シチュー皿が割れた日
この記事はメディアパルさんのお題企画、「#ひとり暮らしのエピソード」に参加するために書きました。
7人家族で育った。祖父母と両親、妹ふたり。家に帰れば必ず誰かしらがいて、例え短時間でもひとりきりになったことは無かったように思う。食事も団らんも大人数。とにかく賑やかだった。
そんな環境で育った私がひとり暮らしを始めたのは18歳の時。大学進学を機に学校の近くに引っ越すことになったからだ。
私は中学生の頃から、早くひとりで暮らしたいと思っていた。誰からの干渉もうけず、自分の好きなように生活してみたかった。
だから進学が決まると特に不安に思うこともなく、すぐに淡々とアパートやバイト先を探し始めた。新生活への希望と期待でいっぱいだった。
引っ越し先のアパートは、大学からほど近く、同じ大学の学生たちが多く住んでいた。
団地と大学しかない郊外だったので、周りには女子大生の心をときめかせるようなお店はひとつもなかった。近所には大きなダイエーがあって、引っ越し当日、両親と一緒にそこでとりあえずの食器や生活用品を買いそろえることになった。
食器売り場で3枚のシチュー皿を買った。たしか1枚300円だった。
ひとりで暮らすのになんで3枚も買ったのかは忘れたが、とにかく3枚のシチュー皿が新しいラワン合板の食器棚にしまわれた。
両親は郷里に戻り、ひとりきりになった時にも特段寂しさを感じなかった。自分は何でもひとりでうまくやれると思っていたのだ。
新生活にも慣れ始めた頃、アルバイトを終えて帰宅しいつものように遅い夕食を準備した。
その日はバイト先の上司に超理不尽なことで叱られ、むかむかしていた。
もう22時を回っていたし、今のように電話代なしで人としゃべれる時代ではなかったので、誰かに話を聞いてもらうことも出来ずひとりため息をついた。こんな時、家族がいれば話を聞いてもらえただろうなと思った。
食事を終え皿を洗った。考えごとをしながらだったからか手を滑らせ、シチュー皿を流し台に落としてしまった。がしゃんという音とともに1枚目が割れた。なぜかとても悔しかったが、私は粛々とそれを片づけた。
また、ある冬の日、胃痛がひどかったのでドラッグストアで胃薬を買って帰り、おかゆを炊いた。熱々のおかゆをシチュー皿に注ぎ、食卓へ運ぼうとしたその時、食欲がなくて何日もあまり食べていなかったせいか軽いめまいがして、おかゆで満たされたシチュー皿を床に落とした。
2枚目のシチュー皿はまっぷたつに割れて、床の上で湯気を放っていた。どろどろのおかゆまみれの皿の破片を片づけるのも嫌になって、私はひとりしくしくと泣いた。誰かがそばにいてくれればいいのにと思った。
その後の留学生活と会社員生活を合わせ、通算6年間ひとりで暮らした。
結婚し子ども達が生まれ、今は家族4人で暮らしている。時々ひとり暮らし時代の自由で気ままな生活を恋しく思うこともあるが、現在の暮らしに満足している。
実は今でも3枚目のシチュー皿を使っている。もう26年も使っていることになる。
その皿に何かをよそって食卓に上げる時、ダイエーのオレンジ色のマークがちらりと頭に浮かぶ。
そしてあとの2枚が割れた時に感じた、どうしようもないほどの寂しさを懐かしく思い出すのだ。
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