見出し画像

思っていた形になって不幸になるぐらいなら、求められる形で幸せならいいんじゃないの。

とカズレーザーさん
(先日の『SWITCHインタビュー 達人達(たち)』)。

この「求められる形」とは、
親の期待や会社の意向、
先生の助言や愛する人の気持ち、さらに
さまざまな試験の結果なども含め、
多かれ少なかれ
自分以外の存在から求められる道に
影響されて人生を送ること、
あるいは、
神から求められた宿命とも言うべき
流れに乗る人生まで指しているのかもしれない。

対して、
「思っていた形」とは、
自分の夢を叶えて人生を送ることを示して
いる、のだろうと思う。

「思っていた形」は、
もちろん一見よく見えるが

だからと言って幸せになれるとは限らないし、
思っていた道は自分に合うことばかりでない。
逆に「何となく」も含めて求められるままに
生きているうちに、そこで満足感を得たり、
ほかで心安らぐ場を見つけたりして、
幸せを実感できることだって、ある。

当然ながらカズレーザーさんは、
夢をもつことを否定している訳ではないし、
流れに任せていればいいとも言っていない。

結局、人間万事塞翁が馬。
幸せや不幸せは常識で
計れるものではない、

ということだと思う。

もちろんそれは、他人から見た印象も同じだ。

よくテレビ番組で、
人が嫌がる、それでいて
給与が高いとは言えない仕事に就く方に、
「それで満足されていますか」的な
上から目線で質問する記者やディレクターがいるが、

そんな人間に私は、
「幸せ」の意味を訊いてみたいし、
何より
「それで満足されていますか?」と訊ねてみたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?