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「命令違反」が組織を伸ばす (菊澤 研宗)

命令違反のすゝめ

 太平洋戦争における日本軍の高級将校の行動を材料に、その失敗の原因を探求していきます。
 かなり以前に似たような切り口で「失敗の本質」という有名な本がありましたが、その結論は異なります。

 菊澤氏は、失敗を2つに分けます。
 「無知」や「不注意」による「条理な失敗」と予期できたにもかかわらず陥ってしまう「不条理な失敗」です。

(p10より引用) 人間が関わる重大な失敗の多くは、良くない結果が生れることを十分知りつつ、なぜか失敗に突き進んでしまうような、そんな失敗である。つまり、世の中には、単なる無知や不注意だけでは説明できないような失敗もあるのだ。
 私は、このような失敗を「不条理な失敗」と呼んでいる。・・・人間が関わる重大な失敗の多くは、無知や非合理性によってもたらされたというより、むしろ合理的に起こるものだ。

 以前の多くの説では、多くの失敗は「非合理的な判断」によるものだといわれてきました。しかし、菊澤氏は、「合理的に失敗は起こった」と言います。
 ここでのキーワードが「限定合理性」です。

(p12より引用) 現実には完全な人間などいない。・・・人間の情報認識能力は限定されており、人間はそこで得た不完全な情報の中でのみ合理的に行動するという「限定合理性」の仮定に立って、事例を分析する必要があるのだ。・・・先に挙げた事件や不祥事も、実はこの限定合理性な人間が不完全な情報の中で不正であることを十分知りつつ、組織や企業のためと思い行動した結果起きたものが意外に多いのだ。

 このような「不条理な失敗」を回避するためのファイナル・ソリューションが「命令違反」です。

(p15より引用) 不条理に満ちた現代の組織には、ファイナル・ソリューションとして命令違反する勇気と、命令違反を許容する新たなマネージメントが必要である。

 菊澤氏によると、「命令違反」は、「不条理な失敗」に陥るのを防ぐとともに、「命令違反を認める仕組み」も具備されると組織を進化させる効用もあると説いています。

(p103より引用) 不条理に陥った場合、部下が上司や上官に対して命令違反することは、組織倫理上は不正だが、組織経済的には効率的であり、しかも組織の消滅や淘汰の危機を回避することにつながる。そして、部下の命令違反が何らかの仕組みのもとに認められているような組織では、上司や上官の命令が生み出す非効率や不正が、部下の命令違反によって排除される可能性があるのだ。・・・このような仕組みを持つ組織は、・・・命令違反によって・・・むしろ組織を進化させる可能性すら出てくる・・・

心理会計

 本書のテーマである「不条理(合理的)な失敗」が生じる理論的根拠として、面白い考え方が2つ示されています。
 「心理会計」「取引コスト(行動経済学)」です。

 まずは、プロスペクト理論にもとづく「心理会計」についてです。
 菊澤氏は立論にあたって、「価値関数」という概念モデルを示します。

(p45より引用) 限定合理的な人間の心のバイアスを描き出す価値関数を用いることで、一見非合理的な人間行動の合理性を説明することができる。

 価値関数を通して現実の利益を心理的価値に置き換えてみます。すると、「現実の利益の増加率よりも心理的価値の増加率が小さい」という価値関数の性質から、以下のようなケースが発生します。

(p49より引用) 予想外の利益(x1>0)と予想外の利益(x2>0)が出た場合には、二つの成果を統合勘定で処理するよりも、それぞれ別々に分離勘定で処理した方が、人間の心理的価値(満足)は高くなる。
 以上のことから、この場合、経営者は二つのビジネスの利益x1とx2の合計を最大化しようとするのではなく、それぞれのビジネスの利益を分離勘定で扱い、それぞれ時間差で最大化しようとするか、あるいはどちらか一方だけを最大化するように行動する可能性が高いといえる。その方が心理的に価値が高いのだ。

 これは、よく言われる「木を見て、森を見ず」とか「部分最適/全体最適」のissueでもあります。菊澤氏は、そういった判断に至る道程を「心理的価値」の大小で説明していきます。

(p49より引用) したがって、一方で0.1%の金利で子供の教育費を貯蓄し続け、他方で3%の金利で自動車ローンを組んでしまうという一見非合理な人間行動も、人間の心の中での会計処理、つまり心理会計的にいえば、分離勘定のもとに心の中では合理的に処理している可能性があるのだ。

 菊澤氏は、こういったケースの具体例として、インパール作戦における牟田口廉也中将の行動を紹介しています。
 予想外の利益がマイナスの状態(現状が想定どおりに進んでいない状況)においては、それ以上の悪化に向かうリスクよりも、状況を好転させる(であろう)期待の方を選択するのが、「心理的には合理的だ」というわけです。
 ただ、その末路は悲劇です。

(p62より引用) 利益が出ているときにはリスク回避的にすぐに利益を確定しようとするが、損失が出ているときにはリスク愛好的にすぐには損失を確定しようとしない。こうした行動は決して非合理的なものではない。心理的には合理的なのだ。
 しかし、そのような行動は客観的には必ずしも効率的ではなく、むしろ非効率的なことが多いので、結果的にそのようなリーダーの命令に従う組織は合理的に自滅していくことになる。

面倒なことはやりたくない

 菊澤氏は、「心理会計」と並んで、「不条理な失敗」の合理性を説明するもうひとつの理論として、行動経済学上の「取引コスト」の考えを紹介しています。

(p88より引用) 取引コストの存在ゆえに、「不条理」な状態が発生する。それは、全体的に見て、明らかに現状を変化させたほうが効率的であるにもかかわらず、そうするには多くの利害関係者と交渉・取引する必要があるため、その際に膨大な取引コストが発生し、個人的には変化しないほうがむしろ効率的だという状態のことである。すなわち、取引コストによって全体効率性と個別効率性にズレが生じるため、個々人は全体効率性の達成を諦めて個別効率性だけを追求するのである。

 このあたりは、以下の例示が分かりやすいですね。多くの企業が陥っているところでもあります。

(p89より引用) 限定合理的な人間の世界では、・・・既存の商品が新商品より劣っていたとしても、新商品へ移行するのに必要なコストがあまりにも高いならば、人々は移行しようとはせず、あくまで既存の商品に固執する可能性がある。・・・
 取引コスト理論に従うと、こうした現象は決して非合理的な現象ではなく、まったく合理的な現象とみなされる。

 この理論によると、「取引コスト」が高ければ、一度決めたことはなかなか変更に至らないことになります。方針や施策の変更は困難になってしまいます。
 状況の変化に応じて、柔軟に対応変更できるようにするためには、「取引コスト」を下げるか、「取引コスト」を凌駕するプロフィットを与えなくてはなりません。菊澤氏は、そのための方策として「損害賠償制度」を挙げます。

(p231より引用) 限定合理的な人間社会では、契約は常に不完備契約となる。それゆえ、不完備契約を絶対的なものとして強制的に守らせようとすると、取引コストは高くなり、そのために取引が起こりにくくなる。あるいは、たとえ取引されたとしても、逆に非効率な資源の配分と利用が発生する可能性があるのだ。
 しかし、損害賠償制度のもとに、必要とあれば契約を破る自由を人間に与えておけば、取引コストは節約され、人間は自由に取引しようとする。つまり、損害賠償制度は、取引コストを節約する法制度であり、その法制度によって取引が活発になり、効率的な資源の配分が起こるのだ。

 この考え方、すなわち「損害賠償制度」の意味づけとして“経済活動の活性化・効率化に資するもの”としているのは、結構興味深いものがあります。

 決めたこと(契約)を破ることは、「命令違反」と相似です。
 本書では「不条理な失敗」の回避策として「(よい)命令違反」を推奨していますが、こういった「損害賠償制度」は、(命令違反を前提としたスキームである点で)「命令違反」を実行たらしめる仕掛けとも言えます。

 本書において菊澤氏は、太平洋戦争における日本軍の行動を材料に、そこで生じた「不条理な失敗」を新たな切り口で分析し、その「失敗の本質」を追究していきました。

(p65より引用) このまったく非効率な戦術を選択し続けた陸軍の行動にも合理性があったということだ。つまり、ここでの失敗の本質は人間の非合理性にあるのではなく、実は人間の合理性にあるということであり、それゆえガダルカナル戦は歴史における特殊なケースではないのだ。

 「人間の個人レベルの心理的な合理性」。
 著者の菊澤氏が明らかにした普遍的な「失敗の本質」です。


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