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会社を強くするためには、社員をどう教育するかを考えてはいけない

最近とある話を聞いたキッカケで、今日はこんなことを書いたみたいと思う。

今時の、そして、これからの社会人にとっての学びと教育(研修)

強い会社というのは、メンバーが強い。メンバーが強くなるには、メンバーに良い教育が必要、メンバーが良い学びをする必要がある。

では、良い教育なのか、研修なのか、学びの機会なのか、現状よりメンバーを強くするために、経営としては何をしたらいいんだろう。そんな観点で書いてみたいと思います。

10年で一人前、石の上にも3年。そんな価値観はとうの昔の話。これが、昔の話だと言って、納得する人の方がメジャーにようやくなりつつあるのが昨今ではないかと思います。

そのうえで、では、若手の社会人に対する教育(研修)とは何か?
逆に、若手の社会人が自らのキャリア形成を考え、どう学んでいくか。

いま、けっこうこの教える側(経営層)と、学ぶ側(基本は若手)の価値観の開きというものが、とてつもなく大きい気がしています。

それは、大企業に限った話ではなく、スタートアップでも年齢差からくる価値観の相違はけっこう大きく深いなと感じています。

どういうことかというと、

教育(研修)となると、何が重要かというと、「質の良い」教育(研修)ということで、質が重要になります。

一方、学びはというと、「自らがいま欲しいもの」を学ぶということで、コンテンツが重要になってくるわけです。

ここには大きな、とてつもなく大きな違いがあります。
どういうことか?
質とは、一般的な物差しで図られるものだから。世の中を見渡したときに、質が良い(とある観点で判断する)と思われたものが、選ばれるわけです。

でも、それは年々個人差が大きくなっています。会社にとって必要という判断軸であれ、会社にとって必要だと思うことも、各社員によって違ってきます。

「自らがいま欲しいもの」を「学ぶ」ということの判断軸は、「今日の自分」です。今日、自分が欲しいというものを、世の中からさぐりだす。
今はいともたやすく検索できます。今日必要なものを、今日探すのです。

教育(研修)はそれが選ばれた日(作られた日)は、過去です。いまの若手社会人からすれば、それって高校時代の話?というほどの過去です。

今の若手はこんな動きを日々しています(もちろん個人差はありますが)。

SNSを日々ながめ、「今日の自分」が欲しい学びのコンテンツを、noteやら、blogやら、動画コンテンツやら、だれかのオンラインサロンやら、海外の記事やら、それを翻訳したものやら、誰かが懇切丁寧に分析してまとめた図表やら、誰かがシェアしてきた記事につけたその本質を解説するコメントやら、社内ビジネスチャットで共有されたものやら、そんなものから、「発掘」します。

短時間のうちに、あらゆるジャンルの雑多な、ただ今日の自分にとって意義あるものを、瞬時に親指で振り分け、斜め読みをする。

コーディング、デザインのクリエイティブ製作中、会議中、あらゆるワークをこなす傍ら、通勤時間中、寝る前のベッドで、日々何時間も、世界の端々に転がっている今日の自分が学びたいコンテンツを自由に、制約なく、どんどんと吸収していきます。

強いメンバーを作り上げるには、教えるべき「何」を与えてはだめです。誰かによって選ばれた「何」という教育コンテンツは、メンバーにとっては、拒絶感しか実は産まない。そんなことの方が世の中多い。

それは古いから。選ばれた判断軸が違うから。今日の自分は必要としていないから。

良かれと思って与えたそれは、拒否感、拒絶感しか産まない。当の本人達は、なぜそれをしなければならないのか、理不尽にしか感じない。

では、何を与えれば強いメンバー、チームは出来上がるのか?

極端に言ってしまえば、「自由な時間」だと思います。

今日の自分が欲しいものを、大海原の世界から手繰り寄せる情報発掘力をもつ(若手)メンバーに必要なのは、「自由な時間」しかない。

自由に、今日の自分が必要と思うものを発掘し、吸収していく。その動きをするメンバーが集まるチームは、最新の教育を今日受け終わったチームとして、成果を出していく。

大海原の世界から手繰り寄せる情報発掘力を持たないメンバーはどうするか。特に焦ることはありません。情報発掘力を持つメンバーがいるビジネスチャットの中で、数ヶ月でも時間を共有すれば、自然とその発掘力は身についていくと思います。

どうやって情報を発掘するか。その「方法論」という教育コンテンツを考えてはいけない。発掘方法も日々変わり、進化していくから。

もっと具体的にいえば、「自由な時間」を謳歌できるような場所、チャットのチャンネルや、コミュニティに所属すること。心理的安全性がそこにあること。そこで過ごす時間が快適なこと。そこで過ごせる時間の余裕があること。「自由な時間」があること。それが最高の教育方針になり得ます。

自由にやらせたら働かないのではないか? そんな風におもった経営陣には大きな問題がありあす。
自由時間に働かない、意義ある活動をしないということは、その会社そのもの、そのビジネスそのもの、その業務そのものにやる価値がないと思われているだけ。やりたい。時間を費やして望みたい。そう思わせるものを用意していない経営側の責任です。

強い会社を作るには、安心できる環境を備えた「自由な時間」を作ることです。
プロダクト(サービス)やビジョンへの共感があれば、「自由な時間」は、会社にとって、「最高の武器」になる。

そういうことじゃないかと思った次第です。

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