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読書感想文 中島敦の『山月記』に日本の怖さを見る

 久しぶりに中島敦の『山月記』を読み返してみた。以前読んだ時には、感じなかったことを今回は感じた。「考えた」わけではなく、「感じた」のである。
 私は以前から戦中の日本は、A型が切れた状態だと考えてきた。李徴が一瞬にして虎に変わった箇所を読んだ時に、これは当時の日本のことを言っているのではないかと、感じたのである。
 『山月記』が書かれた昭和16年、太平洋戦争が始まる直前の緊迫した状況、すでに日中戦争は始まって4年を経過し、泥沼化していた。古代から近代まで長く親しい関係を続け、大きな影響を受け続けてきた中国に対して侵略の刃を向け、虎のごとく襲い掛かった日本。中国全土で殺戮を繰り返した。それはまさに友人にさえ襲い掛かる人食い虎そのものであった。特に中国文学を愛していた中島敦にとっては、中国と日本の戦争は耐えがたい悲しみではなかったか。
 心の中で人と虎が共存する時期を経て、次第に虎そのものになっていく。その恐怖、絶望感・・・。なぜ、日本はそんな国になってしまったのか。日本を切れさせたものは何なのか。虎になった李徴は自分が虎になった理由を、自分自身を客観的に見つめることによって、考えている。日本にもそれが必要だったのではないか。しかし、日本は自分が虎に変わったことにさえ、気が付いていなかったのかもしれない。ひょっとしたら、虎に変わったことを誇らしく思っていたのではないか・・・。


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