見出し画像

小説『アプサラムーン』神は人類の進化を祝福するのか(2)「忌沼」編 第一章「前兆」一・二

◆概要

「人類は右脳の進化と言う新たな段階へと進もうとしている…」「人類は道具への機能委譲という特殊な進化形態を選択した…」
ただしが行うISBROの説明会場に現れた2人の少女。
メインヒロイン京子とサブメインのルーシーの劇場版における初登場シーン。

◆他の媒体へのLINK

この連載はnoteを含む3媒体で同時掲載しています。
横書き小説はこのnoteでどうぞ。
縦書きの電子製本版ここをクリックしてRomancerでお読み頂けます。

朗読ラジオでのご視聴ここをクリックしてYoutube動画でお楽しみ頂けます。


◆『アプサラムーン(APSARAS MOON)』劇場版

神は
人類の進化を祝福するだろうか
著者内田則夫
 
「深淵」
怪物と戦う者は、
その過程で自らも怪物になることのないように
気を付けなくてはならない。
深淵を覗く時、
深淵もまたこちらを覗いているのだ。
ニーチェ『善悪の彼岸』百四十六節より

◆『忌(いみ)沼(ぬま)』編

第一章 前兆

一.律(ただし)

幕張市・国際会議場――事件当日朝
「……人類は40万年前から脳の大きさが変わっていませんが……」
そこまで言うと律(ただし)は演壇に置かれたピッチャーからもう何杯目かになるアイスコーヒーをグラスに注ぐと、一口飲んで背後のスクリーンを振り向いた。
スクリーンに映し出されているのは人類の進化、変わりゆく体形と共に脳の容積を記した映像だ。チンパンジーの様な体型から現代人に至るまでの5段階で描かれている。
それぞれが手にしているのは次第に進化していく道具、そして現代人が手にしているのは――携帯端末である。律はこの図を用いて人類の脳の進化と道具との関係性について説明を始めようとしている。
 
中萩律は29歳、三應大学理工学部の准教授で人工知能を研究する中萩研究室の責任者である一方、脳科学分野においても複数の著書を出している。
併せて律はまた別の顔も持っておりそれは心霊科学の世界的第一人者というもので、それら全ての技能を以て「ISBRO(国際戦略脳研究機構)」という機関の主要な研究員も務めていた。
ISBRO――この研究機関は人類の脳に関する総合的な研究を行う国際研究機関でそこに参加するのは医学、生物学、化学、物理学そして人工知能を代表するIT技術を含むあらゆる分野の最先端研究者に加え、脳科学や心理学、哲学と共に更に驚いた事に宗教学や心霊科学の研究者達もその重要な位置に据えられている。
律は今そのISBROの研究概要他活動に関する説明会を行っている。ただ来場者の殆どはマスコミで幾人かの学術関係者、そして野党議員とその関係者だ。
事の発端は、日本が多国籍研究機構『ISBRO』への巨額投資――日本の投資額は総額の25%に当たり3年間で250億ドル――を決定しながら、軍事転用の可能性が極めて高い研究である点を公にはしていなかった事を、とある学術団体と野党に追及されてしまった事であった。
元々野党は政府に説明を要求したのだがそこはいつの間にか「機構による説明会」へと巧くすり替えられてしまった。
しかし、そもそもこの説明会は同研究機構に参加する国々の内3か所即ちアメリカ、欧州、豪州ではそれぞれの時差はあるものの世界で同時に行う予定だったのだ――但し、マスコミや野党を主な対象として開催するのは日本だけなのだが。
そして日本で発表する場合、律しか適任者が居なかったのだ。
その為に律はここ数日間そして今朝は未明から準備作業に忙殺されていたのだった。
 
「……像やキリンなどに観る様に他の生物は長い期間を経て極めて特徴的な形状へと進化を遂げています……」
律は再び説明を始めている。
「一方人類のここ数百年という短い期間での文明の発達には目覚ましいものがありながら……」
「脳の容積に変化が見られないどころか寧ろ減少しているという研究発表までされているのは何故でしょうか……」

二.不安

律は説明を続ける。
「それは、人類が脳を含めた身体機能の道具への委譲という極めて特殊な進化形態を採ったからです」
そう言った律はまたグラスのアイスコーヒーを一口飲み、今度は来場者を一度見回して反応を窺ってから続けた。
「言語やそれを記述する石、軈てパピルスから始まる紙そして現在の電子媒体それら全てを含めて人類の身体機能の有形無形の委譲先である道具なのです。 そして……」
「人類は遂にコンピュータ、AIを以て主に左脳の機能の委譲先を出現させたのです」
「つまりあらゆる道具と同じく、AIもまた道具として人類の身体機能の一部と言えます」
ここで会場内に軽いざわめきが起きた様子を確認すると律は第一部の締め括りに入った。
「ここまで考察を進めて来ると――ではこれからの人類の脳はどの様な進化をして行くのか――という疑問が湧いてきます。 或いは退化に向かうのか……」
律は再び場内を見渡して聴衆が話に集中している事を確認すると言った。
「それは、実は既に始まっています。 右脳の進化です」
「変化が現れ始めているのは、世界中のZ世代それも現在十代の若年層以降です」
「人類は、右脳の進化ステージに入っています」
「この続きは15分の休憩の後、第2部でお話しします」
 
律は演壇後方にある袖から控室へと歩きながら背後に場内の騒めきを感じていた。やはり最後の一言はインパクトがあった様だ。
第2部ではもっと衝撃的な内容を含んでいるので恐らく質問はかなり多くなるだろう。だが律は第一部ではさして不安を感じていなかったし第2部でも来場者のあしらいについてはさして不安もない。
今回世界で同時に行われる一連の説明会での一切の質問は、開催地時刻当日の24時を期限に会場毎に設定された所定のメールに限って受け付ける旨が来場者には通知されていたからだ。そして寄せられた質問に対する回答は後に本部より一斉に発信される。だから律には日本会場での質問を纏めると言う大変な作業はありながらも精神的な負担は無いのだった。
しかし一方で、今の律の中には拭い去り様も無い3つの不安が渦巻いていた。
実は今回律はこの会場には密に二人の同伴者を伴っているのだが、律の最大の不安はその二人から齎されるものだった。
更にもう一つの不安がある。
律が運ばれて来たホット珈琲を口に運ぼうとした時、ISBROの専用端末から着信音が聞こえた。開いてみると正にその不安を煽る知らせそのものだった。送信者はマイク、律と同じくISBROの所属ではあるが彼の役割は調査員そしてアメリカの諜報組織にも所属するという2つの肩書を持っている。
マイクはある調査の為に東南アジアのカンボジアに派遣されているのだが、今の知らせは律を益々憂鬱にさせるものだった。
考え込んでいると第2部の開始を知らせるブザーが聞こえた。律は珈琲をまだ半分以上残したままいそいそと演壇へと向かった。
 
律が現れて演壇に付くとそれまでざわついていた会場は一斉に静まり返った。
律は新たに置かれたピッチャーから珈琲をグラスに注ぐと2杯をたて続けに飲む。不安に伴う緊張を払うためだ。
その時、律の様子を見ながら会場の後部壁際でクスッと笑った者が居る――そこには二人の若い女性が立っていた。どちらもまだ10代ではないかと思われる――少女と言って良いだろう。正しく律が言ったZ世代その若年層。
笑ったのはその内の一人、肩先まで伸びた金髪をポニーテールに纏めた白人。腰だけを壁に預けくの字気味にやや前傾姿勢をとりながら浮き浮きと上半身を揺すっている――ルーシーだ。薄っすらと水色掛かった広めのレンズの眼鏡を掛けて、頭には少しボーイッシュなスポーツ帽を被っている。身長は体勢から分かり難いが恐らく170㎝程か。
悪戯な笑みを浮かべるそのルーシーを少し不安そうに見つめるもう一人は日本人――腰の上まで伸びた艶やかな黒髪を項の辺りで引き詰めている――行儀よく真っ直ぐに立って両手を前で合わせている――この娘の名は京子という。こちらも身長は同じく170㎝程か。
「タダシの珈琲中毒は末期的だねぇ」
ルーシーが面白そうに言った。
「何だか少し心配です」
京子は本当に心配そうだ。
この二人、人種は違うがどちらも異様な程に独特の雰囲気と言うかオーラの様な気配を纏っている点が共通している。一般的に言う「美しい」という言葉で表現できる範疇を越えてしまっているとも言えた。
二人が纏っているのはある種の妖気、共に律を悩ませ時には苦しめている二人だ。

(「三.ルーシー」へと続く)

カンボジアの中でも僻地に暮らしながらも、ほぼ無収入で小説を中心に、主に料理をテーマとした詩やエッセイなどの創作に没頭しております。 皆様からのサポートは主に端末機器や通信に当てさせて頂きますので、ご支援の程よろしくお願いいたします。