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11 鶴

 むかしむかし、あるところに、こじんまりとした家に住んだ、質屋を商うお金もちなお爺さんがいました。

 お爺さんは、妻も子どもも出来ませんでしたので、その寂しさを紛らわすためにと、一匹の鶴を飼っていたのです。
 たいそう白くてそれにどの羽も油を塗ったようにキラキラしていて、何十羽の鶴が同時に空を舞ったとしても、その鶴だけは見つけることができるというほど美しく育ちました。

 お爺さんはその鶴のためなら、なんでもしました。
 鶴が腹を減らしているように見ると、急いで外へ出て魚を獲りました。
 鶴がお得意のポージングを決めているのを見ると、急いで鶴を撮りました。
 鶴が喉をクルクルと鳴らしているのを見ると、急いで指揮を執りました。
 鶴が献血カーを眺めていたので、代わりにお爺さんが血を採ったこともあったほどです。
 それほどまでに鳥が好きなのでした。

 いつも夕食は一緒に食べました。
 事実それだけが唯一の絶対ごとのようでした。鶴とお爺さんは二人きりで夕食を取るのです。

 そんなある日のこと、鶴が散歩ならぬ、散飛に行きたがっていたので、お爺さんは本日取っていた雪景色旅館の予約をとりやめて、

「じゃあ、今日は散飛にいってらっしゃい。旅館はまた三日後にするよ」
 と言い、鶴を出してやりました。
 もちろん別れ際に、
「夕食までには絶対帰るんだぞー」
 と言うのも忘れませんでした。

 鶴は翼を大きく広げて、雄大に飛んでゆきました。

 鶴は、空に綺麗な雲を見つけました。小ぶりで、グッピーのような形の雲です。
 グッピーのような形の雲は、鳥が飛んできたので、食べられてしまうと思ったらしく、スイスイと逃げてゆきました。しかし、そこは雲です。動きは遅く、やがて鶴に追いつかれてしまいました。

 鶴が追いついた雲には上に人がいました。
 女性と、小さな女の子が一人です。親子でしょうか。わからないので、親子ということにしておきましょう。その親子は驚いたのか、恐れているのか、とにかく嫌そうな顔で鶴を見ました。
 ほとんど服のようなものを着ずに、宝石の耳飾りと、宝石のネックレスと、宝石の髪飾りをつけているのです。
 あんまりに嫌そうな顔をして、鶴には背中を向けるので、鶴は雲から離れてもう少し、下の方を飛ぶことにしました。

 鶴は少しイライラしたので、見せつける気分で今度は地面すれすれを飛んでやりました。
 そして野原から、畑からを楽にぐんぐん進みました。
 これは地面効果といって地面すれすれを飛ぶことで、揚力が増し、抗力を下げることになるので、とても燃費良く飛ぶことができます。鶴はすーっと近未来的な乗り物のように飛びました。

 しかし、沼地へ差し掛かった時でした。
 ついに、散飛はおしまいかも知れなくなりました。

 それというのは、沼地で、いちど羽休めのために降り立ったのですが、そこへ仕掛けられた罠に引っかかってしまったのです。

 そこを通りかかったのはアイでした。
 アイは畑仕事を手伝った帰りでした。

 雲の上で嫌な目を向けられ、その果てに罠にかかった鶴です。とても悲しげな声で泣きました。

 それで鶴を見つけたアイは、鶴をかわいそうに思いましたので、すぐに罠から外してやりました。

 鶴は罠から逃れると、また大きな翼を広げて、今度は高すぎず、低すぎない位置で飛んでいきました。

 アイは晩御飯を食べにタニシの女神の家へ行きました。

「おつかれさん」

 と鼻詰まりの声でタニシの女神はアイを迎えました。
 もうすでにシチューは出来上がっていて、タニシの女神はパンを切りました。

「今日鶴がね、罠にかかっていて、かわいそうだったから外してあげたんだよ」

「怒られなかったかい?」

「なんで? いい事をしたのに、怒られる事ないと思うよ?」

「それならいいんだけどね」
 そう言って、タニシの女神はパンと熱々のメロンジュースを、シチューの上に顔を伏せて匂いを吸っているアイの前に起きました。アイは笑顔をあげて、いただきますをしました。

 食べ終わったアイは、畑仕事に疲れたのでしょう。もうすごく眠たくなってしまって、家に帰ることにしました。
 なんてったって、今日は一日中、凍った畑にお湯を撒いていたのですから。

 巨大樹にある根っこの部屋がアイの家です。
 帰ってくると、すぐにベッドの上に倒れました。
 その時でした。

 トン、トントン

 と扉を叩く音がありました。
 アイは出てみてびっくりしました。
 そこには見覚えのない綺麗な女性が立っていたのです。
 美しい白い着物に、烏の濡れ羽色の髪は艶やかで、小さな赤い唇がちょこんと恥ずかしげについています。
 綺麗な女性を前に、アイはおどおどとした様子です。

「実は、わたし……」と女性が口を小さく開いて、「今日の夕方、あなたに助けてもらった鶴なんです」と言いました。

「なんだって!?」

「ええ、人間の姿になりまして、ぜひお礼を言いにきました」

「ありがとう。どういたしましてだよ。アイはね、助けたかったから助けただけで——」

そう言い終わらないうちに鶴であった女性は言いました。
「助けてもらったお礼に、お仕事をさせていただきたいんです。ですが、絶対に、お仕事をしている姿は見ないでほしいんです」

「うん。わかった」

 うん。わかった、と言いましたが、アイは納得いきませんでした。
 第一、アイの知っている昔話では、鶴は正体を知らせずにお仕事をするのであって、鶴だと明かされた今、その姿を見ないことに意味はあるのか? と思いました。
 そして第二に、アイの家は一部屋しかありませんから、夜中鶴が仕事をするので、アイは外で寝ることになったからです。

 次の日、アイは冬の朝のあまりの寒さに目を覚ましました。
 すると、目の前に足がありました。
 見上げてみると、知らないお爺さんが立っていたのです。

 起き上がって、お爺さんの顔が目に入りましたが、とんでもなく怒った顔つきで、ぶるぶる震えています。

「どうしたの? お爺さん」

「あいつめ……あいつめ……」

 お爺さんは、ついにアイの家の扉を蹴破りました。

「おい!!」

 アイがこっそり後ろから覗きますと、中では女性が鶴の姿で織物をしていました。その姿を見て、おじいさんは叫びます。

「いつも一緒に食べているのに、今日は夕飯の時間になっても帰ってこない。散飛に行ったきり、どこに行ったのかと思えば、よりにもよって、こんなこと……。他の男の家へ行き、そこで仕事をしているとは、何事だ!」

「お爺さん、わたしが仕事をしているところを、見てはいけません!!」

「見ちゃだめだと!? こんなこと、黙って見過ごしてられるか!!」

 しかしその瞬間でした、男の肩がぐにゃりと曲がったかと思うと、中から服を破って新芽が吹くように羽がニョキニョキ生えてきました。それは背中や首にも広がり、足は細くなってズボンがずり落ちたかと思うと、いつの間にか鱗に覆われて——

 やがて鶴になってしまったお爺さんは、女性だった鶴と一緒に、どこかへ飛んでいきましたとさ。

 めでたし、めでたし。

にゃー