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母のレシピカード

最近若き日の母について考えることが多くなった。

私は千葉県の田舎町に生まれ育ち、18で進学のため上京し、それ以降は母と一緒に住んだことはないので、私のよく知る母とは、自分が18歳までの母の姿だ。

21歳で嫁入りし、22で私を産んだ母。考えてみれば私が18で家を出た当時の母は今の私よりも4つも若かったのだ。

実家は自営業をしていたので、母は父からは家でも役職名で呼ばれ、子供たちは自宅の電話にも商売の屋号で応答するようにしつけられた家庭だった。まさに仕事と家庭の区別があまりなく、父と母はいつも忙しくしていた。

朝は子どもより早く家を出て、夕方まで仕事をする。くたくたになっていただろうが、母は家に帰る前にスーパーに寄り、家族7人分の夕飯の材料を買って帰ってきた。まだ20代の母が、義両親と夫、義弟、こどもたちという大所帯の食事の世話も担っていたのだ。

実家のキッチンの電子レンジの横にある棚の中に、母が嫁入りの時に持参した4色の厚手の色上質紙に印刷されたA5サイズのレシピカードがたくさん入っていた。

母は時々そのレシピカードの中の料理を作ってくれた。

マカロニグラタン、トンポーロー、茶碗蒸しにちらし寿司、ハンバーグやシュウマイ、天ぷらなど。

レシピカードには写真は載っておらず、ただ材料と作り方のみが明朝体で書かれていただけだったので、母がそれを見返しながら調理をし、料理ができあがっていくのが不思議だった。

このレシピカードは母が独身時代、勤めの帰りに通っていた料理教室のものだったそうで、料理の先生からこのカードを元に習っていたそうだ。花嫁修業というものだったのだろう。自己流ではなくきちんと先生に習った料理なので、本格的でとても美味しかった。

そのレシピカードのことが気になり、母に尋ねてみると、引っ越しや何やらの断捨離でもう捨ててしまったらしい。もらっておかなかったことが悔やまれる。

塩茹でした青梗菜と一緒に盛り付けられた、黒くて、てかてかとして柔らかい、大好きだったトンポーローを私も夫や息子たちに作ってあげたかった。他のレシピではだめなのだ。あの日々に母が私たちに作ってくれたあの味を再現したいのだから。

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