見出し画像

適当読書指南

さてわたしのり子が、ここ二ヶ月続けていること。
『よみかけ』なるエッセイシリーズ。

本シリーズは、夏休み後半のわたしの読書離れにより、リハビリ期間をもうけるはこびとなった。

今回は第二回「適当に本を読み散らかす」の段である。

自慢じゃないがわたしは適当に本を読むことにかけては、誰にも負けない。
わたしは、読み散らかすことに特化したいくつかの技法と心得をもっている。
それは元来わたしの億劫病に由来するものだ。気合いを入れると、どうしてもそれが長く続かないのである。しかし逆に適当にと思った時、案外そのマラソンを完走できたりする。

さてわたしの読み散らかしっぷりを報告する前に、ひとまずわたしの技と心を披瀝しよう。

読み散らかし読書指南である。

一、最後まで読むな
 やはり、これが第一。読み切ることを当然と思うな。途中で辞めることを怖がってはならない。読む価値がないと思えば、そこでやめてもいいのである。
もちろん最後まで読んでいい。いいが、読み切らないといけないと思いながら読むのは良くない。気づいたら読み終わった。あるいは、読み終わりたくないが終わりが来た。むしろこの読み終わりたくないと思うくらいの本でないと通読する価値はないともいえる。

一、速読を身につけよ
 速読とは、文字を頭の中で音読せずに、意味だけ拾って情景や論理だけを読んで行く読み方である。文字を頭に入れてからそれを内容に変換するのが遅読とすると、速読は文字を頭に入れる時にはすでに内容にしている。
 難点は至極集中力が必要なのと、短期記憶を集中的に働かせるから、数時間後には内容を忘れているということである。なので、読むのを終えた後に何を読んだか思い出す反復作業をおすすめする。

一、気になる箇所だけ読め
 小説にはあまり適用できない。できたとして短編集の、気になる話だけピックアップして読むというもの。基本は学術書やら随筆の類い。自分の特に読みたい部分や、至急必要な情報だけをそこから取り出す読み方。

一、分からないまま読め
 ちゃんと理解しないと進めない、という意見を聞いたことがある。しかし、ちゃんと理解するなど、土台無理な話である。
よく分からないから読むのをやめた、という人もいる。むしろ初見で内容が無理なく理解できる本など、楽な筋トレと同じで読む効果は薄い。
むしろ好んで理解できない本を手に取れと言いたいくらいである。分からないでもいいから読んでしまうのである。理解できないままとりあえず進んでみるのである。
本は二回目に読むのが本番であり、一回目はそれが二回読むに値するかを確かめるためだけの作業である。だから今回は分からないままでいい、次の成長した自分に期待をしていればいいのである。




ここ一週間ちょっとでわたしは太宰治『晩年』、内田百閒『冥途・旅順入城式』、荒俣宏『目玉の脳の大冒険』ボルヘス『ボルヘスとわたし』、ルイ・ズインク/黒沢直俊編『ポルトガル短編小説傑作選』、安岡章太郎『海辺の光景』、『アベラールとエロイーズ』、サリンジャー『ナインストーリーズ』『フラニーとゾーイー』、レスリー・ポールス・ハートレイ「週末の客」ゴーゴリ『外套・鼻』、志村ふくみ『一色一生』などと読み散らかした。

このなかでは『ポルトガル短編小説傑作選』や「週末の客」のように、もうきっと二度と読み返さないなと判断したものもあれば、サリンジャーやゴーゴリのように何度か読んで考えないといけないと思い知ったものもある。

これが読書一週目の仕事である。

『アベラールとエロイーズ』などは二回目は読まないかもしれないが、一回目にきちんと読んでおこうと思った本である。

読書が二回目から本番だというのは、その本と自分との付き合いという観点においてである。あるいは考察、あるいは解釈、あるいは細部の調べ、あるいは嗜好。どれにしても二回目にしかできないものである。

なぜなら、一回目は、その本を知らず何が起こるか分からないので常に受け身になってしまうからである。積極的に本と付き合ったり、こちらから思索の手を入れる能動的な活動は、相手の内容や展開を、あらかじめ知っている必要があるのである。

適当な読書とはつまり、一周目の読書のことである。

これは本を無碍に扱うことではない。

目にするもの全てと真剣に向き合っていたら、散歩もままならないのと同じである。あるものは目に入るが見過ごし、琴線に触れるものがあれば立ち止まって眺めてみる。立ちどまって眺めるという判断の起こる前には、一度目に入れていなければならないのと同じなのである。

はてさて、近頃読書の勘も戻ってきたように思う。
個人的にはサリンジャーのおかげだろうと思う。文学の新しい感性というものを教えてくれた。サリンジャーについては、後日に任せるとして、次回はリハビリシーズン最後のメニュー「本とはそもそも何なのかを考える」

いったいわたしは本当に本を読まねばならないのだろうか。

「本」とはどういう存在か。

読書と執筆のカテにさせていただきます。 さすれば、noteで一番面白い記事を書きましょう。