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最後の参謀総長 梅津美治郎 (岩井 秀一郎)

(注:本稿は、2022年に初投稿したものの再録です。)

 いつもの図書館の新着本リストの中で見つけた本です。

 「梅津美治郎」、名前は聞いたことがあるですが、それ以上の知識はありませんでした。
 太平洋戦争の継続に懐疑的であった “最後の参謀総長” のこと、ちょっと気になったので手に取ってみました。

 梅津美治郎の人となりについては様々紹介されていますが、当時の軍人としては珍しく “親分肌” といったタイプではなく、頭脳明晰で一見親しみ難い印象を与えていたようです。

 梅津が関東軍司令官だったころのエピソードです。

(p131より引用) 梅津は親分子分の関係を作ることはしなかったが、前線将兵への心遣いは忘れなかった。何より将兵をねぎらい、時には酒を酌み交わして信頼感を醸成することで、その統率にも益することが多かっただろう。そして梅津は五年におよぶ軍司令官在任中、ついに一度も国境紛争を起こさせなかった。歴史において「何かを行なった(起こした)」功績(あるいは失敗)は記録されやすいが、「何かを起こさせなかった」ことは目立たず、忘れられてしまうことが多い。しかし、それも大きな功績であろう。

 そして、この「何かを起こさせなかった」という梅津参謀総長の功績として、戦争最末期における「細菌戦の中止」が紹介されています。

 1945年3月、帝国陸海軍では「細菌に感染させたネズミや蚊を潜水艦で運び、アメリカ本土もしくは米軍に占領された島に放つ」という細菌戦(PX作戦)が決行に移されるところでした。

(p233より引用) 米内光政海軍大臣もこれを承認し、あとは決行されるのを待つだけ、という段階になっていた作戦を中止させたのが、他ならぬ梅津だったのである。
 「細菌を戦争に使えば、それは日米戦という次元のものから、人類対細菌といった果てしない戦いになる。人道的にも世界の冷笑を受けるだけだ」
というのが反対の理由であった。

(p234より引用) 太平洋戦争では、勝者アメリカが無差別爆撃や原子爆弾によって非戦闘員を大量に殺傷した。しかし、日本はギリギリの段階でこれを踏みとどまったのである。戦局不利な状況で「何が何でも」「どのような手段に訴えても」挽回を期そうとするなか一人、理性を失わず、「人類に対する戦争」を阻止した梅津の功績は、けっして小さくはない。

 この最後の最後、軍部を中心に戦争に勝利するためには手段を選ばないという風潮のなか、この決断を下す英哲な判断力は並大抵のものではありません。
 やはり、最後は「人」です。
 大きな歴史の節目に「人」がいるかどうかで、その後の世界は大きく変わります。



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