仏教では、自分への執着を「我執(がしゅう)」と呼ぶらしいが、話はそれで終わらない。
■よくないことだとは分かるが
「仏教では、自分への執着を
『我執(がしゅう)』」と呼ぶ」
と、先日の「日本経済新聞」朝刊/春秋。
「我執」とは、
江藤智昭さんが、
著書「お寺の掲示板 諸法無我」で
紹介した言葉だそうだ。
「執着」とは、
その事ばかり心に思い、
忘れられないこと
(『新明解国語辞典』〈第三版〉)。
よくないことであるとは分かるが、
この話はそれでは終わらないのだ。
■「我」か「他」か
本来の「自分」を貫く生き方を基本に置く
中国の「陰陽五行」思想を持ち出すまでもなく、
自分の好きな道を進むことに異論はないだろう。
しかし、まさに我を貫く場合に、
この「我執」なるものと
どう向き合えばよいのか。
「我」に向くとき「他」を忘れず、
「他」に向くとき「我」を忘れず、
「我」を失うことなく、
「我」を求め続けたい。
*
■付録■
「ガタガタ言うな」の「ガタ」の文字は、
「我他」と書くのではないかとさえ思う。
また哲学に「他我」という概念はあるのに
「我他」は、ない。
哲学者も「我」の扱いに結論は
出せていないのか、と思う。
しかも「他我」とは
「他人の心をいかにして
知り得るかという哲学的問題」
らしく、
それこそ放置してよい問題だ。
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