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教養の壁

いにし安永のはしめすみた川のほとり長楽精舎にあそひて也有翁の借物の弁を見侍りしかあまりに面白けれはうつしかへり侍りきそれより山鳥の尾張のくにの人にあふことにこの事うち出てとひ侍りけれは金森桂五うさきの裘にはあらね鶉衣といへるもの二まきをもてきてみせ給へり翁なくなりぬときゝてなを馬相如か書のこせるふみもやあるとゆかしかりしに細井春幸天野布川に託してその門人紀六林のうつしをける全本をおくれりまきかへしみ侍るにからにしきたゝまくをしくとみに梓のたくみに命してこれを世上にはれきぬとす翁の文にをけるや錦をきてうはおそひしけたなる袖をまとかになしてよく人の心をうつしよく方の外に遊へり鶉ころもの百むすひとはみつからいへることのはにしてくつねのかはのちゝのこかねにあたらさらめや右のたもとのみしかき気はなへたるもはつかしけれとたゝにやはとけにもはれにもかいつけ侍りぬ。

石川淳『江戸文学掌起』の「横井也有」の章からの孫引きである。
横井也有の鶉衣に大田南畝が書いた序文である。

これを読んで……というより、これをまず読めるかどうかである。
なんとなく、噂になってる凄い本があって、その本の動向(——当時は今と印刷事情が違うので、版本で出回る数百冊、あるいは手書きで写して手にいれる他ないから本の動向は大切なのだろう)とその本の内容の素晴らしい事について書いてそう……ということは見て取れるのだが、それで合ってるのかも分からない。

教養がない上に、知識もないのだから。

この序文に対する追加説明で、当時の南畝が「四方赤良として天明狂歌の運動に風をよび波をおこしたこと」は周知のことである。と書かれて、ついていけない。周知のことなの、南畝さん……甚だ羞恥なのはこちらのほうである。

しかし、サスジュン——さすがの石川淳である。
この序文に関し、狂歌で有名な南畝にしては「狂をもって冠せられるスタイルではない」と違和感を書き、「南畝がこれを書くにその善くするところの漢文の体に拠らなかったのは、おそらくことの俳諧にかかわるがゆえか」と想像する。
そして「坦坦たる筆つきはヨソユキというのではないが、普段著に羽織をひっかけたほどにはかたちを改めている」と感想を残している。

のり子にとっては、この解説も感想も半分外国語である。
この引用した部分でさえこの本の中では割と意味が分かり易い箇所という恐ろしさ。

蓋し教養とは楽しむ能力である。

江戸文学は変わらない。
ただ読者の知的レベルのみが、それと出会ったとき楽しめるかつまらないかを決めるのである。
そしてこの世の全てのものは、教養で楽しくできるのである。外国の古典でも、全く新しい芸術でも、世間に酷評を受けている映画でさえ。

生きることは趣味であるとさえ思っているわたしは、だからこそどんな血汗を流しても世界を楽しめるようになりたいのである。

教養というやつ。
この常に見えているのに得難い存在、近いようで深淵を挟んでいて近づけない場所に、それゆえに憧れるのである。

世界を楽しむための教養だとして、では一体それはどのようにすれば身につくかと考えてみると、これはあくまで自説だがとにかく遠回りをするべきなのだと思う。
無駄や無意味や非効率、遠回りをし続けることこそ、教養を得る唯一の道だとさえ思う。
教養の正体を具体的に並べてみると、石川淳のように近世の書物が読めたり、外国語の本が読めたり、あるいはあるいは趣味人になり釣りでも車でも裁縫でもなんでも良いが、それに何十年と費やしてしか得られない知識や感覚、経験を持っていることなどであろう。

これらは総じて無駄である。
正確に言い直すと、それに対し興味を持ってない人にとっては無駄である。
しかしそういう種の物事に、丹念に実直に損得を抜きにして向き合い続けたからこそ教養たり得るのだろう。
損得と教養は極端の地にある。

だから「簡単に得られる教養」やら「教養をえるためにはこれだけ」的な言葉はとんだ矛盾である。たいした労力なく誰でも得られるものは、その時点で教養ではない。「ならぬ堪忍するが堪忍」である。容易には辿り着けないからこそそう呼ばれるので合って、それを得ようと思えば楽や得や効率などは全て捨てねばならないのだ。


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