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小さなまちの小さな勉強会 〜ポートランドの公園にみる豊かなパブリック〜

昨日12月8日、近所に新しくできたフューチャーセンターにポートランドの友達を招いて小さな勉強会を開催した。

事の始まりは2016年に遡る。
2016年に東京財団の住民自治を学ぶ研修プログラムに参加させてもらって、はじめてポートランドを訪ねた。なぜプログラムに参加することになったのかは話が長くなるので割愛。

プログラムの中に市内散策をしてまちの人にインタビューをするというセッションがあった。その際に通訳として参加してくれたのがポートランドで都市計画コンサルタントをしているSaumyaだった。そして、僕が地元の公園でいろんな活動していることを話したら、「面白い人がいるよ」と紹介してくれたのが彼女のパートナー、ポートランド公園局で働いているJohhnyだった。

初めて2人と食事をした日の夜のことは今でも忘れられない。ポートランドの都市計画について聞かせてくれたり、シェアリングエコノミーについても語ったっけね。中でも一番思い出深いのはJohnnyになぜ植物が好きなのかを尋ねたとき「植物はシンプルに上へ上へと伸びていくところ」と答えてくれたこと。三浦梅園の”枯木に花が咲くより、生木に花が咲くを驚け”にも通じるような、”生”の本質をついた言葉にはっとさせられたものだ。

時が流れて2019年1月。Saumyaが岡山大学に1年間サヴァティカルに来ることになった。3月には後を追ってJohnnyも合流した。そして先月、「のりさんのところへ遊びに行こうと思う」と聞いた。わがまちのどこを案内しようかとあれこれ考えたものの、ポートランドや岡山に比べてさして見所のない我がまちを案内してもあまり面白くないなと思い、それならば僕たちが彼らから聞いて感銘を受けたポートランドの公園づくりの話をみんなにも聞いてもらおう、勉強会を開催するというアイディアが思い浮かんだ。それを二人に提案したところ快く引き受けてくれて、今回の小さな勉強会を開催するに至った。

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僕たち夫婦nom de cocoaは、これまでに公園を舞台にレストランデイやCo-展を展開してきた。それらは自分たちにとって気持ちの良い空間を家の外にも広げるような、いわば『リビングを拡張する』活動と位置付けている。公園などのパブリックスペースに広げられたリビング的空間から、僕たちの”心地よさ”や”楽しい!”が外ににじみ出すことによって、僕たち自身の暮らしのみならず、暮らしと地続きのコミュニティやまちもワクワク豊かなものにしたいと考え活動をしている。

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そして、公園を自分のリンビングのように使うのが僕たちだけでなく、もっと当たり前のことになって欲しいとも思っている。だって、日本の公園って本当に人がいない。いるのは子どもか野良猫くらいじゃないかとさえ思う。もっともっと自由な使い方、自分が心地よいと思える環境を積極的につくりにいって、自分の居場所をつくっていいんじゃないかと思っている。例えば、公園で誕生日パーティーを開いたり、野菜をつくって、それをスープにしてコミュニティーに提供したり、とか。

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そんな意識の変化起こしたくて、ポートランドの二人を招いた。全米一住みやすい都市とも言われるポートランド、その公園やパブリックスペースでどんな活動が行われているのかを知り、先行事例を学ぶところから「こんなことやっていいんだ」とか「これやってみたい!」という意識の変化を起こし、少しずつ自分たちにとって居心地の良い空間を家の外のまちや社会に拡張していけたらいいな思い、小さな勉強会を開催した。

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正直なところ、勉強会を開催するのは初めてだし、こんな僕らの趣味みたいなものにどれだけの人が興味を持ってくれるのか不安ではあったのだけれど、蓋を開けてみれば20名近くの方が集まってくれた。学生さんから行政職員、議員さん、お店をやってる方からまちのスケッチをしている方、年代も属性もばらばらな多様な方が集まって、SaumyaとJohnnyの話しに耳を傾けてくれた。

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ただ事例紹介をするだけの会にするつもりはなかった。僕を含め日本人は海外事例が好きだし、ともすればそれぞれの事例の本質を捉えず、表面的なものだけを見て「おしゃれだね!」とか「こんなの日本にない!」と言って飛びついてしまう。そうなる気持ちをぐっと堪えてもらうため、SaumyaとJohnnyには、ポートランドの事例を紹介してもらいつつも、公園づくりの上流にある都市計画、コミュニティーづくりのヴィジョンみたいなものに焦点を当てて丁寧にそれぞれの活動を紹介してもらった。だから簡単に腹落ちするような、消化の良い話ではなかったと思う。でも、それでいいのだ。自分で考える余地を残して、より深く考えてもらうためには。

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会が終わってからも、話を聞き足りない方はその場に残ってゲストの2人から話を聞いていたり、参加者同士でつながりをつくったりしていた。参加したみなさんが何かしらの学びや気づきを拾って帰ってくれたんじゃないかと思っている。

ゲストの二人も『ナラシノサイコーだね!』と言って大きな笑顔を残して習志野をあとにしていった。特に名所に案内したわけでもなく、特産品を食べに行ったわけでもないけれど、自分たちのコミュニティーやまちを良くしようという想いのある人たちと出会えた。そのことは、風光明媚な場所を訪れたり特産品を頂くことと同じくらい、あるいはそれ以上に魅力的なことなのだと思う。

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すぐには変化は現れない、とは思う。
でも、これがきっかけで何か風向きみたいなものが変わって、いつか大きな変化につながるはず。力づくで短期間に大きく変化させるより、時間をかけてゆっくりと変化をさせる方が良いこともある。

今世界中から注目を集めるポートランドだって今に至るのに100年かかっているのだ。とかく短期的な変化を求めがちだけれども、自然の摂理に人が合わせるような巧遅なコミュニティーづくりや暮らし方があってもいいんじゃないかと思う。

そこで大事なことは、100年間変わらないビジョンを持つこと。100年間不変のビジョンって、もはや思想や宗教など人間の根源的な欲求や精神性に近いものじゃないかと思う。

そんなビジョンはきっと論理的な合理性を超えて、人が感覚的に心地よい、正しいと思えるような、人間あるいは”生”の本質をとことん突き詰めたものだろう。ポートランドと日本、わがまちの一番の違いはこの普遍的なビジョンをどのレベルまで共有できているかの違いに尽きるよなー、と今回の勉強会を通じて改めて思ったのでした。



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