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毎日noteを投稿する意味。〈monologue81〉

おはようございます。のりしろ太郎です。
私は「monologue(モノローグ)」と題して、私の内面から湧き出す言葉や想い、蒐集品、たわいもない日常をこのnoteでつらつらと書き綴っています。私にとって壮大な目標「毎日投稿」を掲げています。なんとしてでも100日連続投稿は成し遂げようと心に誓って。そして今日の投稿は、2024年5月6日の投稿から今日で81日目となりました。多くの投稿は起床して間もない朝に書き綴っています。noteは、すっかりと私の朝のルーティンとなっています。


毎日noteを投稿する意味

さて毎日noteを投稿する意味はなんでしょうか。そんな想いが湧き出した時は「毎日投稿」にとっては危険なサインですね。たわいもないことでも話題にすれば、ひとつの記事を書けないこともない。面白い話題もあれば、なんでもない地味な内容の日も。それが毎日のnoteでしょう。ひとつのカテゴリーやテーマに絞っていない雑記なので、何を書いてもいいはずですが、そんな条件下であっても一日も欠かすことなく毎日書くって大変なこともある。面倒だなと億劫になる日もあれば、何も思いつかない日もあるし、猫の手も借りたいほど忙しい日だってある。どうしても書けけない日だって訪れる。人間楽な方に流れていきますからね。ラクしたい。
一度「何も書くことが思いつかない」ことを題材にして書き綴ったこともあります。67日目に書いた「note毎日投稿危うし!?〈monologue67〉」です。結局そんな何でもない投稿が、意外にも私が力を入れて書いた記事よりも多くの「すき」を集めたりするものだから、noteって、世の中って、わからないものです。

ここまでして毎日投稿にこだわって、今日まで81日間書いてきたわけです。ただ毎日投稿していることは何の意味があることなのか…単なる自分にかせた義務のような行為なのか。意味があるかもしれないし、意味などないかもしれない。わからない。だけど100日毎日投稿した際に何か得るものや気づきがあるはず、そう信じて書いています。


小型軽量のカメラLUMIX S9を持ち出す機会が増えた

カメラを持ち出すようになった
アンテナを張るようになった

先月購入したLUMIX S9というカメラがあります。とても小型軽量で持ち出すことに億劫にならないカメラです。日常のたわいもないこと、日常で見つけた美を切り撮ることになくてはならない存在になっています。
カメラを持ち出すことで、私自身の感度が上がっているように感じます。アンテナを張るようになりました。何かを見つけて何かを撮ろう。綺麗なものはないか、面白いものは見つからないか。いつもだったら見逃してしまう些細なこともカメラを持っているだけで不思議と注意深く過ごせるようになります。
美術品やスペシャルなイベントなど特別な日ではなく、ありふれた日常のなかで見つけた美を切り撮ることが、私にとってのカメラの楽しみ方に繋がっています。

秘密の小径を見つけることもあれば
私にとって非日常の場所「金沢城公園」を散策したりすることもある。この公園では不思議と金沢の空が大きく広く感じる。
道路で見つけたカラフルなタイポグラフィを見つけることもあれば
「電気」と書かれたマンホールの蓋を見つけることだってあるし
お屋敷と松が一体化した建物にだって遭遇することもある。
カメラを持っていなければ、私ひとりの記憶に留めておくしかないことも、記録しnoteやSNSなどで多くの方と共有することだってできる。記憶は風化しても記録はそう簡単には風化しない。

連続投稿100日目を目指して

そんなわけで、毎日noteを投稿する意味を探しつつも、答えは見つからぬままに、私は書き綴っています。結論から言えば、書く意味など見つからなくて良いかもしれない。もしかするとすでに見つけているかもしれない。毎日書くことによって、小さな発見を積み重ねているのかもしれない。あの日の散歩で見つけたタイポグラフィや金沢城公園で見た大きな雲。一つ一つが私にとって財産なのかもしれない。
些細なことを話題にして書き綴る私の100日間のnote。
今日もカメラ片手に出かけるとします。

おわりに

皆さんのスキ、コメント、フォローは執筆の励みになります。また私のnoteに足を運んでいただけたら幸いです。のりしろ太郎の活動や取り組みは、十月のオクトパスwebsiteをご覧ください。
今年の夏は暑い!こまめな水分補給を忘れずに。暑い夏を楽しみながら過ごしましょう。それではまたお会いしましょう。のりしろ太郎でした。さようなら。

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