当たり前のことと思われます。
独創性の高いとされる宮澤賢治でさえ、——そう、それこそ彼はトルストイに影響を受けたのです!
もし僕が正しくトルストイを読み、そして影響を受け、新たな作品を作ったのなら、また小さなトルストイと化してしまうか(大体3か4から影響を受け、合流させて作るので、単純にそうはならないけれど)——ともすれば、トルストイからの単なる剽窃と扱われます。

しかし元から誤読してしまえばそんな心配はない。

もうすぐ『鉄文子の彷徨記』シリーズで「日記」という話が上がるでしょうが、それがラカンからインスピレーションを受けたなどと、誰も気付くまい。へっへ。

忘却論も大体に同じ理屈です。
忘れて、「確かこうだったなー」とするところに創造性が出てくるのです。
犬や猿は見たものをそのまま、写真で撮ったように記憶するという話はご存じでしょうか。つまり人間より遥かに記憶が鮮明なのです。
しかし、ここに人間の発明猿たるゆえんがあって、実は「曖昧に覚える」というのは、とても高度なことなのです。
コンピューターにしてもそうでしょう。画像をそのまま保存するのは単純なカラクリで可能ですが、曖昧に記憶させるというのはかなり難しい。

実は人間の新しいものを生み出す能力というのは、この曖昧な記憶が鍵だった。ということです。
記憶力が強すぎると、新しいものが生まれない。AIの技術も、曖昧性が鍵でしょう。知らないですけど。

さあて、いよいよ始まりますよ。

寄り道『戦争と平和』

枕が立川談志ばりにとっ散らかりましたが、いよいよ本番。

『戦争と平和』最初はアンナさんの開く社交界のシーンから始まり、ダラダラ続きます。
僕が読んだのはこの社交界が終わるまでの部分。

まず気になったのは、超絶美少女エレンです。

公爵令嬢エレンはにこやかな笑みを浮かべていた。彼女は客間へ入ってきたときとそのままの、完全な麗人の変わらぬ微笑をたたえたまま立ち上がった。そして、常春藤きづたと苔の模様をあしらった純白の夜会服の軽い快い衣ずれをのこしながら、まぶしいような肩の白さと、髪のつやと。ダイヤモンドの輝きであたりの目をうばいながら、わきへよけて道をあけた男たちの間を通って、誰にも目をやらないが、みんなに一様に微笑をふりまき、その容姿と、豊かな肩と、当時の流行で広くあけた胸と背の美しさを嘆賞する権利をみんなに平等にめぐみながら、舞踏会の光輝をそのまま身につけて持ちこんできたきたかとばかりに、しずしずとアンナ・パーブロヴナのほうへ歩みよっていった。エレンはあまりにも美しすぎて、媚態の陰影も見られなかったばかりか、かえって、その逆に、自分の疑いもない美しさ、——

P24

引用が長くなってしまって申し訳ない。
でもこれもトルストイのせい。
長いんですから。

この装飾華美な表現!
『法華経』でも読んでる気分でした。

(後で、引用、載せます。今家にいないので。でも仏の尊さを語る表現がこれに近いくらい豪華絢爛で長ったらしい)

トルストイが仏典に影響を受けたかどうかはさておきですね、(少なくとも思想的には影響を受けてるでしょう。『アンナ・カレーニナ』の方でそれは感じれます)

この社交界ではさまざまな角度で、当時(小説内の時代設定の当時)——猛威を振るうナポレオン・ボナパルトの話題が上がります。

ナポレオンと言えば……
勘づく方はおられますでしょうか?

「アンガン公の処刑は」とピエールが言った。「国家として必要なことだったのです。ぼくは、ナポレオンがこの処刑の責任を自分の一身に負うことを恐れなかったところに、ナポレオンの心の大きさを見ます」
……(中略)
「〈あら、ムッシュー・ピエール、あなたは殺人行為に心の大きさを見ますの?〉」と小柄な公爵夫人は笑って、編みものを手もとへ引きよせながら、いたずらっぽく言った。

P38

この辺って、もしかしてドストエフスキーの『罪と罰』に対するパロディだったりするのかな?
えっとー……あの、えー、えっとー、
あ、ラスコーリニコフ!
ラスコーリニコフを超えた主人公としてのピエール。
みたいな想定だったりして。。

あ、ちなみにこのピエールが主人公ですよ。

あとはですね、
この社交界をしているのとちょうど同時に大使なる者の舞踏会も開かれていたみたいなんですよ。
それについてのある夫婦の会話。

「わたしは大使の祝宴に行かないで、ほんとによかったですよ」(中略)
「でも、舞踏会はとってもはなやかだということですわ」()「社交界のお美しいご婦人方がぜんぶ出るんですって」
「ぜんぶじゃありませんよ、だってあなたがお出になりませんもの。

P45

これ、いいですよね。
なんかこの後の書き方も嫌味ったらしく、この夫婦を邪魔者扱いしているところとか……
トルストイこういう会話好きだったんじゃないですかね。日常でもね。

脚本術みたいなどっか本で読んでんですけど、面白いストーリー作りは、「そのシーンが駆け引きになっているか」というので決まるらしいです。
つまりキャラ同士の会話は、ただ話せばいいって訳ではなくて、その二人のすれ違う思惑があって、どっちが譲るのか、どっちが折れるのか、その駆け引きがストーリーのどのシーンでも少なからずあると楽しくみることできる。

このトルストイの『戦争と平和』もずっと緊張感があって、それはやっぱり駆け引きなんですね。ちょっとしたやりとりなんかも、権力や地位なんかが絡んで、やっぱり駆け引きになっているんです。
なんだかんだ小説を書くのがうまいんだと思います。

それと、P40あたりから面白い部分があります。

まずピエールがナポレオンの政策を褒めます。
するとそこらじゅうから一斉に反撃を喰らうんですね。

ざっと書くと、

「〈でも、ねえ、ムッシュー・ピエール〉」とアンナ・パーヴロブナは言った。
「わたしがおききしたいのは」と子爵は言った。
「そうよ、あのアフリカの捕虜たちは、彼が殺した?」と小柄な公爵夫人が言った。
「〈こすい成上り者ですな、あなたがなんと言おうと〉」とイッポリト侯爵が言った。

こう立て続けに反応されるわけです。

なんかバズったツイートを見ている気分ですよね。
それに対する反応が、

 ピエールはだれに答えたものかわからないで、一同を見まわして、にっこり笑った。

P41

いい対応だと思います。
いちいち言い返すのではなく、にっこりと笑った。Twitter民もこれくらいの余裕を持てと。
しかもそれがこうです。

彼の微笑は、他の人たちのそれのように、まじりもののある不純な微笑ではなかった。

同上

あの微笑は余裕からくる微笑じゃないんですね。
天性の純粋さというか、根本的なところで自信があるんじゃないかな。

そしてこの次、

もう一人の主人公で、ピエールとは友人っぽい(まだ僕にははっきりとは掴めない)アンドレイ公爵がこの状況を収めます。

「なんですか、あなた方はこの男に同時に返事をさせようというのですか?」

同上

そして次にとても含蓄のあることを言います。

トルストイは、こういう拾える文章を小説の中に置いておくのが上手ですよね。
つまり、小説の中において意味がある、あるいはさほど効力の持たないものでも、とにかく一つの格言として抜き取って使えるもの。

対照的にドストエフスキーはずっと面白いんですけど、抜き取って使えるような文章がない。書き抜きしにくい小説です。

「それに、為政者の行為の中で、個人としての、つまり司令官とか皇帝としての行為は区別しなければなりません。わたしはそう思いますね」

同上

いいでしょ。

つまりね、ある人の行為は、それが個人として行われた場合と、役職として行われた場合があると。
行為によって政治家として評価するとか、批判するはあっても、そのとき個人を批判してはならない。いい政治をしたからといって、個人としてはまた別の場合もあるし、個人としての私生活がひどいものだからといって、政治はまた別で評価しなければならない。

なんか、今の日本人に欠けている視点だと思いますね。
若者が言うのもなんですが、スガちゃんが総理になるまえ、テレビ番組でやたら個人的な半生とか日常を切り取ってましたから。それは別だろと。

ここら辺が、トルストイのTwitterもとい現代日本に向けられた批評です。

このアンドレイ、ものすごいバランス感覚で、この後「ナポレオンは政治的に評価できるぶぶがある」と言いすぐ後に「批判すべき部分ももちろんあるが」で収めてしまう。
素晴らしい人格だと言うことが、ここまででも散々強調されます。
そのアンドレイがどんな人生を送るのか、楽しみですね。
確実に挫折はしますね。怪我とか、破産とか、予想はできないけど。

とりあえずこんなところですかね。
もうちょっと書きたいことあったように思いますが、小さいのまで拾っていくとキリがないので、終わります。

以上です。
長かったー。
でも楽しかったのでよかったです。
またいつかお会いしましょう。
ではでは。

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