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ありのままの私を受け入れる

三連休初日の朝。久しぶりに雨が降らなそうなので、洗濯をし、毎日のルーティンである妻と子どもたちへの手紙を書いた。
今日の日中は湿度が低く、扇風機で過ごせそう。午後は久しぶりにゆっくり走りにいきたいなあ。

自分の感情に蓋をしてきた過去

私がこれまでずっと苦手にしていたこと。というよりできなかったこと。
それはありのままの私を自分で認めるということ。
生きるために何とか頑張らないといけない、周りの人のようにあらねばならない、そう思うほど自分の本当の感情に向き合うことなく、理屈や他人の目を意識して生きてきた。
子どものころの経済的な困窮、誰にも頼ることができない状況がこれを助長した。

こんな生き方でも、今までは何とかなっていた。
でも夫婦となり、子どもを授かり、家族を持つともはや通用しない。

夫婦関係においても、うまく自分の想いや感情を伝えることができない。
だから相手をコントロールすることでしか、想いを伝えることができなかったのだと思う。そのことにも自分でようやく気付いた。

これまでのありのままの私を受け入れる

相手を支配する私、トラウマを抱える私、涙もろい私、いまではもうすべてを受け入れることができる。
今まで怖くでできなかった、自分の過去の蓋を開け、子どものころに起きた事実と今への影響から逃げずに向き合い続けたからだと思う。
向き合うことで、私がすべて悪いんじゃない。私を養育しなかった親が悪いんだとわかり、いまの私をようやく受け入れることができた。そして生きづらさからスッと解放された気がする。
あるがままの自分を受け入れることは、私の存在価値を自分が認め、私が私の一番の理解者になるということ。私は私のままでいいんだよ、自分にそう言い聞かせることが、大切なのかも。

私が私の安全基地になる

愛着障害の人には、心の安全基地がないとよく言われる。といってもそう
簡単に安全基地ができたり、見つかるわけではない。
であれば、まずは私が私の安全基地になる、それならできるのではないか。
自分のことは、自分が一番よくわかっている。ありのままの私を受け入れて、まずはしっかり褒めてあげよう。様々なマイナス局面を乗り越え、今までよく頑張って生きてきたと。

自分を褒めれない部分は、変えていく

ただ、生きていると自分を褒められることばかりではない。私の場合むしろ
否定してしまうことの方が圧倒的に多い。
それは、私の人生には相対的に乗り越えるべき課題が多いということ。
私はたまたま、周りの人よりも後方の地点から人生をスタートしているのかもしれない。そんな自分もまずは認めたうえで、肯定してあげる。
そのあとに、どうすれば周りの人に追いつけるのか、自分を乗り越えられるのか、幸せに生きることができるのか、どうすれば人を幸せにできるのかを考えることができるようになった。

自分を認めるとなんだか力が湧いてくる

さっきも、息子に手紙を書いていると、息子の可愛い笑顔が頭をよぎり、涙があふれてきた。
私はそれだけ息子、娘、妻、愛猫を愛しているし、今は寂しくて仕方がない。でもそんな自分から逃げず、否定せず、ただ認めてあげる。
泣いてしまう私でいい。私だけはそんな弱い私の味方だから。

自分を認めてくれる、もう一人の私がいると、立ち直りも早い気がする。
自分のこんな思いを記事に残そうと思えるのも、立ち直れている私がいるから。
いまは家族みんなしんどい。もちろん私もしんどい。
でもそんなしんどさを認めることで、ヨシ!私がまず前を向き、家族の先頭に立って、家族を支えよう。そう思える私がいる。


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