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人生越境ゲーム (私の履歴書) (青木 昌彦)

 本書は、日本経済新聞連載の「私の履歴書」をベースに、青木昌彦氏による書評・対談等を加え、内容を充実させて出版されたものです。

 現在、世界レベルで活躍されている経済学者青木昌彦氏の足跡を、興味深く辿ることができます。
 以下に、いくつか私が関心をもったトピックを覚えも兼ねてご紹介します。

 まずは、河合隼雄氏による父性原理・母性原理から導かれる「中空構造」概念と、青木氏のコーポレート・ガバナンスの分析に共通する問題意識についてです。

(p158より引用) 私もハーバードで書いていたコーポレート・ガバナンスにかんする本の中で、河合さんの神話分析(私注:河合隼雄氏の「中空構造」)と同じような考えを展開していた。英米型の企業は、株式主権(利潤最大化)という単一原理のもとで、経営者が従業員を統合・管理する。河合さんのいう父性原理(ヒエラルキー)の貫徹する仕組みである。しかし、当時の日本では、経営者は会社の従業員の利益と(銀行を含めた)投資家の利益のバランスを取ることを機能としていた。その仕組みは中空構造そのものではないが、経営者の役割は能動的というより、場の調和を重んずるという点で、一定の類比は可能といえた。同じように日本の政治経済のシステムにおける官僚機構の役割にも、さまざまな利益集団のあいだの調和を保つという一面がある。それには、官僚による一方的な父性原理の貫徹では理解できない側面がある。こうして人文科学と社会科学という領域を越え、私たちは現代日本の社会構造にかんして問題意識を共有していることを発見したのだった。

 続いては、学問統合的・学際的テーマにチャレンジする著者の知的関心の表明のフレーズです。

(p184より引用) 私自身、80年代には日本経済とアメリカ経済の制度比較を研究したが、それらはかたちは一見異なってはいても機能的には同型だ、などといってはすまされない違いもあると考えた。社会と政治と経済とは互いに関連し合い、一つの首尾一貫した体系を作っているのではないか?そうした差異性は市場がますますグローバル化することにより、どう適応していくのだろうか?こうした問題を、単なるアメリカと日本の比較を超えて考えてみたいと思った。

 青木氏の問題意識は現在進行形です。その追求のスタイルは現代のインターネット環境で展開されているオープンな協業型です。

(p275より引用) 冒頭、市場がうまく働くためには情報の流通が重要だと言いましたが、学問の世界でも情報の流通が高速になりましたから、すでにある知的財産を独占することによって権威を高めるなんていうことはできなくなりました。むしろ情報技術を駆使しながら、インタラクションを強め、新たなものを一緒に作っていくという可能性のほうが価値を持ち出し始めている。改めて、インターネットの発達がもたらした影響はすごいなと思います。

 このコメントは、梅田望夫氏をはじめネットの世界をベースにビジネス活動を行なっている人たちから常々主張されている点です。
 加えて、国際的な経済学者である青木氏からの同様の指摘は、現在の最先端のアカデミックな知的生産活動においてもネット環境でのインタラクティブ化が浸透しつつあることをビビッドに示していると言えるでしょう。

 実際、青木氏は、「東京財団」の研究プロジェクトとして、人間の認知の構造と社会のルールとの関連性の解明等をテーマにした経済学・社会学・政治学・心理学等学際的な仮想研究所(VCASI:Virtual Center for Advanced Studies in Institution)を立ち上げ活動を始めています。

(注:本投稿は2008年のblog記事の再掲です。VCASI主宰青木昌彦氏は2015年7月にご逝去されました。ご冥福をお祈りいたします。)


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