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人類は絶滅した方がいいんでしょうか。『進化論』

NEWS ZEROのエンディングテーマにもなっていたMr.Childrenの『進化論』という曲はYouTubeでミュージックビデオが公開されている*のだけど、曲の本編がはじまる前に未公開になっているプロローグのパートがある。

そこで語られるのは「そもそも進化論とは」というお話で、その中に出てくるのは、よく聞く首の長い動物の例。
どうしてもポケ〇ン的なイメージで「高いところの葉っぱを食べるために首を長く進化させた」という風に思われがちだけど、正確に言うとダーウィンが唱えたのは「首の短い個体とやや長い個体がいて、やや長い個体が生き残って子孫を残していった結果、首の長い個体が増えた」というもの。
要するに「環境に適応した個体が生き残ってそうでない個体がいなくなった」と、ただそれだけのことなのだ。

ここ三日間、「2030SDGsファシリテーター養成講座」という研修を受けてきた。
2030年までに世界193か国が共通して目指す「持続可能な開発目標 Sustainable Development Goals」。
最近なにかと耳にするこのSDGsというものを、カードゲームを通じて体験するワークショップを開催するための資格だ。

ここではSDGsとは何か?みたいなところは割愛させて頂くとして(気になる方は後半へ!)、その研修の中で、SDGsについて色々と考えた結果こんなことを言う人がいました、という投げかけがあった。

「地球のためには、人類は絶滅した方がいいんでしょうか?」

そのテーマについて話し合う中で、ある方がポロっと口にしたのが「進化」という言葉。
それが僕の中で色々と考えさせられて、そのことを思い出しながら備忘録も兼ねてこのnoteを書いている。

「地球のためには、人類は絶滅した方がいいんでしょうか?」

研修中の文脈としては、ファシリテーターという立場であなたならその人にどんな対応をするか?というのが論点だったのだけど。

もしその問い自体に答えるとするなら……僕は結論、人類がどうなろうと地球そのものは続いていくと思っている。
人類が狩りつくそうが隕石が衝突しようが、どんな過酷な環境でも、それで滅びた種と同じだけ、その環境に適応した新たな種が生まれてくるはず。これは、地球という星の過去46億年で起こったことが証明している。
つまり、地球を主語で考えるなら、個人的にはたかが人間が心配しても仕方がない気がする。

となると僕らが考えるべきことは、むしろ地球というよりも「人類が持続可能かどうか」ということだと思っている。

こういうことを言うとお叱りを受けてしまうかもしれないが―いま世界中で起こっている争い(もっと言うなら殺し合い)は、増えすぎた人類という種をこの地球に存続させるために、全体がバランスを取ろうとしているんじゃないか、なんて思うことがある。
だから、争いの原因となっている貧困や分断というのはメカニズムとしてもしかしたらある意味自然なことで、仮にどこかの国が核ミサイルのスイッチを押して世界の人口の大多数が死に絶えたとして、結果的に人類という種が存続するためにそういう選択をしたのであれば、その中に自分が含まれていても僕はそれに文句を言えない気がしていて。
そして、もし最終的に人類が絶滅してしまったとしても、長い長い地球の歴史から見れば、一時は栄えたものの環境に適応できず滅びてしまった数ある種のひとつとして、恐竜やら三葉虫やらと同じページに綴じられて終わるだけなんじゃないかな、なんて考えたりする。

スケールのでかい話をしてしまったけど、貧困や分断は別に海の向こうの話じゃない。
例えばこの国の街角で突然暴漢が刃物を振りかざしてきたり、ガソリンをまき散らして火をつけたとして、もしかしたらそいつを生み出した原因は日々のうのうと生きている僕にもあるんだろう、と考えて悶々とする夜が時々あることをここに打ち明けてみる。

何だかここまで暗めな話をしてきてしまったけど、『進化論』という曲のMVのプロローグには続きがある。
実は進化論にはもう一つ説があって、「首を長く伸ばしたい」という願いや意思みたいなものが、遺伝子レベルで次の子孫に引き継がれていった、というものだ。
説得力で言ったら正直ダーウィンの説だけど、こちらの方が何だか希望がある気がしないだろうか。

それを受けて、櫻井さんは2番の歌詞にこう綴っている。

「強く望む」ことが世代を超えて
いつしか形になるならこの命も無駄じゃない

この『進化論』という曲は決してドラマティックな曲ではないのだけど心に響く歌詞がいっぱいあって、とりわけこの言葉はこの曲の根幹を表していると思う。

世代を超えて、そして時間や空間や言語の壁を超えて、意思を伝える手段なら、僕らはもう身に着けているはず。
僕ら人類が持続可能(サステナブル)であるために、そのすべをどう使っていくか。それがいま僕らにとって必要な「進化」なのではないだろうか。


……いや、いや違うな。こんな評論家みたいな着地をしたかったわけじゃないんだ。


そうそう。例えばどこかの国の核ミサイルや、暴漢のナイフやガソリンによって理不尽に命が奪われて、もしそれが自分だったら「僕の力不足でした」で済むかもしれないけど、それが僕の家族だったり友だちだったり、まだ見ぬ子供や孫だったときに、「僕の力不足でした」では片づけたくないっていう、ただそれだけ。

そう思ってしまった以上は、「思ってたのにどうして何もしなかったの」と言われるより、「やれることはやったんだよ」と言える自分でいたいという、ただそれだけなんだと思う。

ずいぶんちっさな話だけど、これが今のところの嘘偽りない正直な気持ち。


「地球のためには、人類は絶滅した方がいいんでしょうか?」

人類はもしかしたら、絶滅するのかもしれない。こんなこと言いたくないけど、僕ひとりがあがいたところで、間に合わないのかもしれない。

でも、僕は、人類を絶滅させたくはない。
「絶滅させないという選択」を、選ぶ側でいたい。

最後に、前に僕が聴いて勇気をもらった、パタゴニア日本支社長の辻井隆之さんの言葉を(正確ではないかもしれないけど)紹介して終わります。

何もしなければ「問題」の一部になる。何かをすれば「解決」の一部になる。
どうあがいても無駄だったとしても、どうせなら僕は「解決」の一部でいたいと思う。


*MVをアップしているのは公式のアカウントではなかったので、ここで紹介するのは控えさせて頂きます。

※SDGsについて知りたい方、2030SDGsカードゲームやファシリテーターに興味のある方は、こちらのサイトをご覧ください。
■一般社団法人イマココラボ:https://imacocollabo.or.jp/

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