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大学生の息子たちに伝えたいこと もちろん、死に方も選べる編


身内の死で、鮮烈に覚えている初めては、私が24歳で、81歳の父方の祖父を見送った時。

祖父は、第2次世界大戦に南方に出征し、復員後定年まで公務員として勤務、その後は地域の役員として20年近く活動し、地域の寄り合いで深酒した帰り道、側溝に頭から落ちて事故死しました。

突然だったので、祖母も両親も親族もパニックだったことを今も覚えています。


母方の伯父は、サイクリングが趣味でしたが、80歳近くで足を骨折して寝たきりになり、認知症が進みました。

小さい頃からいつも、会えば笑顔で名前を呼んでくれる、大好きな伯父で、何度か伯父宅や病院に見舞いに行きました。

最期は胃ろうでミイラのようになり、意識不明のまま療養病棟で亡くなりました。


祖母は、ホントに病気知らずで丈夫でしたが、81歳の時に脳梗塞で寝たきりになり、両親が祖父母宅に戻り、長男の父が祖母の介護を担いました。

祖母が脳梗塞で倒れたのは、我が子たちが生まれた年で、ひ孫の誕生を心待ちにしていた祖母は、大変喜んで息子たちをかわいがってくれたのを覚えています。

5年ほどの在宅介護後、入院し、1ケ月の胃ろうの末、老衰で亡くなりました。


父は、ピースのヘビースモーカーで、65歳の時に肺がんが判明、手術翌日から点滴を押しながら喫煙所に通い、リンパへの転移があったため抗がん剤治療となり、67歳で他界しました。

タバコと心中した父の死に、私は泣きませんでした。

ちなみに、父の主治医(40代)もヘビースモーカーかつ肺がんのサバイバーで、抗ガン剤の後遺症でスキンヘッドでした(父と意気投合してました)。

依存症の怖さを改めて思い知る出来事でした。


母は、頑健な人でしたが、不摂生がたたり、糖尿病とパーキンソン病を70代で発病、歩くのが難しくなったので、実家近くの特別養護老人ホームで4年ほど過ごしました。

コロナ禍で家族が面会に行けない期間に、認知症が一気に進み、口から栄養が摂れなくなりました。

きょうだいで話し合い、胃ろうをしない選択をし、1週間後に母を見送りました。


私は、両親、祖父母、おじおば、大おば、義父母など、身内を20人近く見送ってきました。

今年、55歳になる私は、改めて、これからの自分の生き方、死に方を考え、様々なことを決め、子どもたち、弟たちに私の意思を共有しました。


もともと丈夫なので、体重とストレスをコントロールしながら、適切な運動・食事・睡眠を心掛け、仕事・ボランティアを無理なく長く続けること。

年に一度、定期健診と、肺・大腸・胃・子宮・乳ガン検診を受けること。

医療に関しては、高額療養費の範囲内の治療だけにし、生命保険・医療保険は解約したこと。

ガンの場合、手術はするけれど、転移が見つかっても抗ガン剤は使用せず、緩和ケアで過ごしたいこと。

脳死になった時、ためらわずに移植可能な臓器はすべて摘出して、できれば若い人に提供して欲しいこと。

口から栄養を摂れなくなったら、胃ろうはしないこと。


私は、孫の顔を見たいとか、長生きしたいという希望は持っていません。

これからは、1日1日、自分の心に従って生きたいと思っています。

生まれて初めて、考えるより感じて生きていき、その先に、死があると感じています。

縁が深い年配者を見送る中で、自分の生き方はもちろん、死に方も選択できるようになってくるのかもしれませんね。

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