大学生の息子たちに伝えたいこと タイパより大事なモノ編
IT技術の進歩によって、私が小さい頃に読んでいたSF小説や漫画の中で描かれていた暮らしに近づいてきました。
ルンバやアレクサ、スマホやドローンは、私にとって未来社会の産物でした。
マスコミだけでなく、個人も自由に情報発信ができるようになり、SNSは大盛況です。
それらに、ときめいたり、反応したりして、私の日々は彩り豊かになっています。
スマホを持って、約5年半。
私の人生の約1/10以下です。
新しいデジタルツールに見事に環境を作り変えられて、けれど適応しきれていない自分がいます。
確かに色々なことが楽チンになったのに、急な流れの川で溺れかけているようなしんどさを感じます。
息子たちの持っている情報量は、私のそれを大きく上回ります。
彼らは料理や掃除、洗濯、買い出しなどの家事を省力化し、アマゾンやウーバーを使いこなしています。
先日、上の子が、休日にマクドのバリューセットをウーバーで受け取った時には、ホントにビックリしました。
うちから自転車で10分以内の場所に、マクドナルド、あるんですよ。
天気は晴れで、彼は体調が悪いわけでも、ケガをしているわけでもありません。
「え、なんでウーバーイーツ?」と私が上の子に訊けば、
「配達料、大した金額じゃないし、腹減ったし、ゲーム、手が離せなかったから」との答え。
バイトしているとは言え、学生がそういう感覚で、配達を頼むんだ。
私は、古いのかもしれませんが、「すぐそこなのに、身体を動かして、買いに行け!」と思いました。
何にお金と時間を使うか、私と彼らでは、感覚が大きく違います。
これは、進化、なのでしょうか。
もう、私もスマホを持つ前には戻れません。
それでも、スマホがなかった頃が懐かしいなと感じる時があります。
私は、自分が心地いいと感じるスピードで生きていたいのかもしれません。
ゆっくり本を読む時間、空を見上げる時間、今までの自分を振り返り、これからの自分について考える時間、自然の中で深呼吸をする時間…。
緊急ではないけれど、大切にしたいことに、じっくりと取り組んで生きていきたい。
何とか、濁流に流されての溺死は、免れたいものです。
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