見出し画像

ユニラボの軌跡 -創業10年に寄せて-

はじめに

ユニラボを創業して10年。振り返ると楽しいこと、嬉しいこと、苦しかったこと、沢山あったけれど、こういう振り返りを書き出すとやはり苦しかったことを思い出すのは、それを乗り越えて今があり、HardThingsは前進する為の処方箋だと思えるからだと思います。創業10年を経て、次の10年に向けて、今私自身が進化する為にも記録を残しておきたいと思い、本ブログを書いてみようと思いました。

苦しいことは主に、①事業が伸びない焦り、②残キャッシュとの闘い、③仲間との別れ、の3つくらいに集約され、楽しいと苦しいが非連続に訪れた創業期の頃を思い出します。その時は辛かった出来事でも、10年経ち、今となっては懐かしいという気持ちで回顧することができるのは不思議なものです。

勿論、楽しいこと、嬉しいことも数えきれない程ありました。アイミツをサービスとしてローンチしたあの日のこと。お客様に褒めて頂いたこと。初めてメディアに取り上げて頂いたこと。資金調達ができたこと。皆で朝まで酒を飲み、時には東京を離れて合宿し議論を重ねた事。その時々に立ちはだかる課題や悩みは、皆で共通の目標を達成した時の高揚感で超えてきたような気がするし、社員100人の大所帯になった今のユニラボでもそれは変わらないものと思います。

心配性で、割と細かいことが気になる性格の自分は起業家には向いていないと悩み、不安で息苦しい日もあったけれど、その時々の仲間に支えられながら難局を乗り超え、10年間、概ね楽しくやってこれたと思います。改めて、ユニラボの社員や関係者の皆さん、本当にありがとうございました。また、引き続き宜しくお願いいたします。

先輩起業家曰く、諦めないこと、粘り強くやり続けること、この2つが重要とお話し頂きます。会社が潰れない限り勝機はあり、起業家が諦めなければ夢やビジョンは実現できるというのはそりゃそうなのでしょうが、10年も続けてみるとやはり何度も辞めたくなるし、実際に本当に辞めようと思うこともあったけれど、10年続けたからこそ実体験としてその言葉(続けるということ)の重みは分かるし、20年、30年と同じ会社を続けている経営者には尊敬の念を持つばかりです。

今回のブログは、ユニラボ10年間の振り返りを6章構成でまとめたものですが、かなりの長文なので興味のある人だけ読んで頂ければ幸いです…笑。ユニラボの社員やスタッフの皆様、これからユニラボにご縁がある方々に向けて、次の10年に向けてエールを送る為に、これまでの10年に感謝を込めて書いてみたいと思います。

第1章 起業家として

私は、自分の事を起業家と言われるのに少しだけ抵抗があります。振り返ってみても、私自身は特別なスキルや能力もなく、アタマの良さで言ったら世の中たくさんの優秀脳がスタートアップにも流れ込んでくる時代に、今はなりました。お金儲けの嗅覚や、誰にでも良い顔ができると言った、いわゆる天性の社長らしさは特段持ち合わせていないのかもしれません。

なぜ、自分が10年間、苦労しながらも1つのこと(アイミツ事業のこと)を続けて来られたかと思うと、自分自身が設定したイチ社会人としての目的である、「中小企業支援」に対する想いがあり、結果として、今はそれが会社のビジョンとなり、ユニラボという会社が未来に向かって発展していく羅針盤としての役割と、原点になったからだと思っています。

なので、起業家らしいただ1つの点を挙げれば、そこだけになるのかな、と思います。社会の問題に問いを立て、長い時間をかけてでもその解を見つけるには労力、根気、情熱も伴います。少し上手くいかないからピボットするという軽い新規事業のノリでは、絶対に立ち上がらないテーマです。10年取り組むことができたのは、本当にそのテーマについて思いを馳せているからであり、自分自身の働く目的であるからに他ならないと思います。

きっかけは20代、第二創業期の混沌としたDeNAで過ごした時間でした。まったくインターネットとは無縁の10代を過ごしつつも、23歳で三菱商事を辞め、DeNAでインターネットが社会を変えていく現場に身を置かせて頂いたことが幸運でした。次第にそれが自分事となり、「インターネットを活用し、イノベーションを起こす。社会の不を解消し、社会をより良い場所にしていく」ということが、自分のミッションとなり、気づいたら20年近くをこの業界で過ごし、産業の発展と共に自分も少しかは成長することができました。なので、根幹としてインターネットが好き、というのがあります。

DeNAで、若くして責任ある立場を任され、少しばかりの自信はあったけれど、実際に起業してみると世の中はそんなに甘くはなく、創業し会社を立ち上げる経営ノウハウみたいなものは何一つ持ち合わせておりません。少額の自己資本、たった数名の仲間でお金を稼ぎ、自社の事業を立ち上げていくというやり方は、簡単ではなかったし、「何でも自分で決めて、自由にやれる」というほど、実際は自由でもないということを身をもって知りました。すべてを走りながら考え、身に着けていきました。

起業当時はソーシャルメディアが発達する以前の日本で、未だ匿名性のSNSや掲示板の類がインターネットの主戦場でした。社外に起業相談ができる先輩起業家も多くはなく、自分なりに情報収集をしました。結果としてベンチャーキャピタル等には頼らず、自分の自己資金のみでやれる所までやる、時間はかかっても良いのでSmallStartな起業方法を志し、僅か500万円を振り込んで会社を設立しました。

もう1つ私の特性だと思うことは、時流に流されずに自分自身の考えで意思決定をしてきた、という所かなと思います。2004年にDeNAに飛び込んだ時には、変人かと思われましたし、起業のタイミングは東日本大震災の直後で、フリーランスで独立みたいな時代背景でもなかったのです。ですが、今やらなければ一生やれないかもしれないという危機感、「やるリスクより、やらないリスク」を感じ、自分ひとりの考えだけで意思決定ができました。

ユニラボを立ち上げたのは2012年10月ですが、その前に1年半、フリーランスとして自分の充電期間、学習期間に充て、ゆっくり起業準備をしていく中で、共同創業者でCTOの菅原さんと出会いました。菅原さんは既に2社起業をしており、しっかり事業も軌道に乗せ活躍していましたが、経営者ではなくエンジニアとしてもう一度プロダクトを世に出したいという気持ちを持ち、創業のパートナーを探していたタイミングでした。

ユニラボの創業期は、最初の5名までは社会保険なしの業務委託契約(これを社員と呼んでいた)、CTOでも給与は月額20万円、家賃12万円の目黒のアパートで創業という貧乏創業の形をとりました。手弁当とは良く言ったものです。未だクラウドソーシングがない時代、人件費はかけられず、個人の掲示板を活用して、格安で業務を請け負ってくれるSOHOさんを探してはコンタクトを取っていました。当時は在宅でできる仕事の希少価値が高く、沢山のSOHOさんに恵まれ、アイミツの原型となるコンテンツを大量生産していくことができました。

最初に誰をバスに乗せるか、とか、巨大なTAMで壮大なビジョンを掲げるのが先、とか、シリアルアントレプレナー的な格好良い起業ではなく、その時、そのタイミングで集まった人が仲間となり、面白いことをやろう、楽しくやろう、それでも私にとっては良かったのです。気づいたら、創業メンバーと、インターン生数名で目黒のアパート(8席程のオフィス)はいっぱいになっていました。この頃から社員同様に頑張ってくれるインターン生がおり、ユニラボの創業期を支えてくれました。

当時、スタートアップが自社事業を立ち上げるまでの運転資金を受託開発等で稼ぐことをラーメン代と揶揄し、それだと中々立ち上がらないという論調も多かったですが、まずはそれをやり抜くと決め、スタッフ10人分くらいの給料を私と菅原さんで稼ぎ、残りのメンバーでアイミツの原型となるサービスを少しずつ作っていきました。

現時点の日本では、スタートアップ創業は社会的追い風もあり、以前よりは格段に創業しやすい国になったものと思いますが、それ以前の多くの元祖ベンチャー企業は概ね貧乏起業であっただろうと思います。それはつまり平成的というよりは、昭和的起業(脱サラ的な)だと思うし、基本は自分の貯金を崩して起業をするというやり方です。自己資本で立ち上げる起業手段を是として決め、社員には申し訳ないのですがブラックな時代もあったかもしれません。けれど、結果的に仲間も集まり、皆と共に苦しみ乗り越えたということが、私の起業家としての一つの実績であり、ユニラボを長い低空飛行から、大空に飛ばせるまで(今時点のユニラボまで)をやり抜いた起業家としての最初の仕事であったと振り返っています。

余談ではありますが、創業前夜の私自身は30歳とちょっとで独身です。生活費のバーンレートも低く、あの時だからできたことだとも思います。一方で、CTOの菅原さんや、創業と同時にジョインした石田さん、渡さんなどの創業期のメンバーのいずれもこのタイミング子供を授かっており、育休などが一般的でもない時代で、夜を徹して事業の立ち上げに尽力してくれました。それから10年後に私も子供を授かり思い知りますが、小さな子供を育てながらスタートアップするということがどんなに大変で、生活費もままならない中で、未来しか見ずに頑張ってくれたことを、今振り返り改めて感謝をしなければならないと痛感いたします。

起業家としてはそんな感じのはじまりでした。創業期は目の前のことにまっしぐらで、会社のミッションやビジョンを作る必要性もなく、元々ビジョンで飯は食えないと思うタイプではあったのですが、創業当時から「インフラを創る」というキーワードを使い、何かにつけて設立趣旨として語っていました。創業から数年経ち、初めて策定した経営ビジョン「中小企業の成長を支援するプラットフォームを創る」が私の想いを表す原点であり、個人事業主の集まりだったチームが、ひとつの目標に向かうチームになっていく為の、ユニラボの成長ストーリーの第1章となるのです。

共同創業者のCTO菅原さんとのショット(2017年の社員旅行@北海道)

第2章 創業期のチーム

2000年代はマーケットプレイスと言えば概ねEC(モノ)くらいでしたが、2010年代にサービス領域でもマーケットプレイス型の新規事業が沢山生まれ、世界中の新しい起業家が成功を収めていったと思います。

アイミツの立ち上げ期、マーケットプレイスというビジネスモデルを選んだことにより、あらゆる実務ノウハウが無く、必要に駆られていました。事業立ち上げ、ネットマーケティング、カスタマーサクセス、採用組織づくり、ファイナンスと言えば格好が良く、MBAシリーズみたいなビジネス本のタイトルにも良くあるテーマですが、実際の所、経営の現場は大分違っているのです。

実際に必要だったのは、どうやってサイトを作り、集客するか。良質なSEOコンテンツとは何なのか、CVRはどうしたら上がるのか。カスタマーサクセスはアルバイトでもできるのか、アルバイトはどうやって採用し定着するのか。どうしたら銀行はお金を貸してくれるのか、助成金の審査に通る方法など、そういった現場の課題です。それらの本に書いてあることが、いかに理論的で現場では一切役に立たないかを知りましたが、とにかく必要な情報がなく、途方に暮れていました。ここ5年くらいでnoteが誕生し、twitterにも目から鱗の経営ノウハウが飛び交うようになり、今でも後追いで勉強をする日々です。

DeNAでは既に立ち上がった事業をグロースさせた経験がメインで、かつ若くして営業部長や事業部長だった為、やはり実務経験に乏しく、自分のスキルで自信があったものと言えば営業くらいでしょうか、何一つできないことに薄々気が付いていました。中でも一番苦労したのは、アイミツ事業のSEOの立ち上げだと思います。インターネットビジネスは大好きで朝まで語れても、インターネットビジネスの基本的な立ち上げ方を何も知らない、そんな所からです。資金的余裕もない中で、基本的には競合サイトから学び、自分で考え、当時の社員と壁打ちすることで、洗練させていくしかありませんでしたが、そんな中で、リブセンスと提携することになり、村上さんから主にSEOについて沢山のことを学びました。

受発注の不を解消する為にアイミツを運営していますが、この事業を立ち上げながらも、見積もり書を眺めるだけでお金に余裕がなく発注を躊躇し、あるいは発注の失敗も幾度も繰り返してきました。失敗したことと言えば、税理士選びは2回ほど、格安パソコンリース、格安LP制作、外注させて頂いたエンジニアリングはだいたい長続きしませんでした。今考えると経営ノウハウはもっと外から仕入れるべきだったし、本業以外のノンコアな部分は積極的に外注をしても良かったと振り返っています。初めて中小企業経営をしてみて、アイミツというサービスを立ち上げながらも、それが不完全な故、完成されたアイミツの必要性をいつも感じていました。

2014年2月にアイミツをローンチしてから1年半後、月商700万円で単月黒字化を果たしたことが、その後の原動力となりチームのモメンタムを作ってくれたように思います。受注者会員のクライアントから一定の信頼を得たことで、成果報酬フィーに加えて、シルバープラン、ゴールドプランといった上位プランのご契約を、新卒1期生の若手(入社1年目)とインターン生が契約受注してくれました。今思えば、この頃から積極的に課金をしつつも、お客様から高い評価を頂けるようになってきました。アイミツのお陰で下請けから脱却でき、元請けの実績を創ることができたとか、マッチング精度が高いとか。

単月黒字化で、年商1億円に近づき、受託事業なしに経営を続けられることの喜び、マッチング収益だけで作った売上は格別だったし、あの夜のお酒の味は忘れられない味となりました。この出来事は次のオフィス(いちご東五反田)に移転するきっかけとなり、やがて大きなアクセルを踏むことに繋がります。

黒字化した当初は西五反田の30坪のオフィスです。エントランスを作るお金がなく、弊社が居住する3階にエレベーターが着くと目の前に打ち合わせ机があり、社員がわいわい話をしているようなラフな感じでした。当時は半分オフィスに住んでいるような社員もおり、洗濯物が干してあったりとかなり恥ずかしいオフィスであったと思います。

皆、ユニラボの家族的なカルチャーが好きだったように思います。折角集まった仲間同士、せめて楽しんで会社生活を楽しんで欲しいと思い、毎日のようにカレー(実際にはカレーだけではないが)を作り、卓球をして、夜は一升瓶を囲んで日本酒を飲み続ける日々。あの頃は飲んでさえいれば、何とかなるような気がしていました。気づけばご飯を作る文化は私だけの仕事ではなくなり、料理が不得手な者も持ち回りで担当するようになっていました。例えば流行りのハロウィンをやったり、若いスタッフに楽しんで頂けることを考え、自分自身も楽しみました。気づいたら、社員5名、インターンが10名くらいと、アルバイトが5人くらい居て、総勢20名ほどの初々しいスタートアップらしいチームになっていました。

新しいアルバイトさんが入社すると気合いを入れて初日からお昼ご飯を仕込んだりしたものですが、そこに社長がいることに驚いたのか、それが嫌だったのか2日目から音信不通になることも少なくなかったように思います。活躍されるアルバイトさんには、夢を持って活動しているエッジの効いた方々も多く、芸能活躍、音楽活躍はよくあるパターンで私もライブや芝居を見に行かせてもらいました。五反田界隈の子育て主婦さんも、家事の合間を縫ってサポートして下さいました。歴代のアルバイトの皆様にも心から感謝をしております。

この頃は、係数管理も未熟で、月次単位では売上は凸凹ですし、何か大きな環境変化があると突発的にかなり赤字も膨らみました。事業を成長させたければスタッフが必要、スタッフを雇用するにはオフィスが必要、自己資本のベンチャーが成長の為の運転資金をどう賄うのか。税理士に聞いた所で回答も得られず、事業が右肩上がりの中で、投資したい気持ちを抑えて、アクセルは踏めずに、常に小刻みのブレーキを踏んでいました。

初期投資がかかるオフィス移転は勇気がいる決断になりますが、売上と家賃はどのくらいが適正なのか、何を調べても分からず、長い時間悩みました。結局、西五反田オフィスのトイレ問題(トイレが1つしかなく渋滞する)が深刻で、近くのコンビニがトイレと化し、意外と身近なペインが社員に申し訳なくなり、次のオフィスに移転することを決断できました。月商1200万くらいで、100万のオフィス(地下1Fの特殊フロアで激安)を借り、2016年から2020年まで4年半を過ごさせて頂き、ユニラボの原点とも言えるSOULオフィスとなりました。このオフィスは歴史が詰まっていて大好きだったので、本当は解約したくなかったのですが、コロナ禍で已む無く断念しました。

当時の社員、アルバイト、インターン総出の手作りオフィス体験は格別でしたし、今もユニラボのトレードマークになっている人工芝のオフィス、ロゴ入りの卓球台、沢山ご飯を作る為と張り切って買ったIKEAの大きなキッチンなど、皆で仕上げた時は感動し、涙を流す社員もいました。

100坪の広くなったオフィスも移転当初はガラガラすぎて不安だった日々も束の間で、あっという間に20人、30人、50人とスタッフが増えていきました。この頃は出入りも多く、社員、アルバイト共に色々な人が入り、そして卒業していきました。売上が伸び悩んだり、社員とぶつかったり、私自身も精神不安定な中でも、週何日か皆のランチを作り、金曜日の夜は必ずユニラボの芝生の上で鍋を囲むということを続けてきました。社員やアルバイトの皆とただ楽しく話したいだけなのに、私の不安をぶつけてしまい、何度となくコミュニケーションの失敗もしました。

事業は人が創り出すものであり、人が全て、というのはDeNA時代に南場さんが仰っていたことですが、いざ経営をしてみると、経営は人の問題ばかりで、引き続きやりたい事業をやりたいようにやることはできずに苦しんでいました。そんな中で会社の若手社員やアルバイトから絶大な求心力があり、事業開発の傍ら人事機能を果たしてくれていた取締役の渡さんが、2018年の春に退職することになりました。総合商社からスタートアップにジョインし、最初は安月給の業務委託契約を強いられ、全くのIT未経験から、コンシェルジュやカスタマーサクセスの基盤を作ってくれた、何よりユニラボの文化形成に大きく貢献してくれたと思います。この出来事はこの10年の中で最も辛かったように記憶していますが、結果として、次に続くユニラボの第二創業期への方針転換につながっていくことにもなりました。

2017年の春、30人の壁を超えるべく、ミッション・ビジョン・バリューをイチから作り直しました。「何の為のアイミツ?」という疑問が一人の社員からあがり、瞬く間に社内に広がっていました。河口湖で全社員合宿をし、「すべては便利の為に」というミッションを作りました。便利を「納得感」と「手間の削減」に分解し、全社員を巻き込んで受発注の不について深堀りして考える場はとても有意義だったように思います。今でもその当時の議論を思い出し、資料を見返したりもします。

また、その翌年、現在のユニラボのビジョンである「受発注を変革するインフラを創る」に改定しました。今から考えると、皆で話し合ってビジョンを定めたことは、一つの大きな括りとしての創業期を終え、組織拡大期のスタートに立ったのだと思います。

左上:創業当時の目黒オフィス(10坪)/ 右上:初めて移転した西五反田のオフィス(30坪)
下段:2016年から4年半在住したいちご東五反田ビルB1と2F(合計170坪)

第3章 経営方針転換

創業から6年目を迎えていました。この頃、毎年恒例で開催していた未来会議、1年に1度会社の遠い先を見つめ、皆で想いを共有する為に開催していました。社員数も増え、ミッション・ビジョン・バリューも定めた後の2018年の未来会議は、大きな決意と覚悟をもって準備をしていました。この時「今から5年後をどんな形で迎えたいか?」を社員の皆に問い、その手段としてVCから資金調達をするのはどうか?という相談を持ち掛けました。資金がない中で大きなビジョンを掲げているのは皆も知っていますが、それにはタイムラインと納期がなく、大よそでも良いのでいつまでに達成するという、決め(覚悟)がないことが問題ではないのか、と自分自身の問題意識をぶつけてみたのです。

起業時に自己資本で出来るところまでやると決め、2017年には通期で黒字化も果たしていました。上場というキーワードはユニラボには存在せず、今のまま目標に向かって突き進むと全員が思っていましたし、その選択肢を取ることで、何がどう変わるのかさえ、社員の皆は想像できていませんでした。

起業当時から時代は代わり、日本のスタートアップ支援ブームが絶好調に達していました。その中で、多くのB2Bスタートアップが資金調達に成功し始め、SaaSのようなキーワードも光を浴び、これまで不人気だったB2Bサービスに大きなトレンドが来る予感を感じていました。後から考えるとDXという大きな流れの前兆だったのかもしれません。

この方針転換のずっと前から、自己資本による経営を続けていくべきなのか?と一人悩んでいました。自分自身の拘り、個人的理由では説明がつかない組織規模にもなっていたこともありますし、何より、事業規模が拡大するにつれ、お客様に対する責任も感じ始めていました。新規獲得はできても、既存のお客様へのサポートは不十分で、お客様に継続的にご利用頂く為にも今のままではいけないと焦りも感じ始めていました。

このタイミングで全てをゼロベースで考え、メリットやデメリットを整理し、本当に資金調達ができるのか、資金があれば変わるのか、そして上場を果たせるテーマなのか、を考えるようになっていました(ExitとしてのM&Aは当時から志向しておりませんでした)。

もし資金調達ができたら、今のアイミツを何倍にもできる。利用者を増やしていく為のマーケティングだけではなく、優秀なエンジニアを採用でき、お客様に喜んで頂ける理想的なプロダクトに投資ができる。そんな想いとは裏腹に、ただただ我慢し、毎月しっかり黒字を出すことを意識して経営をしていました。

悩んだ末、私が出した結論は、「掲げたビジョンに責任を持ち、それに即した経営をする」という事でした。「インフラを創る」ことがすべての最上位概念にあり、その手段は問わない、成長することがスタートアップの全ての価値観であると思い直しました。いつからか私個人の自己資本経営への想いを、社員に強いているのではないか、それは皆に対して不義理に当たるのではないか、と思い悩むようになっていました。取り得る全ての選択肢に対して全力で取り組み、入社してくれた社員に、アイミツが成功した姿を見せて上げたいと、本心からそう思いました。

「5年後をどんな形で迎えたいか」
私は2014年にローンチしたアイミツ、10歳の誕生日(2024年)にはこのビジョンに対して、結果を出さねばならないと考えています。なんだかんだで「結果が全て」と思うタイプではあります。創業期からリスクを取ってくれた役職員のメンバーへの恩返しもそうだし、何より自分の集大成としてです。そしてその結果、アイミツが生まれる前と後とでは、世の中はどうなっているのでしょうか。今年の未来会議ではその事に対してより具体的に向き合わなければならないと考えています。(中略)「やるか、やらないか」の選択肢なんかじゃなくて、「やり切るか、中途半端に諦めるか」の2択しかないのであれば、やり切る方を選びたいと考えています。

2018年未来会議で社員に送ったメッセージから抜粋

2018年の未来会議では、私の超絶長い2時間のプレゼンテーションは途中眠たくなったと思われますが、終わった後には皆からの賛同の声も多く、安心したことを覚えています。あの場にいた皆がアイミツの未来に期待を寄せていたし、実態を知っているからこそ、やれていないことの伸びしろを自分事として捉えられていたのだと思います。経営方針転換については、未来に期待を寄せる者、変化に不安を覚える者、様々な感情がありつつも無事合意が取れ、この日がユニラボにとって第二創業期のDAY1となりました。2018年7月6日の事でした。

後日談になりますが、この日参加したメンバーの多くは今はユニラボを卒業し、起業したり、スタートアップの要職として活躍されているようです。一方、残ってくれたメンバーの皆は、後から入ってきた優秀なメンバーに負けじと奮闘し、今や部長やプロジェクトリーダーとして、ユニラボの主要部署で、最後の砦として活躍してくれています。せっかくの機会なので紹介すると、2016年頃にジョインした新卒2期の林、新卒3期の芝野、初めて中途採用した第二新卒の酒井、リン、エンジニアのドバンなど、創業期にジョインし、今は古株メンバーとなりました。2018年、経営を安定させる為に、思い切って利用料金を月額課金型に切り替える一大プロジェクトも、上記のメンバーが主体となり成功に導いてくれました。

会社の歴史を知っているメンバーは、それだけで強いと今になって強く実感する所です。創業期のメンバーの皆が、見違えるような成長を遂げ、現在のユニラボに至るまでの過程を、表裏で支えてくれたと思います。同じオフィス空間で同じ釜の飯を食い、仕事や生活を共にする中で、自然に信頼できるメンバーとなっていき、心から感謝をしています。また、その頃インターンやアルバイトとして頑張っていた若手メンバーが正社員となり、活躍してくれていたり、2015年から7年間連続で新卒採用ができた中で、歴代の新卒が頑張り、年齢や経歴に寄らず、若手でも会社を引っ張れることを証明してくれました。

こういった大きな経営方針転換は、私一人では実現できず、その時にそれを支持してくれたメンバーがいて初めて成立したものです。一方で、この時代の私はそれを一人で考えることも多く、しばしば経営メンバーで対立することもあり、経営チームの作り方にも悩んでいました。

いちご東五反田ビルでの未来会議(全社会議)の様子

第4章 共同代表

このブログでも一度も書いたことがないのだけれど、現在共同代表を務める柴田さん(COO)の話です。盟友、柴田大介氏とは2004年にDeNAの2次面接で初めて会いました。同い年で既にグループリーダーというマネジャー職でしたが、私と同い年で、大企業をすぐに辞めた事や、地方出身であること、読んでいる本や生き方などが尊敬でき大いに共感したことから、それ以来の親友になりました。私と性格は大よそ真逆ですが、何かとつるむようになり、20代の働き盛り、伸び盛りの季節を、一緒の時間を過ごしてきました。

そんな間柄だったからか、自然と一緒に起業をするというプランが出て、実際に29歳の時に一度は2人で起業するプランも練ったものですが、お互いに執行役員という立場上、会社に迷惑をかけるようなことはできないと判断し、その時は断念しました。彼はDeNAに残り、10年間という長い期間を執行役員として、私が卒業した後の知らないDeNA、メガベンチャーの代表格として一流企業に上り詰める中をトップマネジメントとして過ごしていました。たまに会っても世界が違うように感じることもありました。なので、共同創業を断念した後は、私から誘うことはありませんでした。

経営や採用、資金調達もそうですし、つくづくこの世の中はタイミングの妙で出来ていると思うのですが、2018年の未来会議を終えて間もなく、柴田さんから連絡があり、DeNAを卒業するつもりだ、という話を聞いたのです。弊社が自己資本経営を終えようとしているタイミングと、彼の卒業というタイミングが、偶然にも重なり、今はユニラボの共同代表者(代表取締役)として、同じ船に乗り、一緒に経営をしています。

彼と再会して、初めてユニラボのオフィスに来てくれた日が金曜日だったことが幸運でした。ユニラボにとっては華金と言えば恒例の飲み会です、いつもの通り、かなり大勢のメンバーが会社でお酒を飲んでいました。当時社内で流行っていたボードゲームやキングダム、麻雀、卓球など思い思いに楽しみ、業務後のリフレッシュ時間を楽しんでいました。ユニラボにとっての日常が、彼には珍しく見えたのかもしれません。翌朝、彼の方からジョインしたいという申し入れがあり、青天の霹靂とはこのことで、嬉しくてたまりませんでした。

外部資本を調達しようとするタイミングです。大きく会社を変えねばならないことは分かっていましたし、彼のような上場企業経営の経験がある取締役が必要になると想像していました。自分よりも優秀で、自分にはできないことができる経営メンバーを集めなければと考えていた頃です。私に代わって彼が代表となり、私が副社長として支えるという案を最初に提示しましたが、まずは取締役としてジョインし、2020年から共同代表として、CEO、COOという役割分担で経営の職を担わせて頂くことになりました。

その後、後述するようにシリーズA、シリーズBと矢次早に資金調達をし、正社員が50人、100人と増えていく中で、早々に人事機能を作り、後にHR部長となり活躍する森さんと共に、大量の面接と採用、組織づくりをこなしていってくれました。多い時で月400-500人のご応募を頂けるようになったことは大変な努力の賜物だと思います。人事領域は柴田さんにお任せし、この規模では珍しいと思っていますが、早々に採用面接の最終面接から外れることになり、私の役割はファイナンスと新規事業といったように、役割分担を進めていきました。

また、柴田さんの知人の中でもとびきりのプロフェッショナルを技術顧問、SEO顧問、人事顧問、上場準備顧問など破格の値段で引き受けて頂くことができて、内向きなユニラボが、少しずつ外界に接触していくことで、視野が広がったようにも感じました。飛び切り優秀な人材エージェントやヘッドハンターとお取引ができ、この頃、マネジメントクラスの優秀人材が次々に入社をしてくれました。新しい部長陣を柴田さんが統括し、皆それぞれ前職時代のやり方や成功体験を持ち込み、ユニラボに新しい風を吹き込んでくれたし、気づいたら新しい部長陣のおかげでそれまで滞っていた売上も大きく伸びていきました。

2020年の春、それまで定めていたValueを再定義するプロジェクトでは、彼と共に議論を深め、会社のコアバリューであり課題感を「まっすぐ」であることただ一つと再定義しました。何より彼がユニラボの経営者として自分ごととして取り組んでくれた方が嬉しく思ったし、彼自身の性格が「まっすぐ」そのものであり、それが会社の原動力となり、推進力となることを願いました。

「まっすぐ」は、顧客に対して、チーム全員に対して、成すべきことに対して、という3つのまっすぐをユニラボ社員の最低水準として定めたものではあり、社員の皆にも浸透しているValueだとは思います。実はそんなに簡単なことではなく、特に仲間に対して、全員にまっすぐであり続けることは、相当の努力を要すると感じています。

私たちは、立場に関係なく、良い悪いをはっきり言えるチームを目指します。チーム全員にリスペクトと感謝を持ち、信頼関係を築きます。

ユニラボコンパス(Value)

柴田さんの「まっすぐ」なスタンスや姿勢が、ユニラボを大きく変えてくれたし、100人の壁、200人の壁と大きくなるにつれて、よりその凄さが社内外に伝わってくるのではないかと考えています。そして、彼が彼らしく楽しく前を向いて働けるように、共同代表として、友人として彼を支えていきたいと思っています(支えられてばかりの私ではありますが)。

共同代表COOの柴田さん、めったに写真撮影できないので貴重な一枚です

第5章 資金調達

大きな方針転換の後、初めてのエクイティファイナンスを見据えて、自己資本時代に整備できなかった会社の管理周りを整えていきました。恥ずかしい話ですが、当時は月次で試算表や決算書を作ることすら出来ていませんでした。とにかく入出金をきちんと見るという原始的な手法で、私の片手間で経理を回していました。外部資本を入れると決めた中で、初めて資本政策やエクイティストーリー、株式回りの整理など、一から勉強して私ひとりで粛々とこなしていきました。

何より大変だったのはファイナンスでした。私の時間は徐々に事業の現場から財務に移っていきましたが、まだまだ現場の不安もありました。当然ながら、この頃はCFOや経理責任者もおりません。デット、エクイティ共に私には経験がなく、イチから勉強する形になりましたが、気づけば一通りのアウトラインや概念は理解することができるようになっていました。エクイティの次はデット、デットの次はエクイティといったように、毎年のように交互にやってくる為、年中ファイナンスに時間を取られてしまいました。でも、動けば動くほど成果も見え始め、また一番不安だった財務面が増強されるということもあり、積極的に工数を割いていきました。

余談ですが、DeNAの執行役員という立場で経営に近いポジションに置いても、資金繰りやファイナンス、株主に触れることはほとんど経験がなく、マネジメントと言ってもおよそPLしか見たことがありませんでした。起業する際に、自己成長の為にも経営者をやってみたいという動機の一つが、財務やBSを理解し、操れるようになって初めて経営であるので、という想いがありました。10年経ち、PLとBSをバランス良く適正に保ち、資金が途切れないようにファイナンスができる会社にする、という事の難しさをようやく実感しています。

資金調達を始めてから、今ではほとんどのメガバンク様とお取引ができるまでになりましたが、最初は地方銀行、信用金庫の皆さまをかたっぱしからリストを作り荷電し、逆融資営業を繰り返しました。今、弊社はスタートアップの中でも銀行融資の割合は多分高い方だと認識していますが、この頃にお取引を開始させて頂いた各銀行様とは、現在も借入返済のサイクルが続いており、弊社の成長を信じてくださり本当に感謝しています。

また、エクイティファイナンスにおいてはこれまでに10社のVCから資金調達をさせて頂きました。多数の投資家からお断りもされましたが、結果的には弊社と相性が良く、この事業領域や経営チーム、事業実績を信じてくださった投資家の皆様に参画いただくことができてとても幸運でした

シリーズAで、初めて付けて頂いた株価(時価総額)は25億円というものでした。自社が将来どういう株価を付けていけるのか考えるのは斬新で、ビジョンを実現できた絵姿を考えば考えるほどに、弊社の対峙する受発注というテーマや、B2Bのマーケットプレイスに対する未来にワクワクし、根拠なき自信を持ってプレゼンテーションに臨みました。

VCさんの事業評価や将来への見立ては甘くはなく、各ファイナンスラウンドはいつも厳しい交渉となりました。弊社がファイナンスに焦点を合わせて経営をしている訳ではない為、提出できるトラクションがタイミングが合わず中途半端であったり、新規サービスへの期待が過重だったり、投資家の皆様が安心できる材料を揃えきれず、審議は難航を極めたのだと理解しています。そう簡単に億単位の出資を引き出せる訳ではなく、自分の考えの甘さを痛感しました。

苦労の末ですが、結果的にはシリーズA、シリーズB共に日本を代表する素晴らしい投資家の皆様にご参画いただき、累計30億円近いエクイティとデットを調達させていただきました。創業期には考えもしなかった資金が今のユニラボにはあります。今年に入ってからも日本政策金融公庫、商工中金、新生銀行の皆様が大型融資を決定してくださり、株式市況が乱高下している今だからこそ、手元現預金の有難みを身をもって痛感している所です。

ユニラボが初めてエクイティ資金を手にした日、銀行口座に2億円の現金が振り込まれていたのを確認して、胸が熱くなったことを覚えています。返さなくても良い資本というお金は初めてのことでしたが、結果的には、振り込まれた時よりも、それを使い切って始めて有り難みがわかるような気もしています。

経営はひと、もの、かねと言いますが、長らく一番ネックだったのはお金の所でした。やっとの想いで黒字化を果たしたこと、人を大事に思いながらも、人に苦労してきた創業期、常にお金がなく不安だったことなどが、吹き飛んだかのように、2億円もあればどれだけやりたいようにやれるのだろうか?と胸が躍りました。社員の皆もとても喜んでくれたし、ファイナンスが成功する度に、すべては社員の努力の賜物ということで、皆には報告をしてきました。

ここまでお話ししてきた、ユニラボの経緯(起業の経緯、創業期、経営方針転換)は、資本市場に飛び出し、資金調達の成功によって大きく開花し、第二創業期が幕を開けたのだと思います。

2022年7月の久しぶりの全社BBQ@品川シーズンテラス(ユニラブDAYにて)

第6章 進化し続ける為に

ここまで記載の通り、10年間、七転八起でやってきたわけですが、ここ数年で組織こそそれらしくなったとは言え、事業の方は本当にまだまだです。山を登ったと思えば、巻き道に迷い込むし、どの山を登るかの議論も正直なところおぼつかない。進化する為に、試行錯誤の日々が続いています。

ようやく資金調達をしたと思ったらコロナがやってきて、急ぎ黒字に戻したり、そしてまた大きくアクセルを踏もうと思えば今度は株式市場が乱調となったり。ここ数年もアクセルとブレーキは交互にやってきて、その舵取りは非常に難しいし、人件費やオフィスなど固定費の投資は後戻りが効かない分、慎重にもならざるを得ません。先行きが見えない中操縦せざるを得ないベンチャー経営とはこんなものなのかもしれないと思いますが、本当に難しいです。だからこそ、ビジョンは高ければ高い方が良いと定め、掲げた甲斐があったのだと今振り返っています。

次の10年間のどこかでユニラボは上場を果たさなければなりません。あくまでビジョンの通過点として、その先にあるもっと大きなことを証明し、実現する為です。

アイミツのようなサービスがあって然るべきだと思って、そして、インフラとなることを夢見て10年やってきました。誰もがビジネスシーンで見積もりを取ったり、ベンダー選定に迷うことがあると思うのですが、正直なところ、アイミツは8年目で20万人超が利用しただけに過ぎません。未だ多くの人は知らないサービスだし、身近の知人ですら使ったこともないものです。これからはきちんと知ってもらう活動に投資をし、良い体験をお届けし続けてブランドとなり、長く愛されるサービスへと進化させなければなりません。お客様に愛される為にも、先ずは良い体験が先と考え、これまでお金のかかるマーケティングには一切投資をしてこなかった経緯もあります。

私が、20代の前職時代に取り組んできたECプラットフォームは、今は(M&Aされ)別な会社のサービスとして大きく飛躍しつつも、そのブランドは既になく、時に寂しく感じることがあるのですが、アイミツについては20年、30年と続いていって欲しいと願っています。

だから社員の皆にも、事業や組織、オペレーションの仕組み、課金の仕組みにおいてもサスティナブルにしていくことを望むし、何よりもまず、目の前のお客様を大切にするというスタンスを大事にして貰いたいと考えています。長く続くサービスを創ろうと思ったときに、シンプルにお客様を大切にすることが重要であるのは誰しも想像することではありますが、真にそれを考え抜いているかと言えば、実は表面的だったり、リピート率などのような単なる数字であったり、スローガンでしかなかったり、事業者側の都合を押し付けていることは良くあることです。私自身も、特に創業期は余裕もなく、何度もブレてしまったし、苦渋の決断もせざるをえませんでした。結果、沢山のお客様にご迷惑もお掛けしてしまいました。

今年になって初めて、プロダクトやサービス開発の現場を離れています。総勢200名を超える規模になり、執行役員も立ち、CEOとして執行ではなく、権限移譲を進めていく為ですが、やはりユーザーと接することがないのはとても寂しい気持ちではあります。定量的なデータだけではユーザーのことは分かりえないものと思います。とは言え、アイミツの場合は、実際にご利用頂いたユーザーに限らず、多くの経営者やビジネスパーソンにも潜在的なニーズがあります。その為、投資家、知人の経営者、アライアンスなどでの大企業との商談、などを通じて、アイミツがどう見られているのかを確認するようにしています。今まで以上に利用された方のご感想や評価というものに、あるいはご存知頂いていてもご利用頂けない理由に、真摯に耳を傾けて取り組んでいかねばらない感じています。

この10年、沢山のお客様に恵まれてユニラボは生き残ることができました。それに対して、その時々では課題が山積みで、十分に価値を提供しきれていたか自問する所ですが、やっとの思いで資金調達も果たし、マネジメントチームもでき、未来をまっすぐ見据えられています。その結果、マッチングをすることの価値に加えて、アイミツとお取引させて頂く際に付加価値を感じて頂けるようなサービスになりつつあると感じています。現場に介入しなくなった今、遠くから眺める中で、今から6年前に皆で決めたミッション「すべては便利の為に」を思い出しています。この言葉に込めた想いの通り、本質的価値(マッチング力)に留まらず、いかに付加価値がある状態を創るか、それを創るのはやはり人の力に他ならないという事だと思います。

インターネットを使うかどうかは関係なく、我々はサービス業という業態です。どこまで大きくなろうとも、人の力に依存せざるを得ず、むしろそれを強みに変えていくべきであるという想いは年を重ねる度に強くなっていきます。物流業界で言うところのラストワンマイル、受発注においても最後は人という仮説は、以前よりもトラックレコードもあり証明されつつあります。

そういった意味で、アイミツが目指している受発注プラットフォームの競争優位性の鍵は、人や組織そのものであると思います。その為、高い生産性を維持する為の技術基盤、熱量の高いチームを維持し続ける人事・採用・マネジメント力、人を先行投資として捉えると財務も重要になってきます。

ユニラボらしさを強みとし、人を強みとすることにブレずに突き進む為には100人、200人、500人など壁は立ちはだかるでしょう。だから、そこに対する経営目線は、ビジネスモデルを鑑みた上で、考え抜かなければならないと感じます。もっと大胆に、思い切ってやって良いのかもしれない。そして、人の力を強みとするビジネスモデルだけに、そう簡単には真似ができない、そこまでやっても利益が出るといったサプライズを投資家の皆様にもお示しできれば良いと思っています。「人とIT」が融合された究極のサービス業としてご理解頂ける日がきっとやってくるでしょう。

終わりになりますが、ユニラボという会社は何者で、どこに向かおうとしているのか。それは常にupdateされ続ける前提ですが、今のミッション、ビジョン、バリューといった会社の根幹思想を語るに、会社の歴史や創業者の考えを知ることも重要であろうと、長文ではありますが書いてみました。

今年も残すところあと3か月。現場の皆は、現在進行形で厳しい戦いをしており、高い目標にもがいています。会社が10周年であることなんて関係ないし、お祝いをするタイミングにもないのだけれど、もし叶うならばアイミツのローンチ10周年となる2024年には皆でHappy Birthdayができたら良いなと思います。その時は高い目標を達成して。

本投稿を通じて、ユニラボのこれまでとこれからの物語が、社員の皆、お客様や取引先様、投資家の皆様にも、良き形で伝わることを願います。未だ未熟なユニラボであり、アイミツでありますが、これからも暖かいご支援をどうぞ宜しくお願い申し上げます。

2022年10月1日
代表取締役CEO 栗山規夫

大好きな経営者の先輩から頂いた10周年プレゼント!有難うございます!!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?