見出し画像

私の読書法 (大内 兵衛・茅 誠司 他)

先達の読書

 この本も、本棚の奥の方から引っ張り出したものです。

 初版は1960年、私が読んだのは1979年版第25刷ですから、大学生のとき買ったものです。
 雑誌「図書」に連載されたものをそのまま再録しているのですが、著者陣は錚々たる方々です。加藤周一氏ですら one of them という感じです。

 その加藤氏の「読書の楽しみ」という章で興味を惹いた「本居宣長とモンテーニュとの比較評価」についてのフレーズです。

(p28より引用) あれほど沢山の本をよんだ両家の随想録を今よみくらべてみると、遺憾ながらわが宣長のはるかに彼の西洋人モンテーニュに及ばないことを感じる。学者として宣長が上であったかもしれない。しかし文士・思想家としては、比較を絶してモンテーニュが上である。見聞の記録がモンテーニュに多いからではない。見聞によってモンテーニュの読書のよみが深くなっているからである。

 次は、評論家蔵原惟人氏が言う「批判的読書」の方法です。
 自分の考えをしっかり持ちつつも、それを読書により得られる外部の智慧でさらに磨いていこうとする姿勢、これは、まさに読書に対する構えとしては王道ですね。

(p40より引用) 私はいつも書いてあることに自分の考えを対置しながら読んでいるが、これはなかなかむずかしいことだ。自分の主観によって著者の意見をゆがめて読んだり、自分に近い著者の間違った見解に引きずられたりする。書物を批判的に読みながらそこから学んでゆくこと、これがほんとうに出来るようになればたいしたものだと思う。

 さらに、プラトンの著作の訳出等で有名な哲学者田中美知太郎氏「読書の配合」についてのくだりです。

(p94より引用) 今でもわたしは、そんな風にして違った方向の読書もまぜることにしている。・・・貧しい材料でも、うまく配合を考えて、そこからバランスのとれた健康的な食事を用意する、一種の料理法みたいなものが、読書についても考えられるのではないかと思うだけである。もっともこんなことは、面倒な料理法などを神経質に考えるよりも、自然の要求に従って読めば、それでいいことなのかも知れない。

 このあたりの「意識していろいろなジャンルの本を混ぜるという方法」は、(恐れ多い言い様ではありますが、)私の読書傾向とも似たところがあるように思いました。

読書の個性

 本書は、それぞれの学問領域における大御所の方々が、「私の読書法」という同一のテーマで書かれたエッセイ集です。ひと昔前とはいえ、これだけのビッグネームの方々が次々に登場するとういうのも、岩波書店の「図書」の力でしょうか。

 さて、おひとりおひとり個性的で多種多様な執筆者が一同に会すると新たな楽しみも生まれてきます。
 たとえば、「タイトル」と「最初の1文」を眺めるだけでも結構面白いものです。

 ご参考までに、いくつか列挙引用してみると以下のような感じです。

主観主義的読書法 清水幾多郎  一口に読書法といっても、そこには二つの問題があるようである。・・・

一月・一万ページ 杉浦明平  生まれからいっても気質からいっても。わたしはオブロモフの一族であることに気づいた。・・・

読書のたのしみ 加藤周一  私は今まで必要に応じて本をよみ興味に任せて本をよんできたが、読書のし方について、まとめて考えてみたこともないし、それについて書いたこともない。・・・

乱読から批判的読み方へ 蔵原惟人  さいきんの私は毎日の仕事におわれてなかなか落着いて本が読めない。・・・

枕下に書を置いて眠る 茅誠司  中学校に村瀬先生という地理と歴史の先生があって、小学校から入学した私の心の中に消え難い印象を与えたようである。・・・

このごろの読書 大内兵衛  この頃は、読書しない。・・・

行動中心の読書 梅棹忠夫  本というものは、なるべくなら、読まずにすませたらそれに越したことはない、というのがわたしの本音である。・・・

ノートを取る場合と配合を求める時 田中美知太郎  読書法というようなものは、後からの反省であって、始めから意識されているものではないようだ。・・・

読書遍歴は独り旅で 都留重人  私の父は、学校が山川均氏と一緒で、親しくもしていたし、終生大いに尊敬していたが、山川氏の書かれたものは、おそらく一行も読んだことがなかったようだ。・・・

読書法というもの 宮沢俊義  「読書法」という言葉は、本の読み方を意味するのだろうが、それには、無意識的にうまれるものと、意識的に作られるものとがあるようにおもう。・・・

心はさびしき狩人 開高健  姿勢だけからいうと寝ころんで読むのがいちばん楽だし、自由である。・・・

戦中・戦後の読書から 鶴見俊輔  評価のさだまった古典だけと読んでゆく方法をとるならべつだが、同時代に出る本を読んでゆくことは、何かしらにかけることだ。・・・

両棲類的読書法 松田道雄  中学のころ私は読書家といわれる人間のタイプを好まなかった。・・・

濫読 円地文子  読書法ということについては考えてみたことがありません。・・・

 清水幾多郎氏・宮沢俊義氏の冒頭のくだりは正に生真面目な “学者然” としていますし、開高健の書き出しもまた、“洒脱なエッセイスト” のものですね。

 それぞれの書きぶりに各人の個性・人柄等が存分に滲み出ていて、非常に興味深いものがあります。
 こういった如何にもという “その人らしさ” はいつまでも記憶に止めたいものです。



この記事が参加している募集

#読書感想文

189,330件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?