(2.26事件で)43発の銃弾を浴びて血まみれになった父。
その姿を、渡辺和子(キリスト教カトリック修道女/2016年没)は
目撃した。9歳であった
(本日の『日本経済新聞』朝刊)。
渡辺は、このときの銃撃を「修業が足りない」と反省しつつも
許せないでいたが、
しかし当然とも言える。
転機が訪れたのは1986(昭和61)年7月12日に営まれた
事件から50年後の法要だった。
渡辺は、当時の銃撃で止めを刺した高橋太郎、安田優両少尉の
実弟の謝罪を、父の墓前で受けたのだ。
そして、
「叛乱軍という汚名を受けた者の身内として、
被害者の娘であった自分より、もっと辛い
50年を過ごしてきた」
と気づく。
そこで許せる、優しさの力。
彼女はまた、
「暴力をもって世界を変えようとしたとき、
どんなに怖ろしいことが起こるか」
について語ったというが、
ミャンマーの、アメリカの、そして香港、新疆ウイグル自治区での
惨状を見るだけでさえ、
何も、何一つ変わっていない
この世の暴力に、
言いようのない、絶望にも似た怒りを覚える。
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